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最年長G1勝利記録!岡部幸雄騎手の伝説、武豊騎手との関係などを紹介

出典:wikipedia

 

岡部幸雄騎手は2005年まで騎手を続け、50代になってもリーディング上位騎手として活躍していました。1987年から2000年までは10回リーディングジョッキーとなり、名馬シンボリルドルフなどの手綱を取ったことでも知られています。

 

落馬負傷や膝の故障により復帰までに時間を要することもありましたが、55歳まで現役で騎手を続けており大レースにも騎乗していた点は素晴らしいことです。また馬優先主義を掲げていたことも岡部騎手の特徴と言えるでしょう。

 

ここでは岡部幸雄騎手のエピソードについてまとめています。

 

岡部幸雄騎手は嫌われ者なのか?その原因とは

岡部騎手と言えばエージェント制を初めて取り入れた騎手としても知られています。トップジョッキーがフリーで活動する流れを作ったのも岡部騎手ですが、エージェント制はレースに集中するためでもありました。

 

エージェント制度に反発して引退した藤田伸二騎手などとは、あまり上手くは行っていないようです。藤田騎手の引退後、エージェント制度について岡部騎手が反論していたこともあります。

 

また同レースに複数の乗り馬が集まった際は関わりのある後輩騎手に馬を回すなど、仲間内で有力馬を回し合っていたことから良い印象を持たれていない場合もあります。そのおかげで育った後輩もいるため、必ずしも全員から嫌われていると言うことではありません。

 

現在はJRAの裁定委員会の外部委員として活動もしていますが、基本的に裁定委員は騎手に制裁を与えるもので、その点では嫌われ者の位置に立っていると言えます。

 

元騎手だからと言って騎手側の立場だけで処分を決めるわけにも行きませんし、騎手をかばう立場に立てないのは仕方がないのかもしれません。

 

岡部幸雄騎手はレース中に相手を殴ることがあった?

岡部幸雄騎手は後輩にも厳しいところがあることで知られていましたが、あるレース中に相手を殴り、問題となったことがありました。

 

1984年の平場レースで杉浦宏昭騎手を殴る事象があり、レース後に騎乗停止となっています。この時の原因は杉浦宏昭騎手が馬を外に持ち出した際、岡部騎手の進路を妨害したことが原因だったようですが、殴るのは行き過ぎですね。

 

もちろんこのような出来事はこの1回きりで、問題が発覚後丸刈りにして謝罪しています。

 

岡部幸雄騎手と武豊騎手の関係

武豊騎手がデビュー当初はあまり関東のベテラン騎手とは折り合いが良くなかったようです。

 

もちろん先輩後輩の間柄のため武豊騎手が何か問題になる発言や行動をしたわけではありませんが、一時は関東遠征の際にロッカーがなくなるなど、いじめと取られても仕方がないような事象も起きていました。

 

岡部騎手が率先して何かをしたわけではありませんが、デビューしてすぐにリーディングジョッキーとなり活躍し続けた武豊騎手と仲が良いと言うことはありませんでした。お互い有力馬に乗ることも多く、ライバル関係でもあったようです。

 

トウカイテイオーメジロマックイーンの天皇賞春での対決では、スポーツ紙などでお互いのコメントが取り上げられました。結果この時はメジロマックイーンが勝利し、トウカイテイオーは5着に敗れています。

 

しかし岡部騎手が引退後随分経ち、武豊騎手がキズナでダービー制覇を果たした時には感動し涙を流したと言う話もあります。

 

最年長記録!岡部幸雄騎手のG1勝利数は31回

岡部幸雄騎手はグレード制が導入された1984年以降に、JRAのG1を31勝しています。

 

この記録は武豊騎手に次ぐ記録で、3位は横山典弘騎手の26勝です。

 

主な勝利はシンボリルドルフのクラシック3冠や有馬記念、ジャパンカップ、天皇賞春です。シンボリルドルフは7冠馬となり、そのすべてで岡部騎手が騎乗していました。また最後の勝利は2002年の天皇賞秋で、シンボリクリスエスに騎乗していました。

 

53歳でのg1勝利は岡部騎手が初めてのことで、現在も最年長g1勝利の記録となっています。その後は2005年に引退するまでg1勝利はありませんでしたが、2002年末から2003年の間は膝の痛みによる手術で1年間休養しており、引退までに騎乗していたのは実質2004年の1年間のみでした。

 

2005年の2月頃、思うような騎乗ができなくなっていることを自覚し騎乗を自粛した後引退を決めました。

 

重賞勝利は通算165勝で、JRA最高齢での勝利記録も保持しています。

 

まとめ

岡部幸雄騎手は1960年代にデビューしてから2005年までトップジョッキーとして活躍していました。リーディングジョッキーに輝いたのは1984年とやや遅いですが、その後は引退まで10度のリーディングを獲得しています。

 

g1レース勝利数も歴代2位の30勝以上で、グレード制導入前にも大レースを勝利しています。

 

現在はJRAの裁定委員として活動していることもあり現役騎手とは対立することもしばしばありますが、名手として多くの人に認められています。

 

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