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歴代で最強といえる日本人騎手5選!エピソードも合わせて紹介

日本競馬において、歴代で最強といえる騎手はどの人でしょう。

 

例えば現役で活躍している武豊騎手はディープインパクトを筆頭に数多くの名馬に騎乗し、数多くの名レースを披露しました。

 

レースや舞台によって騎手の得手不得手があるため、一概に言えませんが、総合的に見て実力のある騎手をピックアップしてみました。

 

武豊騎手

いうまでもないでしょう。

 

競馬を知らない人でも武豊・ディープインパクトの名前を知っている人は数多く存在しているでしょう。

 

今もターフで活躍する武豊騎手は1969年に滋賀県で産まれ、幼少期のころから馬が身近にいる環境で育ちました。

 

簡単に武豊騎手の成し遂げた功績をまとめます。

 

1987年にデビューし、デビュー1年目にして69勝をあげました。翌年の1988年には菊花賞にてスーパークリークにて菊花賞を初制覇します。史上最年少でのクラシック制覇を成し遂げました。

 

90年代になると武豊騎手は数多くの舞台で活躍します。一時は武豊騎手の勝率が4割近く超えることもあり、武豊騎手が騎乗する馬はそれだけで人気するほどでした。1998年にスペシャルウィークで初ダービー制覇を成し遂げると翌年にアドマイヤベガで再びダービーを制覇し、史上初となるダービー連覇を成し遂げます。

 

2005年にディープインパクトにてクラシック三冠を制します。また、ディープインパクトはデビューから無敗で三冠馬となりました。2013年にトーセンラーにてマイルチャンピオンシップを制覇したことで史上初となるG1競走100勝を達成します。2018年に通算勝利数4000勝を達成。2019年の菊花賞にてワールドプレミアで制覇。これにより昭和・平成・令和と3つの年号のG1を獲得した初騎手となります。

 

簡潔にまとめさせていただきましたが、50歳を過ぎても全く衰えを感じさせないまさに生きる伝説ともいえるでしょう。2020年1月時点でもリーディングジョッキー3位をキープしています。

 

2019年に凱旋門賞で騎乗したアイルランドの競走馬であるジャパンが日本のキーファーズによって共同所有となりました。武豊騎手の凱旋門賞制覇のためにキーファーズのオーナーが購入したそうです。

 

現役でまだまだ活躍している武豊騎手が今後、どのような伝説を残してくれるのか注目したいですね。

 

参考:武豊騎手に関する記事まとめ(成績〜名言・伝説まで)

 

佐藤哲三騎手

現在は競馬評論家、また、競馬予想をスポーツ紙のニッカンスポーツにも掲載している佐藤哲三さんも現役時代はすばらしいパフォーマンスを挙げた騎手です。

 

デビューは1989年で吉岡厩舎所属騎手としてデビューします。デビュー1年目こそ8勝に終わりましたが2年目には27勝をあげ、3年目には33勝を上げて実力をつけてきました。

 

ところが、デビュー5年目に落馬負傷に合い、その影響でその年は成績を落とします。落馬の影響からか6年目も勝ち星をあげることが出来ず、所属厩舎の吉岡氏に一度、外の世界を見てきたほうがいいといわれ、フリーへ転向します。

 

フリーとなった佐藤さんを多くの厩舎が受け入れてくれたことで、多くの有力馬に騎乗することが出来ました。1996年にマイネルマックスで朝日杯FSを制覇したことで自身初となるG1タイトルを手にします。このころになると落馬以前のパフォーマンスを取り戻しており、自身最多となる年間勝ち星70勝をマークしました。

 

その後の佐藤哲三さんは落馬の影響をものともしない活躍をして、多くの関係者から信頼を集めることとなります。有力馬にも恵まれました。

 

佐藤哲三さんの持ち馬で有名な馬は

ジャパンカップ・宝塚記念を制したタップダンスシチー

ダートのG1を7つ制したエスポワールシチー

レコードで宝塚記念を制したアーネストリー

がいます。

 

順風満帆といった佐藤哲三さんでしたが2012年の11月に出走したレースで落馬してしまいます。落馬の際、内ラチに激突してしまった佐藤哲三さんは全身7箇所の骨折をしてしまいました。重体の状態で病院に運ばれましたが命に別状はなく、懸命なリハビリの成果もあり、予定よりも2か月ほど早く、退院されたそうです。ところが、左腕のみは手術を再度行っても戻ることはなかったために、引退を決意されました。

 

少しエピソードを加えさせていただくと、2013年の日本ダービーを制したキズナの主戦騎手は佐藤哲三さんでした。ところが2012年の落馬の際に佐藤哲三さんが騎乗できなくなり、武豊騎手がキズナの手綱を握ることとなります。そして、キズナは武豊騎手を背に日本ダービーを制しました。

 

日本ダービーを制した後、武豊騎手は

(佐藤哲三さんの)悔しさが分かるから、彼の思いをきちんと胸に抱いて乗りたい、そのつもりで騎乗した

と語られました。

 

福永洋一騎手

高知県出身の天才騎手と呼ばれた福永洋一さんも歴代で最強と呼ばれる騎手の一人でしょう。息子の福永祐一騎手は現在も中央競馬で活躍されている騎手ですね。

 

福永洋一さんは馬事公苑(現在の競馬学校)の15期生として入所します。この15期生には武豊騎手に抜かれるまでJRA最多勝利記録を保持していた岡部幸雄さん、数々のG1を手にした柴田政人さん、メジロマックイーンの父であるメジロティターンで天皇賞(秋)を制した伊藤正徳さんがいて、「花の15期生」と呼ばれます。

 

その中でも福永洋一さんは同期の騎手や競馬関係者から「天才」と呼ばれる人でした。洋一さんは運動神経はよいほうではありませんでしたが、騎乗したら馬の力を最大限に発揮させることができる騎手でした。

 

例えば普段全く走らない馬でも洋一さんが騎乗することでスイッチが入ったかのように激走することが多かったのです。それだけでなく、逃げ馬を追い込み競馬で勝利に導いたり、逆に追い込み馬で逃げるようなトリックプレーも行いました。

 

多くの関係者が洋一さんが騎乗することでなぜ馬が好走するのか疑問に思っていたそうですが、当の洋一さん本人もよく分からなかったようで、そのことが天才と呼ばれる所以となっています。

 

走らない馬でも適正に疑問のある馬でも馬券内に持ってくることから、馬券購入者の中で、洋一さんが騎乗する馬はとりあえずマークする必要があるといわれるほどになりました。

 

デビュー3年目にリーディングジョッキーの座を獲得すると、以降9年間にわたりリーディングジョッキーとして君臨します。その間にも数多くの名馬と出会いました。

 

初のクラシックを獲得したニホンピロムーテー

天皇賞(秋)を制したヤマニンウエーブ

名ステイヤーであるエリモジョージ

桜花賞と当時の秋華賞に当たるエリザベス女王杯を制したインターグロリア

 

一流騎手として名乗りを上げながらも謙虚な対応と愛嬌のあるスマイルで多くの競馬関係者どころかライバルである騎手からも親しくされていました。

 

ところが、1979年の毎日杯で落馬負傷してしまいます。洋一さんと親交があり、この毎日杯の実況を務めた杉本清氏によると、「彼(洋一さん)は調教の頃からよく落馬していたから気にも止めなかった」と語られていましたが、落馬の際に頭を強く強打し、意識不明となってしまいます。

 

また、落馬の際に舌の3分の2をかみ切ってしまったことで、窒息しかねない状況に陥っていました。懸命な治療の末に命は助かりましたが頭を打ったことで後遺症が残ってしまいます。

 

1年間のリハビリを経て、自力歩行できるまでには回復しましたがこの落馬の後遺症のために騎手を引退します。

 

現役時代は多くの名馬とともにビッグタイトルを手にしましたがホースマンの夢である日本ダービーを制することはできませんでした。

 

落馬の際に当時2歳だった息子の福永祐一騎手が39年後の2018年にワグネリアンで日本ダービーを制することとなります。

 

また、洋一さんの功績は出身地である高知でも継がれています。四国唯一の競馬場である高知競馬場では2010年から重賞競走「福永洋一記念」が設立されました。

 

岡部幸雄騎手

馬事公苑花の15期生の一人である岡部幸雄さんはデビューから40年近くJRAに所属したレジェンドともいえる存在です。

 

特に競馬界にもたらした影響は計り知れないものがありました。

 

岡部さんの伝説 未だに最強と名高い三冠馬であるシンボリルドルフの主戦騎手

シンボリルドルフは84年の三冠馬で、その他にも天皇賞(春)、天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念と合計で7つのG1を獲得した名馬です。

 

また、産駒には皐月賞・ダービーを制し、1年ぶりの休み明けで有馬記念を制したトウカイテイオーがいます。

 

シンボリルドルフ×岡部幸雄騎手のコンビが人馬ともに一躍競馬界で有名になったのです。

 

岡部さんの伝説 フリーの先駆者

当時は所属厩舎の馬に騎乗するのが主流で、自分の乗りたい馬に乗れる機会は少なかったのです。

 

例えば、岡部さんは桜花賞に出走するダイナカールに騎乗できなかったことから、当時では異例のフリー宣言をします。

 

フリーになってからは騎乗したい馬に騎乗することができ、当時の騎手に大きな影響を与えます。

 

今ではトップジョッキーはフリーの騎手が多いですが、その先駆者は岡部さんだったのです。

 

岡部さんの伝説 海外で学ぶ

1967年にデビューした岡部さんは国内で勉強に育みますが、1971年に初めてアメリカで生の競馬を見た時に、競走馬のたくましさ、騎手や関係者の情熱、競馬全体のレベルの高さに感銘を受けたといわれています。

 

その後も独学で英語を勉強しながらアメリカに渡っており1972年、初めてアメリカに遠征に行った翌年にアメリカで実際に競走馬に跨り、アメリカの競馬場に出走されました。

 

岡部さんの伝説 馬至上主義

岡部さんの競馬スタイルに「馬至上主義」というものがあります。これは馬に過度な負担をかけずに、現時点での馬のポテンシャルでレースに勝つスタイルです。

 

元々岡部さんが騎乗していたマティリアルという馬がダービーを目指して成長途中の身体に無理なトレーニングを重ねたことで、晩年にターフで骨折、そして予後不良になったことから馬目線で競馬をするようになったそうです。

 

こういったスタイルは時には岡部さんの馬の馬券を買っていたファンから怒号が飛び交ったり、関係者から愚痴が漏れることもあったそうですが、それでもこのスタイルを貫き通しました。

 

しかしながら、馬の負担を限りなく少なくするという騎乗スタイルで岡部さんが常に競馬界の中心にいたのは岡部さんに基礎的なものが備わっていたからでしょう。

 

例えばレースで無駄なコースロスなく運んだり、騎乗時に激しい動きを抑えたりします。

 

無駄を徹底的に省いた最小限の動きで数多くの馬を勝利に導きました。

 

デビューから40年近く、常に競馬界の中心にいられた岡部さんは2005年に身体の不調から、思うような競馬ができなくなったことを機に騎手を引退することとなります。

 

引退後は競馬評論家として、多くの競馬番組や雑誌に出演されています。

 

参考:最年長G1勝利記録!岡部幸雄騎手の伝説、武豊騎手との関係などを紹介

 

柴田政人騎手

同じく馬事公苑花の15期生である柴田政人騎手を紹介します。現役で活躍している柴田善臣騎手は柴田政人さんの甥に当たります。

 

追い込みの柴田と呼ばれるほど、追い込み騎手の代名詞として知られる存在となり、同期の岡部さんや福永洋一さんとしばしば比較されました。

 

特に岡部さんは馬至上主義を貫いていて、柴田さんは逆に激しい追い込みでレースを勝利していて真逆の存在でした。性格的にも岡部さんはフリーの騎手として数多くの厩舎の馬に騎乗しましたがそれに対して柴田さんは義理人情に厚い方で、厩舎に乗せてもらった馬は自分で手綱を握り、また、他の騎手で名乗りを上げた馬には乗らないといった義理を持ち合わせていました。

 

このように、性格、考え方はは岡部さんとまるで真逆でしたがプライベートでは非常に仲がよかったそうです。同じく福永洋一さんとも仲が良かったそうです。それぞれ東と西の騎手だったので交流する機会は少なかったのですが夏の北海道開催の時期は同室で過ごすほどの仲だったようです。福永洋一さんが落馬で意識不明の重体の時は関東から真っ先に駆け付けたそうです。

 

そんな、追い込みの柴田騎手のエピソードはなんといってもダービーに対する強いこだわりでしょう。デビューからダービーにこそ騎乗できてはいますが有力馬に恵まれず、勝ち切ることができませんでした。年月を重ねるにつれ、ダービーに対する意欲はいよいよ強くなります。

 

転機が訪れたのはデビューから30年以上立った1993年。新馬戦で騎乗し、弥生賞を制したウイニングチケットとともにダービーに挑むこととなりました。柴田騎手にとっては有力馬でのダービー出馬は初といってもよく、多くの競馬ファンもウイニングチケットの馬券を購入します。

 

1番人気となったウイニングチケットは府中の直線で先頭に立つと、ライバルであるビワハヤヒデやナリタタイシンらの追い込みを退け見事優勝したのです。晴れてダービージョッキーとなった柴田さんはそれまで「ダービージョッキーになったら騎手を引退してもいい」と話されていました。

 

その後も騎手としてターフに戻ってきましたがダービージョッキーとなった翌1994年に落馬負傷のために引退することとなりました。引退後は調教師として第二の競馬人生を歩みましたが重賞馬を輩出することはできず2019年に引退されました。

 

まとめ

競馬の歴史は歳月を重ねていくことに更新されていきます。

 

今回、当記事を執筆するにあたってどの騎手を取り上げようか非常に悩みました。

 

例えば現役でリーディング上位の川田騎手や横山典弘騎手、ルメール騎手を取り上げることで現在競馬に携わっている方にも親近感の沸く記事にしようかと思いましたが、今回は引退した騎手を中心に記事をまとめることにしました。これは、競馬界に影響をもたらした騎手の存在を多くの人に知ってもらいたかったからです。

 

ただし、現役で活躍している武豊騎手だけは外せません。かつて岡部さんが成し遂げた最多勝利記録を上回り4000勝を達成されましたし、50歳にしてG1タイトルを獲得していたりと、現在なお新たな記録を更新されている武豊騎手は外せませんでした。武豊騎手以外に取り上げた方は皆騎手を引退された方です。

 

かつての競馬の偉業をつたない文章で執筆させていただけました。一人でも多くの人が過去の競馬のエピソードに興味を持っていただけたら幸いに思います。

 

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