メイショウドトウ(京都競馬場、引退式) 出典: wikipedia
メイショウドトウという馬をご存じでしょうか。
同期はテイエムオペラオー(皐月賞馬)やアドマイヤベガ(ダービー馬)、ナリタトップロード(菊花賞馬)がいます。
クラシックをつかめなかったもののメイショウドトウを応援するファンは数多く存在します。
今回は20世紀の暮れから21世紀のはじまりにかけて、テイエムオペラオーやナリタトップロードとともに競馬界を大いに盛り上げた功労馬であるメイショウドトウについてまとめさせていただきました。
血統(〇外)
父は外国馬のbigstones、母はプリンセスリーマです。
メイショウドトウはアイルランドで生産された馬で〇外にあたります。
落札価格500万円
メイショウドトウは〇外にも関わらずセリ価格は破格の500万円で落札され輸入されました。
500万円で落札されたにもかからわず最終的には宝塚記念を制してG1馬の仲間入りを果たすのです。近年500万円以下で落札されたG1馬は皆無。
セリ時代からメイショウドトウは逸話を持っていたのです。
ちなみにメイショウドトウのライバルであるテイエムオペラオーもセリ価格は1000万円でした。同期のライバルがセリでは大して評価されていなかったのは何とも不思議な話ですね。
4歳のメイショウドトウ
メイショウドトウのデビューは1999年の1月です。
デビューはなんとダート戦。4歳新馬(現在でいう3歳新馬)にてレースをしますが2着に敗れます。
その後も4戦連続で中距離ダートで使われましたが2勝しかできず、そこまでパッとした結果を残せませんでした。
夏の札幌開催で陣営は芝への転向に乗り切りますが、夏の札幌は3戦使われて最高入選順位が2着と、ここでも勝ち切ることはできませんでした。
しかし4歳の秋のレースでは条件戦ながらも2勝を果たし5歳の1月開催の日経新春杯で8番人気を覆す勢いで2着に入選。
オープン馬となったメイショウドトウは当時3月に開催されていた中京競馬場開催の中京記念をレコードで勝利し見事重賞馬の仲間入りを果たします。
このようにメイショウドトウはクラシックに全くと言っていいほどの無縁な馬だったのですが、条件戦で着実に賞金を積み重ねた結果、翌年初春の重賞に出走できるまで力をつけました。重賞でも上位争いに加わったり結果を残したことでしっかりと成長していることが分かりますね。
同期のクラシックホースたち
条件戦で賞金を加算していたころのクラシック前線を見てみましょう。
冒頭でも触れたようにメイショウドトウの同期のクラシックホースは
テイエムオペラオー
アドマイヤベガ
ナリタトップロード
の3頭が上から皐月賞・ダービー・菊花賞を制しました。
この中でもとくに有名なのはテイエムオペラオーかと思います。クラシックは皐月賞しか獲得していないものの古馬になってから覚醒。その年の中・長距離G1を全て制覇するグランドスラムを成し遂げた競馬史上ただ一頭の馬でもありますし若き和田竜二騎手を育てた馬でもあるテイエムオペラオー。
最終的にテイエムオペラオーが獲得した金額は18億3518万円。この記録は海外でも獲得賞金額のリーディングを保持していて、2017年に海外のアロゲートが塗り替えるまでトップの座に君臨していました。国内においても2017年に引退したキタサンブラックが塗り替えるまではテイエムオペラオーが賞金額のトップだったのです。
テイエムオペラオーの活躍が目覚ましいですがアドマイヤベガ・ナリタトップロードの2頭も侮れません。
アドマイヤベガは父サンデーサイレンス・母は桜花賞とオークスを制したベガ。
全弟であるアドマイヤドンも重賞を勝っている馬で超良血一族です。
皐月賞・菊花賞こそ6着に敗れてしまいましたがダービーは武豊騎手の好判断も相まって見事優勝。武豊騎手は前年のスペシャルウィークに続いてのダービー制覇となり、史上初となるダービー連覇を成し遂げました。
菊花賞のあとは宝塚記念を目標に調整されていましたが繋靭帯炎が発覚し、引退することとなります。
種牡馬に上がってからも平地、障害問わず重賞馬を輩出したことで一時はリーディング10位にまで上り詰めましたが8歳の時に偶発性胃破裂のためこの世を去りました。
ナリタトップロードはテイエムオペラオーのライバル的存在で主戦の渡辺騎手とともに菊花賞を勝ち取った馬です。
古馬になってからも好走するのですが覚醒したテイエムオペラオーには勝つことができず、古馬になってから一度もテイエムオペラオーに勝つことなくテイエムオペラオーが先に引退しました。
しかしながら古馬の中・長距離路線で好走した馬で大きな怪我もなく古株になってからも上位争いをした馬主孝行馬です。
ナリタトップロードも種牡馬として重賞馬を輩出しましたが種牡馬三年目の年に心不全のため亡くなってしまいました。
永遠のライバル・テイエムオペラオー
写真(2001年 天皇賞春 出典:wikipedia)
4歳の冬時期からパフォーマンスを上げ5歳にして中京記念を勝利し、初の重賞タイトルを手にしたメイショウドトウ。
その勢いはとどまることを知らず、その後もメトロポリタンS(OP)、当時5月に開催されていた金鯱賞を制し、春のグランプリレースである宝塚記念に駒を進めます。
5歳春のメイショウドトウの活躍はまさに順風満帆といったところでしたが宝塚記念を前に一頭の馬が前に立ちふさがったのです。
その馬の名はテイエムオペラオーです。
クラシックこそ皐月賞のみの獲得でしたがこの年のテイエムオペラオーと主戦を務めた和田竜二騎手の快進撃が繰り広げられていました。
何せ、京都記念、阪神大賞典、天皇賞(春)と三連勝を飾り、勢いままにグランプリに名乗りをあげたのです。
破竹の勢いを見せるテイエムオペラオーと日の影に隠れながらも賞金を重ねたメイショウドトウが初めてぶつかったのがこの宝塚記念なのでした。
雨の宝塚記念。
メイショウドトウは終始2番の位置で競馬をし、クラシック路線で活躍したメンバーにも引けを取らない勢いで結果を残そうとしていましたが、最後の最後、番手につけていたテイエムオペラオーに差されて2着に敗れてしまいました。
春のレースはこの宝塚記念で終了します。
秋はオールカマーから始動し快勝したメイショウドトウ陣営は秋の中距離G1三戦に挑みます。
そして、タイミングの悪いことに同期のテイエムオペラオーも秋の古馬G1に名乗りを上げたのです。
天皇賞(秋)も2番手の位置で競馬をしますが宝塚記念の時のように番手につけていたテイエムオペラオーに最後かわされて2着。続くジャパンカップのテイエムオペラオーの2着。
三度目の正直ともいえる有馬記念では普段とは違う後方競馬となりましたが直線で末脚を活かしてハナに立ちました。対するテイエムオペラオーは馬郡の中。馬群を抜け出すのに四苦八苦しているのです。
メイショウドトウが3度目、いや、宝塚記念も含めたら4度目の正直、テイエムオペラオーに先着できるかと思われたときに、テイエムオペラオーがどういうわけか馬群を貫くように抜け出しメイショウドトウに襲い掛かったのです!
この年無敗のテイエムオペラオーの意地と和田竜二騎手の渾身の騎乗が見事にかみ合った競馬でメイショウドトウは最後の最後、テイエムオペラオーに差されて2着に敗れてしまいました。
競馬史上初となるグランドスラムを成し遂げたテイエムオペラオーと和田騎手に光が差す中、もしも、テイエムオペラオーがいなければメイショウドトウのG1タイトルはもっと輝いていたことを考えると、非常に何とも言い難い気持ちになります。
テイエムオペラオーのリベンジは来年に持ち越しになるのです。
リベンジマッチ!悲願の初G1タイトル達成
2001年。この年は馬齢表記が数え年から満年齢に変わりました。
そのためこの年も5歳の表記で競馬をするメイショウドトウが初戦に選んだのは日経賞。人気にこたえて日経賞を制したメイショウドトウは天皇賞(春)へ駒を進めます。
そして昨年雪辱を味わったテイエムオペラオーとここで再び戦うこととなりますが、ここでもテイエムオペラオーの2着でした。
多くの人たちはメイショウドトウはテイエムオペラオーに勝てないのではないかという気持ちが強くなりましたが、陣営は次走に宝塚記念を選択。テイエムオペラオーと初めて戦った舞台でリベンジマッチに挑むのです。
テイエムオペラオー陣営も合わせるように宝塚記念に乗り込みます。春季のグランプリで再びぶつかり合うのでした。
この年の宝塚記念は晴れた良馬場開催となりました。
いつものように先行競馬で攻めるメイショウドトウと少し後方から狙いすましたかのように競馬をするテイエムオペラオー。
この年の宝塚記念はテイエムオペラオーにとって厳しい展開となりました。メイショウドトウが自分の競馬に徹することが出来たのに対してテイエムオペラオーには包囲網がついていました。
4コーナーから直線にかけてのコーナーワークもコースロスなく立ち回れたメイショウドトウに対し大外ぶん回しとなったテイエムオペラオー。直線でテイエムオペラオーは猛追を仕掛けますが6度目の正直となったメイショウドトウも必死でゴール板を目指します。
そしてテイエムオペラオーの猛追を振り切って1馬身以上差をつけて見事勝利したのです!
陣営からしたら初のG1タイトルというよりもライバルであるテイエムオペラオーに勝てたことのほうが感嘆極まりないことだったでしょう。
テイエムオペラオーに勝てたこと、そして悲願の初G1タイトルの獲得ということで、有終の美を飾るようにこの年の春は幕を閉じたのです。
引導を渡す
その年の秋も古馬の中距離G1三連戦に挑むことを表明したメイショウドトウ陣営。テイエムオペラオー陣営も同じく三連戦に挑みます。
しかし、このころになると同世代以外にも年下の有力馬も足並みそろえてこのG1前線に挑みました。
秋の初戦となった天皇賞(秋)ではテイエムオペラオーとメイショウドトウのデッドヒートを後目に一頭抜け出して勝ったのがアグネスデジタル。
メイショウドトウやテイエムオペラオーよりも一つ年下の馬で、芝とダートのG1を制した二刀流ホースです。
続くジャパンカップではこの年のダービー馬であるジャングルポケットにテイエムオペラオー、メイショウドトウは敗れてしまいました。
そしてメイショウドトウ、テイエムオペラオー共にラストランとなった有馬記念ではこの年の菊花賞馬であるマンハッタンカフェに敗れてしまいました。
競馬界の未来を担うであろう新たな若駒の活躍を見とどけたあと、メイショウドトウとテイエムオペラオーはターフを去るのでした。
その後のメイショウドトウ
引退してから種牡馬入りしたメイショウドトウでしたが産駒の活躍はほとんど見られませんでした。
実は同じく種牡馬入りしたテイエムオペラオーも種牡馬としてはほとんど活躍できなかったのです。
同期のアドマイヤベガやナリタトップロードが種牡馬としての兆しが見えた矢先亡くなってしまったため、この両頭に期待した多くの人は落胆してしまいました。
種牡馬として活躍できなかったものの大きな病気もなく長生きすることとなったメイショウドトウとテイエムオペラオー。
テイエムオペラオーは2018年に心臓麻痺のため亡くなり、メイショウドトウ世代のクラシックホースは全て亡くなったことになります。
メイショウドトウは2017年に種牡馬を引退し、その功労から現在は北海道のヴェルサイユファームにて余生を過ごしています。