アドマイヤベガ。
1999年のダービー馬でそのあまりにも早い引退。
そして早すぎる死に多くの人は涙を流しました。
そのため、同期のテイエムオペラオーやナリタトップロードに比べると知名度は高くありません。
ただ、現役を知っている人であればテイエムオペラオーやナリタトップロードよりもこの馬こそが最強だったという声も聞こえてきます。
あまりにも早くに天に輝いた一等星。アドマイヤベガについてまとめてみました。
アドマイヤベガの血統、親と兄弟
父は日本の競馬界に改革をもたらしたサンデーサイレンス。
母親は桜花賞・オークスを制したベガです。
母の父はフランスから輸入されたトニービン。
当時の一流の馬の遺伝子を継いだ結晶ともいえる馬ですね。
同期は2000年、G1タイトルを7つ制したテイエムオペラオー。
そのテイエムオペラオーのライバルでもあるナリタトップロード・メイショウドトウがいます。
全弟にセントライト記念を勝ったアドマイヤボス。
半弟に朝日杯フューチュリティステークスやダートのG1を勝ったアドマイヤドンがいます。
両親も兄弟も重賞タイトルを制している良血一族の仔として1996年に生誕しました。
双子のエピソード
競走馬は一般的に双子は大成しないといわれています。
もし双子を受胎した場合は片方の胎子がつぶされます。
アドマイヤベガの母であるベガの初受胎も双子でした。
そのため、胎子をつぶして、もう片方の胎子から産まれてきたのがこのアドマイヤベガでした。
アドマイヤベガが産まれる前に亡くなっていた可能性も十分にあったのです。
デビュー。サイレンススズカを引きずった武豊
デビュー戦は11月の京都でした。一流馬の父と母。
その血を継いだこともあり、1.7倍の一番人気に支持されます。
芝の1600mを5番手くらいの位置で競馬をし、直線、前を行く2頭の合間を突き抜け2馬身ほどの差を空けて快勝しました。
しかし、直線で斜行してしまったことで4着に降着してしまいます。
鞍上、武豊騎手は前週の天皇賞秋でサイレンススズカを失ってしまったことから、本調子じゃなかったのかもしれません。
それでも、強い勝ちっぷりでアドマイヤベガが人気にこたえて先着したのは紛れもない事実でした。
陣営は未勝利戦を挟まずにエリカ賞(500万下)を選択します。
ダービーへ
陣営の判断は的中しました。
飛び級となったエリカ賞を快勝し、暮れの阪神で開催されたラジオたんぱ賞3歳ステークスを勝ったことで初重賞をあげることができました。
翌年、クラシック路線に名乗りをあげます。
初戦に選んだ弥生賞では1.5倍の1番人気に支持されましたが、後に菊花賞を制するナリタトップロードに敗れてしまいました。
それでも皐月賞への切符を手にしたアドマイヤベガはクラシック初戦となる皐月賞へ進みます。
皐月賞でも1番人気に支持されましたが、今度は当時弱冠22歳だった和田竜二騎手騎乗のテイエムオペラオーに敗れてしまいます。
しかも、6着入選でキャリアで初めて馬券外の入選となりました。
その影響か、日本ダービーではナリタトップロードに次ぐ2番人気と、キャリアで初めて1番人気を譲りました。
迎えた日本ダービー。
後にライバル関係となるテイエムオペラオーとナリタトップロードが火花を切るように競り合っている中、新馬戦で見せた瞬発力を駆使して外からアドマイヤベガがテイエムオペラオーとナリタトップロードを捉えて優勝しました。
武豊騎手にとっても前年、ダービーを制したスペシャルウィークに続いてのダービー制覇となり、自身初のダービー連覇となりました。
見事ダービー馬となったアドマイヤベガは、夏に休養を挟んで秋の最後のクラシック戦である菊花賞を見据えることとなります。
最後のレースとなった菊花賞
当時秋に開催されていた京都新聞杯でライバル、ナリタトップロードを捻じ伏せ優勝しました。
順当に菊花賞へと駒を進めます。
菊花賞は京都の芝3000m戦。
クラシック路線で戦ったテイエムオペラオーとナリタトップロードも参戦しました。
中段くらいの位置でじっくり脚を溜めに溜めましたが、さすがに3000mの距離が不適だったためか、直線でも伸び切れずに6着に敗れてしまいます。
このレースを勝ったのはナリタトップロードでした。
皐月賞・ダービーでメダルこそ掴んだものの望んでいた金メダルは獲得できなかったナリタトップロード。
菊花賞を制したことでクラシック最後の金メダルを手にしました。
なお、翌年、大活躍するテイエムオペラオーはナリタトップロードにクビ差の2着でした。
ステイヤーとしてのを片鱗が見えつつあったテイエムオペラオーは次走、ステイヤーズステークスを選択し、その後、有馬記念へと駒を進めることとなります。
アドマイヤベガのクラシックはこれで終わりました。
皐月賞・菊花賞こそ6着でしたがダービーでクラシックG1を制したテイエムオペラオー・ナリタトップロードに先着して優勝。
テイエムオペラオー、ナリタトップロード、そしてアドマイヤベガの3頭が今後の競馬界を引っ張っていくと誰もが信じて疑わなかったのです。
ところが、アドマイヤベガはこの直後に引退。
繋靭帯炎を発症してしまったのです。
種牡馬入り
かつてしのぎを削ったテイエムオペラオーの快進撃が話題を集めている中、引退したアドマイヤベガは社台スタリオンステーションで種牡馬入りしました。
テイエムオペラオーやナリタトップロードといった相手に好走した実力と、一流馬同士の血統をもつ仔として評価されました。
初年度から多くの馬と種付けします。
アドマイヤベガの産駒は主に芝で好走していました。
それも、バリエーションに富んだ馬を輩出していました。
中距離路線でアドマイヤフジ・アルナスライン
マイルを得意とする桜花賞馬キストゥヘヴン・マイルチャンピオンシップ勝ち馬のブルーメンブラッド
障害G1を制したテイエムドラゴン・メルシーモンサン
短距離馬から長距離・障害レースに至るまで幅広く活躍する産駒を輩出していますね。
ところが、初年度産駒がデビューしたと同時にアドマイヤベガは胃破裂のために死亡してしまったのです。
産駒は5世代のみ輩出しました。
それでも2010年の中山グランドジャンプをメルシーサンモンが勝ち切ったように、長らくアドマイヤベガの仔は競馬界で活躍していました。
星になったアドマイヤベガ
8歳で亡くなったアドマイヤベガ。
あまりにも早すぎる死に多くの人は涙を隠せませんでした。
アドマイヤベガの武器はなんといっても新馬戦で見せた瞬発性の高い末脚です。
菊花賞のように距離が長くて脚が伸びないレースもありましたが、1600m~2400mはアドマイヤベガの範囲内であり、ダービーでもこの瞬発力を武器にテイエムオペラオーやナリタトップロードといったライバルたちに先着しました。
もし、怪我を発症することなく、古馬になっても現役を続けていられたら、テイエムオペラオーのグランドスラムも成し遂げられなかったかもしれません。
産駒も個性的でありながら重賞を勝っている馬が多く、もし生きていればアドマイヤベガの仔で競馬界はまだまだ盛り上がっていたことでしょう。
同期のライバルよりいち早く星になったアドマイヤベガ。
アドマイヤベガが亡くなった翌年に心不全のためにナリタトップロードは亡くなりました。
テイエムオペラオーは2頭に比べたらはるかに長く生きていましたが2018年に心臓麻痺で亡くなりました。
かつてクラシックを賑わせた3頭。
天国でも走り続けているかもしれませんね。