令和2年1月。1月の冬の寒さが京都競馬場を襲う中、一頭の馬がデビューし、無事に初勝利を飾りました。
その馬の名前はアドマイヤビルゴ。
父は昨年7月に亡くなった名馬ディープインパクトで母はアイルランドの競走馬だったイルーシヴウェーヴです。イルーシヴウェーヴの主なG1勝鞍はイギリスの1000ギニーです。
イルーシヴウェーヴの母父は凱旋門賞を制したレインボークエストということもあり、イルーシヴウェーヴの仔は非常な高値で取引されます。例えばイルーシヴウェーヴの5番目の仔に当たるサトノソロモンは里見治氏によって2億8000万円で落札されました。この金額は2016年の菊花賞と有馬記念を制したサトノダイヤモンドと同額です。
そして、6番目の仔となったアドマイヤビルゴは2017年のセレクトセールにおいてセリに出され、多くの人が度肝を抜きました。
6億2640万円で落札されたからです。
落札したのは「アドマイヤ」の冠で有名な近藤利一氏でした。これにより、アドマイヤビルゴは歴代の落札ランキングにおいて第2位に浮上したのです。
一般的にサラブレッドは「ブラッドゲーム」と呼ばれるように血統におけるファクターは強いとされています。
例えば2018年の年度代表馬となったアーモンドアイは父が日本や香港のスプリングG1を中心に最終的にG1タイトルを6つ制したロードカナロアで、母はエリザベス女王杯を制したフサイチパンドラでした。
また、ハーツクライ産駒の仔は晩成型であったりステイゴールドの仔はパワーとスタミナが豊富で力の要る馬場で好走するといったように、父、母問わず血統の影響は仔に受け継がれます。
しかしながら全ての馬が良血だからと言ってターフで結果を残すというわけではありません。
今回紹介するザサンデーフサイチという馬も超良血馬ということで注目された一頭です。
しかしながらザサンデーフサイチの生涯は決して輝かしいものではありませんでした。
超良血馬ザサンデーフサイチの血統と馬主
父 ダンスインザダーク |
父父 サンデーサイレンス |
父母 ダンシングキイ |
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母 エアグルーヴ |
母父 トニービン |
母母 ダイナカール |
ザサンデーフサイチは2004年の4月にノーザンファームで誕生しました。
父は1996年の菊花賞馬であるダンスインザダークで、母は1996年のオークスを制したエアグルーヴです。母の父は凱旋門賞を制したトニービンで母の母は83年のオークスを制したダイナカールでした。
このように、父親も母親もG1ホースで文句のつけようのないほどの超良血馬だったのです。その血統背景は早速結果を生み出します。
エアグルーヴの初年度産駒であるアドマイヤグルーヴは桜花賞で3着、秋華賞2着の実績馬で、エリザベス女王杯を連覇した名馬でした。初年度産駒にG1ホースが誕生したこともあり、エアグルーヴは繁殖牝馬としても期待値が高かったのです。
そして、2004年のセレクトセールにおいてエアグルーヴの2004、後のザサンデーフサイチはとんでもない金額で落札されました。
落札金額は5億1450万円。落札者は”フサイチ”の冠名で有名な関口房郎氏でした。
この落札金額は当時では破格の落札金額とされ、当時の高額落札馬ランキング第一位に君臨することとなりました。
現在もディナシー(落札価格6億3000万円)、アドマイヤビルゴ(6億2640万円)に次ぐ3位の記録を保持しています。
名前の候補一覧
実はザサンデーフサイチという名前が決まるまでにいくつかの名前の候補があったそうです。
フサイチタツノリ
関口氏が読売ジャイアンツのキャンプ訪問地へ訪れた際、当時ジャイアンツの監督であった原辰徳氏を激励した際に落札したエアグルーヴの仔をフサイチタツノリに命名すると発表されました。
フサイチタイガース
ところがエアグルーヴの2004が入厩するのは滋賀県の栗東でした。
滋賀県のある関西はいうまでもなく阪神タイガースのファンが集まる地です。それは栗東の関係者も例外ではありません。
そこにジャイアンツの原辰徳氏の名前の馬を入厩させるのはよくないと感じたのか、急遽、命名を変更することが発表されました。
フサイチジャポン
しかしながらフサイチタイガースという名前も結局のところ流れました。
テレビ番組「サンデージャポン」に肖ってフサイチジャポンという名前で登録が決まるかと思いましたが最終的にはこの話もなくなります。
ザサンデーフサイチ
最終的にはザサンデーフサイチという命名で登録されることになりました。
名前の由来は「日曜日+冠名」
競馬のビッグレースが開催される日曜日の活躍を祝って命名されましたが、日本テレビ放送の情報番組「the・サンデー」との絡みもあったそうです。
デビュー戦
ザサンデーフサイチのデビュー戦は東京競馬場の10月下旬に決まりました。
この日は天皇賞(秋)が開催されることもあり多くの人が来場しましたが、同時に5億で落札された馬のデビュー戦ということもあり、東京競馬場は非常に盛り上がりました。
デビュー戦の鞍上を努めるのは武豊騎手です。
母のエアグルーヴの主戦騎手が仔であるザサンデーフサイチのデビュー戦に騎乗することとなったのです。超良血の背景から、圧倒的な支持を得たザサンデーフサイチの単勝オッズは1.3倍でした。
ところが、デビュー戦では後方からの競馬で直線勝負に挑んだものの思うように伸び切れず3着に敗れてしまいます。負けは次走で取り返せばいいと判断したのもつかの間、骨折が判明するのです。
復帰戦
デビュー戦の後に骨折が判明したザサンデーフサイチ。
右前肢骨折で怪我名は第三足根骨盤上骨折。自然治癒でしか治せない骨折で、全治9か月と診断されました。春のクラシックは棒に流れてしまいます。
ザサンデーフサイチの調教師である池江調教師は
「走る馬であることは間違いない。古馬になって必ずG1を取ります」
とコメントされました。
長期休暇を余儀なくされたザサンデーフサイチは怪我に快復に努めます。
競馬界では64年ぶりとなる牝馬のダービー馬の誕生で大いに盛り上がっていた背景で、無事に快復に努めたザサンデーフサイチは9月の未勝利戦で復帰することとなります。
復帰戦も武豊騎手が鞍上を努めました。骨折明けにも関わらず多くの支持を集め、ここでも単勝オッズ1.3倍に支持されました。ここでは先行競馬で勝負に出ましたが最後の最後にダンツイッドンに差されて2着に敗れてしまいました。
またもや勝利はお預けとなりましたがその月の阪神の未勝利戦に再度出走し、そこで無事に初勝利を飾ることが出来たのです。デビュー3戦目にして初勝利を手にしたザサンデーフサイチ。陣営もオーナーの関口氏も胸を撫で下ろしたことでしょう。
しかしながらザサンデーフサイチの不運はそれだけにはとどまりませんでした。デビュー4戦目を終えたあと、再び骨折が判明したのです。
苦しみもがいた現役時代
次の骨折は全治一年以上もかかるものでした。
またもや休養を余儀なくされたザサンデーフサイチの復帰戦は2009年の2月の小倉です。デビューわずか5戦目にして5歳馬になってしまったザサンデーフサイチでしたがここでは骨折明けであったにもかかわらず先行競馬で勝利を掴みます。
その後1000万条件下のレースでも勝利し、古馬になってから汚名返上するかに思えましたが、なかなか勝ち切ることができません。また、2010年には馬主の関口氏の会社の経営が悪化し、また、競合禁止業務違反のために東京地裁から5億の支払い命令を受けます。
その後、東京地裁から所有馬の差し押さえが発覚します。ザサンデーフサイチも関口氏の所有馬なので差し押さえられることとなり、ザサンデーフサイチは馬主が変わることとなります。
そのような影響があったためか、3勝したのを最後に1600万条件下で勝ちきれない日々がつづきます。重賞に出走したのは5歳のステイヤーズステークスの1戦のみです。その後は年齢を重ねながら条件戦で走りましたが全く勝てません。
良血馬らしからぬ不甲斐ない成績に多くの関係者は落胆したでしょうが、ザサンデーフサイチは何度も何度もターフで走り続けます。
最終的に11歳まで走る続けたザサンデーフサイチは2015年の但馬ステークスを最後に引退することとなりました。
引退後に種牡馬となったザサンデーフサイチ
1600万条件戦を勝ち切れず11歳で競走馬を引退したザサンデーフサイチ。
超がつくほどの良血馬でありながら、その血統面のために過剰に期待され、期待に応えられず、また、幾度もの骨折、オーナー騒動と、決して恵まれた競走馬人生とは言い難かったです。しかし、引退したザサンデーフサイチに救いの手が差し出されました。
差出人は北海道新冠町にある優駿スタリオンステーションでした。ザサンデーフサイチの血統面と現役時代に出し切れなかった能力に目を付け、手を差し伸べたのです。
現役時代には血統面が多くの人の期待を裏切る結果となってしまいましたがその血統には秘めたるものがあるのも事実で、ザサンデーフサイチは皮肉にもその血統がために種牡馬となることができたのです。
ザサンデーフサイチ産駒
無事に優駿スタリオンステーションに到着したザサンデーフサイチは種牡馬として第二の人生を歩みます。
血統面は非の打ちどころがないほど素晴らしいものを持っていましたが11歳まで準オープン馬だったことも事実で、初年度産駒はわずか6頭となり、デビュー年でもある2018年にデビューできたのはわずか3頭でした。
一流種牡馬に比べるとわずかではありますが、確実にザサンデーフサイチの血は継がれることになったのです。
そして、ザサンデーフサイチの仔であるフィデリオグリーンが2019年、デビュー5戦目で初勝利を手にしたのです。
ザサンデーフサイチの現在は?
以上がザサンデーフサイチの生涯となります。
デビュー前はその血統背景と当時としては破格の5億円で落札されたことから多くの関係者から注目を浴びました。
誰もがクラシックでG1を手にできると大いに期待しましたが、競走馬として一番大事な時期に骨折してしまい、戦線離脱し、クラシックを棒に振ることとなります。
古馬になってからも骨折に泣かされ、オーナー騒動の影響にも振り回され11歳まで走り続けたザサンデーフサイチの現役時代は決して華々しいものではありません。
しかしながら、内面的な魅力は多くの関係者の周知の事実で、優駿スタリオンステーションが手を差し伸べたことで、準オープン馬としては異例の種牡馬として第二の人生を送ることになりました。産駒数はわずかでほとんど目立ちませんが、それでも数少ない産駒から勝ち星をあげた馬がいることを考えれば種牡馬としてのチャンスはあるかもしれませ
現在も優駿スタリオンステーションにて第二の人生を送っています。現役時代はファンの期待に応えられませんでしたがザサンデーフサイチの仔がファンの期待に応えてくれる日が来るかもしれませんね。
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