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天才騎手と呼ばれた田原成貴騎手の現在は?現役時代の成績、エピソード、武豊との関係も紹介

武豊騎手のデビュー前にリーディングジョッキーとなり天才騎手と呼ばれていた田原成貴騎手は、騎手時代も引退後もいろいろな意味で注目を集めた人物でした。

 

ここでは田原騎手のプロフィールや経歴、騎手時代の成績などをまとめています。

 

田原騎手のプロフィール、経歴紹介

田原成貴騎手は1959年1月15日生まれ、島根県出身です。1978年に騎手デビューし、デビューから6年後の1983年と84年にはリーディングジョッキーに輝いています。

 

騎手当時の身長は169cmで、当時の騎手としては武邦彦騎手に次いで高身長でした。

 

1998年に引退後調教師となりましたが、銃刀法違反などで検挙され2001年に調教師免許が剥奪となりました。

更にこのことをきっかけに覚醒剤所持の容疑でも起訴されています。なおこの時、JRAの裁定委員会は田原元騎手に対して15年間トレーニングセンターへの立ち入りを含む競馬への関与を禁止としています。

 

このことだけが直接的な原因ではありませんが、2003年には1000勝以上勝利した騎手が調教師の筆記試験を免除されるシステムが廃止となりました。

 

その後は競馬評論家や作家など、さまざまな分野で活動しています。

 

騎手時代にもエッセイ・漫画原作などを発表していましたが、引退後は更に多くの作品を発表しています。シリーズ200万部を突破したありゃ馬こりゃ馬を始め、勝算、法の庭など中にはドラマ化された作品もあります。

 

騎手引退後随分経ってから、競馬最強の法則で予想家として活躍していた故清水成駿氏が田原騎手の息子について語っていました。田原騎手の息子が東大に入学したという話です。

 

田原騎手の現役時代の主な成績、エピソード

田原騎手は初騎乗・初勝利を所属厩舎のテンシンニシキであげています。また同年には重賞であるタマツバキ記念をリョクシュで制覇し、デビュー年は28勝をあげました。

中央競馬関西放送記者クラブ賞を受賞し、デビュー2年目には64勝をあげて関西のリーディングジョッキーに輝きます。

 

田原成貴騎手はデビュー当初から結果を出し、天才騎手として注目を集めていました。1983年にはリードホーユーに騎乗し有馬記念を制覇しました。年間では104勝をあげ、八大競走初制覇と初の全国リーディングを成し遂げます。

 

1984年にはグレード制が導入され、桜花賞が初のG1競走に指定されました。田原騎手はダイアナソロンで初のG1競走を制覇します。

1984年には落馬負傷が2度重なり、翌年は騎乗数を制限することとなりました。また完全復帰後の1986年にも大きな落馬事故に見舞われ、左腎臓と脾臓に損傷を負う大怪我で長期離脱を余儀なくされます。

完治には半年から1年かかると言われていたものの、6月の落馬事故から3ヶ月で復帰しています。1日1鞍と制限をかけていましたが、年末には騎乗制限も取りやめています。

 

1987年にはマックスビューティーとともに桜花賞、オークスを勝利しました。

 

1990年に再度落馬事故があり、この時には腰椎と骨盤の骨折の怪我を負っています。この怪我により、以降田原騎手は引退まで騎乗数に制限をかけることとなりました。

 

またトウカイテイオーの復帰レースに騎乗したことでも知られ、363日ぶりの出走でG1レースを勝利した記録は現在でも破られていません。

騎手引退日は1998年2月28日で、重賞勝利65、G1勝利15勝です。

 

田原成貴元騎手は現在どうしている?

田原成貴元騎手はJRAから関与を禁止されていたこともあり、公式にその後が分かるような内容はありません。

 

しかし調教師免許剥奪後には競馬最強の法則でコラム執筆や対談を行うなど、競馬に関わる分野で活躍していたこともあります。

一時は競馬評論家として有料ブログやサイトを運営していたこともあります。

 

その後は再度覚醒剤所持容疑で起訴された他、傷害のトラブルを起こし話題になりました。

最近では2017年に、海保ロックンロールバンドと言うバンドのボーカルとして活動していたことも知られています。

 

田原成貴と武豊の関係、エピソード

田原成貴騎手は武豊騎手の先輩に当たります。田原成貴騎手も天才騎手と呼ばれていましたが、武豊騎手のデビュー後は元祖天才と称されることも多かったようです。

 

武豊騎手は栗東で育ち、父が武邦彦騎手であったことから厩舎に出入りすることもしょっちゅうでした。そのため幼少期から田原成貴騎手とも多少交流があったようです。

 

武豊騎手の兄弟子は田原騎手のライバルとも言われた河内洋騎手ですが、武豊騎手は兄弟子の河内騎手や田原騎手の乗り方を参考にしていたと述べています。

 

まとめ

田原成貴騎手は若いうちに頭角を現し、20代のうちに2年連続リーディングジョッキーに輝くなど多くの功績を残しました。しかし騎手時代からトラブルメーカーでもあり、周囲とうまく行かないこともあったようです。

 

騎乗技術や勝負強さなど後輩騎手から尊敬されることも多く、調教師になってからも初出走初勝利をあげるなど運も持ち合わせていました。

 

調教師免許剥奪後は直接競馬に関わることはありませんでしたが、競馬最強の法則で取り上げられることもありました。その他にもエッセイ・漫画原作に関わるなど、芸術的な面で才能を発揮しています。

 

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