競走馬のレースは芝とダートの二種類存在します。
多くのG1馬は芝もしくはダートのどちらかで活躍する馬が大多数を占めますが、中には芝とダートで好走した馬もいます。
当記事では芝・ダートの両方の舞台で活躍したいわゆる二刀流の馬をまとめました。
二刀流の先駆者 ホクトベガ
ホクトベガは1990年に誕生した牝馬です。
デビューはダート戦の1200mでした。
デビュー戦を勝ち、ダートの条件戦を3戦2勝と順調に賞金を加算しました。
その後、牝馬のクラシック路線に駒を進めるために、4歳限定戦のフラワーカップに出馬を表明します。
初の芝戦ながらも2番人気に支持され、期待に応えて優勝します。
桜花賞に駒を進めましたが桜花賞は5着。続くオークスも6着に敗れました。
この桜花賞とオークスを制したのはベガです。
ホクトベガと名前が似ているので親近感が湧きますね。
5歳のときの宝塚記念で骨折が判明し、引退。
ベガは繁殖馬となります。
ベガの仔で有名なのはなんといっても99年のダービー馬、アドマイヤベガでしょう。
また、現在も種牡馬で活躍しているアドマイヤドンもベガの仔です。
閑話休題。
桜花賞とオークスで敗れたホクトベガ。
フラワーカップの結果がフロック指されていましたが、当時中山競馬場で開催されていたクイーンステークスで2着に好走すると、続くローズステークスも3着に健闘しました。
牝馬の三冠目のレースはエリザベス女王杯。
当時は秋華賞は存在せず、このエリザベス女王杯が四歳牝馬決定戦の位置づけでした。
このレースで、桜花賞・オークスを制したベガ、後に春秋のマイルG1を制するノースフライトを抑えて優勝しました。
実況の
「ベガはベガでもホクトベガ!」
はあまりにも有名ですね。
古馬になってからも芝の重賞で走り続けました。
当時G3だった札幌記念を制しましたがなかなか勝ちきる機会はありません。
6歳になったホクトベガの成績は11戦1勝。
勝ち星は川崎競馬場で開催されたダート2000mのエンプレス杯でした。
その結果を見て、7歳になったホクトベガはダート路線に舞い戻ることとなり、そこから快進撃を繰り広げることとなります。
7歳初戦となった川崎記念を制すると続くフェブラリーステークスも勝ちます。
その後も
船橋のダイオライト記念
高崎競馬場の群馬記念
帝王賞
エンプレス杯連覇
盛岡競馬場の南部杯(現在のマイルチャンピオンシップ南部杯)
を勝ちきりました。
古馬混合戦となったエリザベス女王杯こそ4着に敗れましたが次走、浦和記念を制し、有馬記念へと進みます。
このころになるとダートでの活躍が著しく、ファンはホクトベガを
「砂の女王」
と呼ぶようになります。
有馬記念は9着に敗れてしまいましたがこの年は10戦8勝。
8歳になって川崎記念を制すると、いよいよダート界のスーパーホースとして名高くなりました。
そして、ファンも関係者もホクトベガに世界を勝ちきってほしい思いが強まります。
ホクトベガの次走は決まりました。
砂の凱旋門賞ともいわれる
ドバイワールドカップ
です。
ところが、このドバイワールドカップはホクトベガにとって悲劇の一戦となるのです。
当時、日本からドバイまでの直行便は存在せず乗り継ぎを何度もしなくてはなりませんでした。
長距離輸送の影響でみるみるうちに食が細くなります。
飼葉が食べられなくなるほどで、ドバイに到着したときには体重が20キロ近く落ちていたそうです。
それでも、陣営の賢明な努力の末に状態を戻しつつあったホクトベガは、日本の競馬界の悲願でもあるドバイワールドカップに出走することとなりました。
しかし、慣れない環境と相次ぐ輸送の影響のためか、レース中に転倒してしまいます。
その時、後続馬に追突されたホクトベガは怪我してしまいました。
怪我の名前は左前腕節部複雑骨折。
競争能力を喪失したホクトベガは予後不良と診断され、ドバイの地で安楽死処分されました。
ドバイで安楽死処分されたホクトベガは検疫の関係で、遺体は日本に持って帰ることができず、ホクトベガのたてがみと遺髪のみが日本に送られました。
生産牧場である酒井牧場にはホクトベガの墓が建立され、その時送られたたてがみが埋葬されています。
当時、ダートグレード競走が導入されていません。
そのため、ホクトベガが快進撃を繰り広げた7歳の時点でG1タイトルはひとつのみでしたが、ホクトベガが亡くなった1997年にダートグレード競走が導入されました。
資料は残っていませんが、ホクトベガの地方での活躍が、ダートグレード競走設立に少なからず影響を与えたことでしょう。
アグネスデジタル
写真:アグネスデジタル(2001年6月3日 東京競馬場にて)
I, Goki, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2412762による
アグネスデジタルは1997年に生まれた栗毛の牡馬です。
デビューはダート戦で3歳の暮れに川崎競馬場で開催された全日本3歳優駿を勝ちました。
4歳になってからは芝でも使われるようになりましたが、
重賞クリスタルカップで3着。
ニュージーランドトロフィー4歳ステークス3着。
NHKマイルカップ7着。
ダート馬にしては芝好走しているものの、勝ちきるまでには至りません。
その後、ダートの名古屋優駿をレコード勝ちし、秋のユニコーンステークスを優勝。
秋の武蔵野ステークスを2着に好走しました。
ここまでは
芝を使ってみたけれど、本質はダートの馬だった。
の一言で終わるのですが、この武蔵野ステークスのあと、陣営はどういうわけか、秋のマイル王決定戦であるマイルチャンピオンシップに出馬を表明したのです。
そして、アグネスデジタルはこのマイルチャンピオンシップで13番人気の低評価を覆す勢いで勝利するのです。
タイムは1.32.6のレコード勝ちでした。
これに味を占めたのか、翌年は芝路線で使われます。
しかしながら、この年の春は京都金杯・京王杯スプリングカップ・安田記念と3戦使われましたがいずれも3着・9着・11着と勝ちきることができませんでした。
芝は厳しいと判断したのか、交流戦である日本テレビ盃で久々のダートで使ってみると圧勝します。
次走は盛岡競馬場の交流重賞、マイルチャンピオンシップ南部杯。
ここでも1番人気の期待に応えて勝利します。
やはり本質は砂だった。
そう思うのが普通ですが陣営はどういうわけか、この後天皇賞秋に駒を進めたのです。
天皇賞秋は昨年、グランドスラム(古馬のG1である天皇賞春・宝塚記念・天皇賞秋・ジャパンカップ・有馬記念)を成し遂げた帝王テイエムオペラオーを筆頭に
テイエムオペラオーの永遠のライバルともいえるメイショウドトウ
種牡馬としてオルフェーヴルとゴールドシップを輩出したステイゴールド
といった強豪が相手となりました。
それでも、陣営の思い切った決断と、マイルチャンピオンシップでレコード勝ちした結果が反映されてか4番人気まで支持を集めました。
テイエムオペラオーが王者の意地を見せ、メイショウドトウが逃げの競馬でデッドヒートを繰り広げる中、外から両馬を交わしてアグネスデジタルが優勝してしまったのです。
テイエムオペラオー陣営もメイショウドトウ陣営も開いた口が塞がらなかったことでしょう。
天皇賞秋を制したアグネスデジタルはその後、香港の祭典ともいえる香港カップに出走します。
初の海外遠征で、洋芝も初体験ですがその香港カップでも外国馬を蹴散らして優勝。
翌年2002年にはフェブラリーステークスを制し、長期休暇を挟んだ一年後の安田記念もレコード勝ちで制しました。
この安田記念が最後の勝ち星となり、年末の有馬記念で引退しました。
主なG1勝ち
マイルチャンピオンシップ(芝1600m)
マイルチャンピオンシップ南部杯(ダート1600m)
天皇賞秋(芝2000m)
香港カップ(洋芝2000m)
フェブラリーステークス(ダート1600m)
安田記念(芝1600m)
マイル~中距離の芝・ダート問わず、しかもG1という大舞台でこれだけの活躍を見せた馬は当分はでてこないでしょうね。
クロフネ
写真:クロフネ(2001年5月6日、東京競馬場) 出典:wikipedia by Goki
現在繁殖馬として活躍しているクロフネも芝・ダートを勝った有名な馬でしょう。
同期にはわずか4戦で引退したアグネスタキオン。
ダービー馬にはジャングルポケットがいます。
芝でデビューし、毎日杯からNHKマイルカップを制した外国馬ですね。
ダービーで5着に敗れたあとは、神戸新聞杯から天皇賞秋へ進むことが発表されました。
神戸新聞杯で3着に好走したクロフネは、その後、天皇賞秋へと進みたかったのですがそれはかないませんでした。
当時、天皇賞秋へ出走できる外国馬は2頭まででした。
テイエムオペラオーのライバルであるメイショウドトウが参加することは前々から分かっていました。
残る一枠が開いていたのでクロフネも出走できるはずだったのですが、前走マイルチャンピオンシップ南部杯で結果を残したアグネスデジタル陣営が急遽天皇賞秋へ参戦することを発表しました。
賞金でアグネスデジタルより下回ったクロフネは天皇賞秋への参戦が叶いませんでした。
途方に暮れる陣営でしたが、翌年のプランにフェブラリーステークスが含まれていることから、ダートの試金石として、天皇賞秋の前日に東京競馬場で開催される武蔵野ステークスへ参戦することを決意しました。
そして、この武蔵野ステークスがクロフネのベストバウトともいえる名レースとなるのです。
スタート直後こそ中段の位置で構えるクロフネですが、一つ目のコーナーに入るまでにぐいぐいと先行集団に加わります。
3コーナーから4コーナーでまくるように逃げるサウスヴィグラスを交わすと直線で先頭に立ちます。
先頭に立ってからもまったく後続を寄せ付けず、それどころかスピードを上げて2着馬イーグルカフェに9馬身差突き放して快勝したのです。
ちなみに2着馬のイーグルカフェも二刀流馬で共同通信杯・七夕賞・NHKマイルカップ・ジャパンカップダートを制しています。
クロフネからしたらひとつ上の馬なのでNHKマイルカップを勝った先輩後輩馬の対決が砂の上で繰り広げられていたことになりますね。
また、前年の武蔵野ステークス勝ち馬にアグネスデジタルがいます。
2年連続で芝のG1を制した馬がこの武蔵野ステークスの勝ち馬となりました。
その後、11月の暮れに開催されたジャパンカップダートも圧倒的1番人気に支持され、それにこたえて優勝します。
暮れの有馬記念でテイエムオペラオーに次ぐ2番人気に支持されたり、来年の最大目標はドバイワールドカップと、クロフネの評価は大きく高まっていましたが、競走馬にとって死活問題ともいえる屈腱炎を発症し、引退することとなりました。
引退後は種牡馬となりました。
代表的な産駒に
高松宮記念でロードカナロアに勝ったカレンチャン
芙蓉ステークスでオルフェーヴルに先着したホエールキャプチャ
オジュウチョウサンのライバルのアップトゥデイト
NHKマイル勝ち馬でマイルで無類の強さを見せるアエロリット
がいます。
今後も産駒の活躍に期待がかかりますね。
アドマイヤドン
写真:アドマイヤドン(第17回かしわ記念)Flickr user nakashi - https://www.flickr.com/photos/nakashi/12460444/, CC 表示-継承 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=17890202による
現在も種牡馬として活動しているアドマイヤドンも芝・ダートのG1勝ち馬です。
父はアメリカの競走馬であるティンバーカントリー。
母はベガです。
かつて、ホクトベガがクラシック路線で戦ってきたベガの仔がアドマイヤドンなのです。
二刀流馬、ホクトベガのライバルの仔が芝・ダートで活躍するという、なんとも不思議な巡りあわせです。
アドマイヤドンの成績を見てみましょう。
芝のG1勝ちは
朝日杯フューチュリティステークス
のみですが
ダートのG1は
JBCクラシック(2002)
マイルチャンピオンシップ南部杯(2003)
JBCクラシック(2003)
フェブラリーステークス(2004)
帝王賞(2004)
JBCクラシック(2004)
と6つのタイトルを制しています。
その中でもJBCクラシックに関しては3連覇を成し遂げています。
また、ジャパンカップダートはキャリアで3回出走しましたが2着2回、3着1回と勝ちに恵まれませんでした。
なお、2002年のジャパンカップダートの勝ち馬イーグルカフェは前年の武蔵野ステークスでクロフネに完敗した馬です。
クロフネの引退レースとなったジャパンカップダートを翌年勝ち切りました。
また、芝・ダートで結果を残したアドマイヤドンも3着に入選しています。
このころのダート路線は芝で好走した馬が目立っていたことになりますね。
アドマイヤドンは引退後は繁殖馬として現在も活躍しています。
産駒で有名な馬はステイヤーズステークスを3連覇したアルバートでしょう。
3連覇というところまで仔に受け継がれていますね。
2020/02/23 追記ここから
モズアスコット
写真:2020/2/23 フェブラリーS モズアスコット Nadaraikon - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=87414100による
モズアスコットとは現在(2020/2/23)でも活躍している競走馬です。
出生は2014年で父はマイル~2000mで14戦14勝と無敗のままに引退したイギリスの競走馬のフランケルです。
フランケルはその圧倒的な強さ故、数多くのシンジケートが組まれるように思われましたが日本に輸入されたサンデーサイレンスのように競馬界全体に同じ血統が流れてしまうと近新配合の関係で将来的に交配貧乏になる可能性が極めて高く、フランケルは年間100頭に限定して種付けされていました。
モズアスコットはその100頭の種付けの中から誕生した一頭だったのです。
モズアスコットはフランケルの初年度産駒ですが当時はフランケルの知名度は著しく低かったのです。
そのフランケルの知名度を世に広めたのは同期のソウルスターリングです。ソウルスターリングはモズアスコットと同期の牝馬でモズアスコットと同じく父はフランケルでした。
2歳の時に後に宝塚記念、有馬記念といった東西のグランプリを制するリスグラシュー相手に完勝し、フランケルの名を世に轟かせました。3歳になって桜花賞トライアルであるチューリップ賞も完勝し、桜花賞最有力として名乗りをあげましたが桜花賞当日は稍重馬場に苦戦し3着でした。しかしながら続く牝馬クラシック2戦目であるオークスにて復活の雄たけびを上げるかの如く勝ち切ったことで誰もがこの年の牝馬前線を引っ張るであろうと疑わなかったのです。
しかしながらソウルスターリングはこのオークスを最後に勝ち星から遠ざかってしまうのです。
この年の秋は毎日王冠からの天皇賞(秋)、そしてジャパンカップと中距離王道路線に挑みましたが3連敗。牡馬の古馬との戦いということで相手関係が手ごわかったことは事実ですが、翌年、ソウルスターリングが4歳になってからもオークスの時のような強い競馬はできずに凡走が続きます。これにより、フランケルの仔は古馬になってから衰えるのではないかという早熟説が広まりつつありました。
フランケルの仔の早熟説を後押しした馬にミスエルテという馬がいます。ミスエルテもモズアスコットやソウルスターリングと同期の牝馬で父はフランケルです。2歳の時にファンタジーステークスを制して国内におけるフランケル産駒の初重賞を飾った馬でした。
牝馬であるため本来なら阪神JFに向かうのが通例ですが、体調の関係から阪神JFには間に合わず牡馬との対決となる朝日杯FSを選択したことで注目を集めました。しかし、挑んだ朝日杯FSで4着に敗れると3歳のクラシック路線でも凡走が続き、古馬なってレースの格を落としても勝ち切れずに引退してしまったのです。
ソウルスターリングとミスエルテという2頭の存在がフランケル産駒の早熟説を後押ししてしまう形になってしまったのです。
話をモズアスコットに戻します。
モズアスコットのデビューは2017年の6月でした。元々体質が虚弱だったモズアスコットは2歳の新馬戦に間に合わず3歳の春のクラシックにも間に合わなくてデビューしたころは同じ父親を持つソウルスターリングがオークスを制したあとでした。
デビュー2戦目こそ4着に敗れてしまいましたがデビュー3戦目に勝ち星をあげるとそこから一気に3連勝を飾り一気にオープンクラス入りします。
初との重賞となったのは暮れの阪神カップで、世代の違う馬相手に4着と健闘しました。翌年、古馬になっても短距離重賞を走り、阪急杯2着、マイラーズカップ2着と重賞でも結果を残します。
この春の最大目標は安田記念でした。しかし、安田記念は例年マイラーはもちろんのこと、宝塚記念を回避した中距離馬やスプリンター路線からも馬が集まることでゲートに対して登録馬は多くなる傾向が強いレースでした。
モズアスコットは重賞でも好走するものの賞金的に出走できるかどうかは厳しいと判断した陣営は安田記念が開催される前週、京都の安土城ステークスにモズアスコットを出走させることを決意します。
オープンレベルということで1番人気に支持されましたが騎乗したのがテン乗りの坂井騎手だったこともあり2着と勝ち切れません。
しかし、賞金は確実に積み重ねた上、目標が安田記念だったことで陣営からしたら収穫のあるレースができたようです。
そして、連闘という形になったものの無事に安田記念へ駒を進めることになったモズアスコット。鞍上は現在でも大車輪の活躍をしているルメール騎手。しかし、豪華メンバーが揃ったことに踏まえて連闘で果たしてどこまで通用するのか多くの人は疑問に持ち、実際にレース本番前の単勝人気は9番人気まで落ちていました。
ところがいざ安田記念が開催されると痛烈な末脚を活かして同期のアエロリット、スワーヴリチャード、サングレーザー、ペルシアンナイトといった重賞馬相手に先着し、見事優勝したのです。
連闘という無茶なローテーションをも乗り越え春のマイル王の座を獲得したモズアスコットに多くの人は喝采と称賛を送りました。
しかし、モズアスコットはこの秋からかつての勢いはどこにいったのかというように調子を落とします。
秋に挑んだスワンステークスこそ2着に好走しましたがそれまで戦ってきた相手関係を考えると腑に落ちない内容でした。
秋のマイル王決定戦であるマイルチャンピオンシップで1番人気を大きく裏切る13着に敗れると翌年5歳になってからも一度も勝ち星をあげることができず、かつてマイルで魅せた末脚を発揮することなく5歳を終えることとなったのです。
多くの人はソウルスターリングやミスエルテを照らし合わせるかのようにモズアスコットを見てしまいました。フランケル産駒は早熟だったと…。
ところがモズアスコットの調教師である矢作調教師は諦めません。海外でフランケル産駒がダートで結果を残していることを知っていた矢作調教師は6歳になったモズアスコットの初戦をなんと、ダート重賞である根岸ステークスに出馬させたのです。
ここでは昨年の根岸ステークスを制したコパノキッキングを筆頭にダートで好走しているミッキーワイルド、芝・ダートの重賞を制したワイドファラオといった強敵が揃いました。
これら相手にモズアスコットはどこまで通用するのか未知数でしたが、いざレースが始まると先に動き出したコパノキッキングを後目にかつての末脚を彷彿させるような勢いでモズアスコットは上がってき、見事優勝したのです。
陣営にとっても競馬関係者にとっても競馬ファンにとっても驚きが隠せないような強い競馬を披露したモズアスコットは次走に2020年度最初のG1であるフェブラリーステークスを選択しました。
昨年のフェブラリーステークスの勝ち馬インティ、その前の覇者ノンコノユメ、その他地方の重賞、G1を制した有力馬がズラリと揃いましたが前走根岸ステークスの強い勝ちっぷりから1番人気に支持されました。
そして、迎えたフェブラリーステークスで府中の長い直線を活かし、末脚勝負に持ってきたモズアスコットは前に行く馬をあっさりかわして見事優勝。
史上5頭目となる芝・ダートの中央G1を制した馬となったのです。
かつてフランケル産駒は早熟と言われ、一時はモズアスコットも早熟説が言われていましたが6歳となり、舞台を芝からダートに変えたことで一気に才能が開花し、フランケル産駒の早熟説を振り払ったのです。
ダートで新たな活路を見出したモズアスコットの次走はもちろん未定ではありますが、今後、芝、ダート、どちらを選択するにしても楽しめる一頭であることは間違いないでしょう。
2020/02/23 追記ここまで
今後、二刀流馬はでてくるのか?
基本的に競走馬で芝・ダートを行き来する例は未勝利戦や条件戦が多いです。
その理由としては芝で結果を残せなかったからダートで使われる、その逆も然りなケースが多いです。
そのため、アグネスデジタル陣営のような使い方は極めて特殊ですし、クロフネ陣営のように自信をもってダートで使われるケースも滅多にありません。
芝で結果を残した馬がダートを走るケースもそこまで多くありません。
例えば、菊花賞・ジャパンカップを制してドバイワールドカップに挑んだエピファネイアは9着に敗れてしまいました。
強い馬でも馬場が変われば厳しいのが正直なところで、陣営もそれを理解したうえで一方の舞台に特化しているのです。
ただ、個人的に現役で期待したい馬が一頭います。
今年のニュージーランドトロフィー・ユニコーンステークスを制したワイドファラオです。
ニュージーランドトロフィーは最内からの逃げ切り勝ちで、初のダートでもハイペースの逃げでレースを進めました。
特にユニコーンステークスは初のダート戦ながらも道中、息を落とすことなく走ります。
直線での失速が危惧されましたが、失速することなくそのまま突き抜け、ダートのオープン馬相手に勝ちきりました。
まだ先のある馬ですし、芝とダートで使い分けるのかも未知数ですが、現役の競走馬で一番二刀流の素質があると思うのはこのワイドファラオだと思います。
ワイドファラオにかかわらず、かつてクロフネやアグネスデジタルが走った二刀流の道を選択する馬がでてきたらまた違った意味で競馬界も盛り上がることでしょう。
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