競馬を予想するにあたって、血統を重視する方は意外と多いでしょう。
競馬は別名「ブラッドゲーム」と呼ばれているように、血統を見ながらコース適正を予想する人も多いです。実際に血統における特徴は産駒にも引き継がれています。
例えばディープインパクト産駒は3歳の頃の成績がよかったり、ステイゴールド産駒はパワーとスタミナが豊富で身体が強かったり、サクラバクシンオーの産駒は短距離で成績を出していたりします。
また、母親の影響も産駒に引き継がれます。母親がG1ホースであったり母親の血統背景が良血であるとその産駒の価値は高くなるといわれています。
当記事では実際にレースで活躍した良血馬を日本馬・海外馬に分けて紹介します。
日本で活躍した良血馬
キングヘイロー
父はアメリカで生産されたイギリスの競走馬であるダンシングブレーヴ。ダンシングブレーヴはイギリス2000ギニー、エクリプスステークス、キングジョージ6世&クイーンエリザベスカップ、凱旋門賞と、4つのG1を1年のうちに獲得しました。
母はアメリカの競走馬であるグッバイヘイローでケンタッキーオークスをはじめG1タイトルを7つ獲得した名馬です。
外国産駒の両親をもつキングヘイローは世界的に見ても超良血馬として知られており、主戦を務めた福永祐一騎手にとっても初めて挑んだダービーがキングヘイローだったこともあり思い入れの強い一頭だといわれています。
デビューから3連勝を飾り、クラシック候補として有力視されるも、皐月賞で2着、ダービー14着、菊花賞6着とクラシックタイトルを掴むことはできませんでした。
5歳(現在の4歳)初戦に挑んだ東京新聞杯、中山記念を連勝し、古馬となって成長が見られたかに思えましたがそこから勝ち切ることが出来ませんでした。
世間では挫折したエリートというレッテルが下されます。
また、同期にグランプリ3連覇を成し遂げたグラスワンダー、武豊騎手の初ダービー制覇に貢献したスペシャルウィーク、皐月賞と菊花賞を制したセイウンスカイ、凱旋門賞で2着に健闘したエルコンドルパサーといった馬がいたためにキングヘイローが霞んでいたのも事実でしょう。
しかしながら中山記念の勝利を最後に、連敗を重ねながらも諦めずにターフを走るキングヘイローに内心胸を寄せていたファンも少なからずいました。
そのキングヘイローが再び勝利を手にしたのが2000年の高松宮記念です。
このころには主戦騎手は福永騎手から柴田善臣騎手に変わっていました。
そのキングヘイローが最後方からの鋭い追い込み競馬でアグネスワールドやブラックホークといった人気馬を捕らえて見事優勝したのです。
中山記念の勝利から実に8戦ぶりの勝利を手にしたキングヘイローを前に調教師の坂口氏は大粒の涙をこぼし、鞍上の柴田善臣騎手もキングヘイローの勝利に喜びました。
そして高松宮記念でクビ差の2着に入選したディヴァインライトに騎乗していた福永祐一騎手は後に悔しかったレースとしてこの高松宮記念を挙げています。
「(一番悔しかったレースは)キングヘイローが勝った高松宮記念。自身の手でG1を勝たせてあげられなかったことと、キングヘイローがG1を手にした喜びで…複雑でした」
と述べられています。
その後は勝ち切ることはなく、暮れの有馬記念を最後に引退しました。
生涯成績27戦6勝。
引退後は北海道の新冠町にある優駿スタリオンステーションにて種牡馬となります。
G1タイトルは1つしか手にできませんでしたが血統背景が豪華なことと、種付け料が100万円とお手頃な価格だったため多くの繁殖牝馬と交配しました。
キングヘイローの代表産駒は
オークス・秋華賞の二冠を手にしたカワカミプリンセス
短距離G1を制したローレルゲレイロ
AJCCを制したクリールカイザー
地方短距離ダートで高齢になるまで活躍したキタサンミカヅキ
短距離重賞を制したダイアナヘイロー
同じく短距離重賞タイトルを手にしたダイメイプリンセス
がいます。
2019年の3月にキングヘイローは老衰のため亡くなりました。
奇しくも自身が手にした高松宮記念が開催される週に亡くなり、その高松宮記念で主戦を務めた福永騎手がミスターメロディで高松宮記念を制することとなりました。
ミスターメロディ鞍上の福永騎手が勝利インタビューで
「キングヘイローが後押ししてくれたのかな…」
と語られました。
エアグルーヴ
父は凱旋門賞を制したトニービンで母はオークスを制したダイナカールです。
ダイナカールの仔は母の活躍とは裏腹に活躍できる馬は少なかったのですが、このエアグルーヴは競走馬時代も繁殖馬としても大活躍しました。
チューリップ賞を制して桜花賞の最有力候補として名乗りを上げたものの熱発を発症したために回避します。続くオークスはぶっつけとなりましたが直線で鮮やかに抜け出し2着馬に1馬身半差の勝利。母仔のオークス制覇となりました。
秋の初戦は秋華賞です。こちらも調整の関係でぶっつけ本番となりますが、レース中に骨折してしまい10着に敗れてしまいます。
長い療養生活を経て挑んだ初戦はG3のマーメイドステークスでした。ここをあっさり勝ち切ると続く札幌記念も勝利し天皇賞(秋)へと挑みます。
天皇賞(秋)では昨年、古馬でないと勝てないというジンクスをぶち破ったバブルガムフェロー相手にたたき合いの末に勝利します。
続くジャパンカップはイギリスのピルサドスキーの2着に健闘、暮れの有馬記念でも3着に好走します。
翌年、当時G2の産経大阪杯を勝利し、2着に敗れた鳴尾記念を経ていどんだ宝塚記念では3着。夏の札幌記念でサイレントハンターを抑えて連覇を達成します。
秋の初戦のエリザベス女王杯は3着、続くジャパンカップはエルコンドルパサーの2着、引退レースとなった有馬記念では5着でした。
G1タイトルを2つ獲得し、重賞タイトルを5つ獲得して引退しました。
同じ牝馬のジェンティルドンナやウオッカほどG1は獲得していませんが、現役時代に骨折したにも関わらず、生涯成績は(9-5-3-2)と牡馬相手でも非常に安定した成績を誇っていました。
また、特に東京競馬場における成績は(3-2-0-0)と連対率100%で、トニービンの仔が府中を得意と世間に認識させたのもエアグルーヴの功労だといえるでしょう。
引退後は繁殖牝馬となり、初年度産駒のアドマイヤグルーヴや現在種牡馬となっているルーラーシップをはじめ、多くの名馬の母となりました。
現在もエアグルーヴの血を継いだ仔がターフで走っているように、その血統が途切れることは当分ないでしょう。
ドゥラメンテ
社台ファームが産んだ奇跡の結晶ともいうべき存在です。
父は非サンデーサイレンス系として数多くの名馬を輩出してきたキングカメハメハ。
母はエリザベス女王杯を連覇したアドマイヤグルーヴです。アドマイヤグルーヴの母は先ほど紹介したエアグルーヴです。
キングカメハメハ×サンデーサイレンス×トニービンの血を持つ文句なしの良血馬です。
2014年の10月にデビューしますがここでは大きく出遅れてしまい2着に敗れてしまいます。
しかし、続く未勝利戦は6馬身差の圧勝。
3歳初戦に選んだセントポーリア賞でも5馬身差のぶっちぎりで勝ち切りました。
初めての重賞に挑んだのは共同通信杯です。ここでは後に皐月賞で2着、ダービー4着、菊花賞で2着に健闘するリアルスティールとの初戦となりました。ここではゲートをうまく出て、先行する形で競馬をすることになりましたが本来差しきりを得意とする馬だったために、道中立ち回りのよかったリアルスティールに差されてしまい2着入選となります。
皐月賞は賞金的に出走できるか微妙でしたが36年ぶりのフルゲート割れのために出走が叶いました。
この皐月賞で1番人気に支持されたのは弥生賞を制したサトノクラウンです。2番人気は共同通信杯を制したリアルスティールで、ドゥラメンテは初の中山競馬ということもあり3番人気まで支持を落としました。
しかしながら4コーナーから直線にかけて大きく斜行しながらも外に持ち出し、中山の直線の急坂をものともせず駆け抜け、前で競馬をしたリアルスティールやキタサンブラックをあっさりかわして1着でゴールインをします。
そのパフォーマンスの高さ、直線の短い中山で上がり3F33.9秒というディープインパクトの皐月賞の上がりよりも速いペースを叩き出したことから多くの関係者に評価されることとなります。
この後に向かったのはもちろん日本ダービーでした。
皐月賞のパフォーマンスを見た関係者は2冠は確実と、太鼓判を押します。実際にダービーでは単勝1番人気で1.9倍の支持を集めました。
少し話を逸らすと、ドゥラメンテの世代は決してドゥラメンテ一強というわけではなく、むしろ名馬が多かった時代だと思います。
例えば
・最終的にG1タイトルを7つ獲得を獲得するキタサンブラック
・一時はスランプに陥りながらも香港ヴァーズ、宝塚記念の2つのG1を手にしたサトノクラウン
・生涯で勝ち星わずか4勝ながらもG1を含む、重賞タイトルを3つ獲得したリアルスティール
このように3歳のころから活躍し、古馬となって年齢を重ねながらも大舞台で活躍した馬が多く存在していることからこの世代の馬は非常にレベルが高かったことが分かります。
その中でダービーで1.9倍の支持を集めたのは一重に皐月賞におけるパフォーマンスが非常に高かったからでしょう。
世代最強ホースを決める戦いとなった日本ダービーでは、後方から府中の長い直線を駆け抜け2着に入選したサトノラーゼンに2馬身弱突き放して2冠を達成しました。
父であるキングカメハメハのレコードをコンマ1秒上回るパフォーマンスにだれもがこの馬こそがこれからの競馬界を担う存在だと誰もが信じて疑いませんでした。
しかし、夏の放牧で両前肢を骨折してしまいました。夏の骨折により、秋競馬への挑戦が難しくなったドゥラメンテは治療に専念することとなりました。
復帰したのは中山記念でした。
中山記念は例年スーパーG2といわれるほどに豪華メンバーが揃います。
この年も
共同通信杯でドゥラメンテに先着したリアルスティール
ドゥラメンテよりも一つ上の皐月賞馬であるイスラボニータ
更に一つ上の皐月賞馬ロゴタイプ
夏に実績を残した中距離馬アンビシャス
といった豪華メンバーが揃いました。
ダービーから9か月近い休み明けということもありましたが最終的には単勝人気2.1倍の1番人気に支持されました。
復活の初戦は3歳のときのように直線での追い込み競馬で勝負します。さすがに怪我・休み明けということもあり最後は2着馬アンビシャスに詰め寄られながらも、クラシックホースのプライドを感じさせる強い走りでアンビシャスを抑えて見事優勝。怪我・休み明けとしては十分すぎるほどのパフォーマンスを披露しました。
その後挑んだのはドバイシーマクラシックです。ここでは本場馬入場後に右前肢の落鉄が判明し、打ち直しの時間がないまま、右前肢は裸足のまま出走します。その影響もあってかイギリスのポストポンドに敗れてしまいました。
日本に帰国してから挑んだのは春のグランプリレースである宝塚記念でした。
この年の宝塚記念は出走頭数17頭、そのうち6頭がG1馬で出走馬全てが重賞馬というグランプリレースに相応しいメンバーが揃いました。
その中でもドゥラメンテは1.9倍の支持を得ます。
海外帰り、休み明け、梅雨の時期の稍重馬場ということもあり、追い込み馬のドゥラメンテにとって苦しい展開でした。
道中内に包まれたことで外に持ち出すのも苦しい中、直線でなんとか抜け出し猛追を仕掛けますが先に抜け出したマリアライトを捕らえきれずに2着に敗れてしまいます。
悲劇はこの後に起こりました。レース直後にドゥラメンテの肢に支障が判明。鞍上を務めていたデムーロ騎手は下馬し、ドゥラメンテは馬運車にてターフを去ります。
レース後、右前肢ハ行が判明し、予定していた凱旋門賞は白紙。そのまま引退することとなりました。
生涯成績わずか9戦ながらも皐月賞・ダービーで強い勝ちっぷりを見せました。
怪我に弱かったことだけが悔いられますが、同世代で後に才能を開花するキタサンブラックには生涯3戦して1度も先着を許さなかったことなどを踏まえても未だに最強ダービー馬と呼ぶ人もいます。
引退後は社台スタリオンステーションで種牡馬として活躍しています。
ドゥラメンテはキングカメハメハの血もサンデーサイレンスの血も入っているため交配相手の多くは海外の牝馬です。ドゥラメンテ産駒は2020年にデビューする予定です。
参考:次世代を担う!?ドゥラメンテ産駒の特徴、評判、主な産駒の紹介!【種付料・種付頭数も】
海外で活躍した良血馬
キングズベスト
キングズベストはアメリカの競走馬です。父はフランスの大型種牡馬であるキングマンボ。母はアレグレッダです。
キングズベストが良血と言われる所以は半姉に牝馬ながらに凱旋門賞を制したアーバンシーの存在が大きいといわれています。
アーバンシーは凱旋門賞馬として有名ですが、それ以外のレースで大車輪の活躍を見せたかというとそうではなかったため、キングズベストの評価はものすごく高くはありませんでした。
実際にキングズベストはデビューから2連勝を飾りましたが3戦目に挑んだニューハーストステークスではしんがり負けをしてしまいます。
この年は通算成績3戦2勝で幕を閉じます。
翌年、初戦に選んだクレイヴンステークス(G3)で2着に好走し、クラシックレース第一戦目となるイギリス2000ギニー(G1)に挑みます。日本の皐月賞にあたる2000ギニーは日本では全く馴染みのない27頭立てで行われることとなりました。
キングズベストはそれまで最大でも8頭立てのレースでしか走っていないためそのギャップは明らかにマイナス要素です。
相手関係で見ても
4戦無敗で挑むこととなるジャイアンツコーズウェイ
グリーナムステークスで1着に入選したバラシアゲスト
5連勝中のプリモバレンティノ
といった有力馬がそろいました。
4番人気に支持されたキングズベストは初めての経験となる多頭数競馬に応じもせずに自分のペースで競馬をしていたようです。道中は中段くらいで競馬をし、残り400mで先に抜け出したジャイアンツコーズウェイをあっさり差し切ります。2着に入選したジャイアンツコーズウェイに3馬身半差の勝ちっぷりを見せつけました。
非常に強いポテンシャルを表明したキングズベストはイギリスダービーの最有力候補に支持されますが、筋肉痛のために出走を断念します。
代わりに挑んだのがアイルランドダービーでした。1000ギニーの時と比べると11頭立ての少数レース。メンバーレベルはダービーということもあり決して低くはありませんでしたがキングズベストは思うような競馬ができずに終始後方で競馬をすることとなります。
そして、レース中に骨折してしまい、競走を断念。そのまま引退することとなりました。
獲得したG1タイトルは2000ギニーのみでしたがこの時の2着馬であるジャイアンツコーズウェイが生涯で芝・ダート問わずにG1タイトルを6つ獲得し、連闘でも結果を残したアイアンホースでなおかつ種牡馬としても大成功を収めていることで相対的にキングズベストの評価もあがりました。
引退したキングズベストはアイルランドにて種牡馬生活を送ります。シャトル種牡馬として各国々で種牡馬生活を送り、日本にも2013年に輸入されます。
2019年に疝痛のために亡くなりました。
代表産駒に
凱旋門賞を制したワークフォース
2010年の日本ダービーを制したエイシンフラッシュ
がいます。
ガリレオ
ガリレオはアイルランドの競走馬、種牡馬です。父は大型種牡馬であるサドラーズウェルズで母は凱旋門賞を制したアーバンシーです。アーバンシーは先ほど紹介したキングズベストの半姉です。
そのパフォーマンスは2歳のころからすでに発揮されました。
デビュー戦では2着馬に14馬身差の大圧勝。3歳になってからも2連勝をかざり、イギリスダービーへ向かいます。
ここでは2000ギニーを制したゴーランがいましたが、ガリレオは1番人気に支持されます。道中固まってレースを進め、仕掛けどころでガリレオは動きます。一度先頭に立ったガリレオは後続を全く寄せつけない走りを見せ、2着馬ゴーランに3馬身半差をつけ優勝します。
続いて挑んだのはアイルランドダービーです。イギリスダービーで2着に入選したゴーランがここでも挑んできましたが道中、馬のペースに合わせてじっと我慢し、残り400mで鞍上のキネーン騎手がゴーサインと言わんばかりに鞭を一度だけ使います。するとガリレオの反応は素晴らしく、瞬く間にエンジン全開にしてゴール板を駆け抜けました。2着馬に4馬身差をつける圧勝劇だったのです。
次に挑んだのは古馬中距離G1のキングジョージ6世&クイーンエリザベスカップです。
当時欧州競馬最強といわれるファンタスティックライトを筆頭に、日本でもなじみのあるストーミングホームが立ちふさがりましたがデビューから無敗で英・愛の二つのダービーを制したガリレオは1番人気に支持されることとなります。
初の古馬戦となったガリレオは道中中段で競馬をします。人気のファンタスティックライトは後方から出方をうかがいます。3コーナーから4コーナーにかけてガリレオが徐々に進出し、直線に入ります。すぐさまファンタスティックライトがガリレオに並びかけるように追い込みを仕掛けますがガリレオはファンタスティックライトを寄せ付けず2馬身半差で勝利したのです。
3歳上半期に二つのダービーを制覇し、初の古馬戦となったキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスカップで当時最強のファンタスティックライトに勝ち切ったことで誰もが認める名馬の座を獲得しました。
3歳の後半は凱旋門賞も視野に入れていたそうですが初戦に選んだのは芝2000mのアイルランドチャンピオンステークスでした。しかしここではキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスカップで完全に撃破したファンタスティックライトにリベンジを果たされ2着に敗れてしまいます。
次に陣営が選んだのはアメリカのベルモントパーク競馬場で開催されるダートのブリーダーズカップクラシックです。初のダートということもあり6着に敗れ、そのまま引退することとなりました。
引退後はアイルランドにてポストサドラーズウェルズとして種牡馬生活を営むこととなります。初年度から数多くのG1ホースを輩出しています。
日本で馴染みのあるガリレオ産駒はなんといっても14戦14勝と一度も負けなかったフランケルでしょう。
その他にも新馬戦でフランケルの2着に敗れたナサニエルもガリレオ産駒で、ナサニエルの仔であるエネイブルは凱旋門賞連覇を成し遂げましたね。
その他の産駒も数えきれないほどの重賞、G1ホースが存在し、アイルランドに留まらず、イギリス、フランス、イタリアといった欧州国以外にもアメリカやオーストラリアでも大活躍しています。
しかしながら日本で活躍したガリレオ産駒は意外といないのです。ガリレオの血を継いだ仔が初めて日本のG1を手にしたのは2016年の阪神JFを制したソウルスターリングが最初です。
また、ブルードメイサイヤーとして重賞制覇を成し遂げた馬に2018年のフラワーカップ・ローズステークスを制したカンタービレがいます。現在も現役で種牡馬として活躍しています。
さらに多くのG1ホースを輩出することが期待されています。
参考:超良血馬Galileo(ガリレオ)の血統、代表産駒と特徴の紹介。日本での活躍は?
(オマケ)日本で一番の良血馬?ゴールデンカラーズ
巷で日本一の良血と言われているゴールデンカラーズの血統背景を見てみます。
父は米国の種牡馬として君臨したミスタープロスペクターでゴールデンカラーズはミスタープロスペクターの直子となります。
ちなみにミスタープロスペクターの父レイズアネイティヴは怪我に泣かされ2歳時にしか走っていないにもかかわらず4戦4勝と輝かしい成績を残しました。ミスタープロスペクターの母はゴールドディガーでケンタッキーオークスにて2着に好走しました。
ゴールデンカラーズの母は史上3頭目となるケンタッキーダービーを制した牝馬として名乗りを上げるウイニングカラーズでした。母の父であるカロはフランス2000ギニーを制した馬でその父フォルティノは短距離で活躍しました。フォルティノの父は芦毛の祖であるグレイソヴリン。その父は世界の競馬界に多大な影響を与えたナスルーラです。
外国馬の名馬どころを集めたゴールデンカラーズは現在でもトップクラスの良血馬と知られる存在として1995年にデビューしました。
しかしながら、良血馬として著しい活躍を見せることができず、OPレースを勝ったのを最後に1997年に引退しました。
通算成績は10戦3勝でした。
まとめ
いかがでしたか。日本でも馴染みのある名馬から日本でも影響を与えている外国馬まで集めてみました。
この他にも海外の良血馬は数多く存在するため機会があればまた紹介したいです。
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