競走馬が亡くなったニュースを聞くときに、時折目にする「蹄葉炎」という病気ですが、果たしてどのような症状が起きる病気なのでしょうか。
今回は競走馬の生命をも脅かす蹄葉炎の症状や治療方法、この病の侵されてしまった名馬たちをご紹介します。
競走馬にとっての蹄の重要性
馬にとって蹄は「第二の心臓」とも言われるほど重要な役割をする部分で、その蹄の病気が原因で命を落とすこともあると言われています。「蹄なくして馬」なしという言葉があるほどですが、なぜそれほど重要なのでしょうか。
競走馬は体が大きいため、心臓の働きだけでは全身に血液を循環させることができません。そのため、歩いた時に体重の負荷で蹄が収縮する仕組みになっており、それによって心臓から遠い脚元へも血液を送ることができるようになっています。
そのため、他の病気にかかってしまった時に歩くことができなかった場合、血液の循環が悪くなって他の病気を併発したりすることもあります。そのひとつが蹄葉炎にあたります。
蹄葉炎という病気の症状
怪我などをして競走馬が歩けなくなった時に、血液の循環ができなくなってしまった蹄に炎症が起きてしまい、激しい痛みを伴うようになります。
これが蹄葉炎のおもな症状ですが、これひどくなってしまうと蹄が変形してしまったりすることもあります。競走馬は体重が重いため病気の進行を抑えるのは難しく、最悪は命の危険にさらされてしまいます。
炎症してしまうことから、腐ったような臭いを感じてこの病気に初めて気づくケースも少なくありません。
一番起きやすい症状としては四つある脚のうちの一本を痛めてしまい、他の脚に体重の比重が多くかかってしまった場合などに血行障害が起こり、最終的にこの病気の発症につながることが多いようです。
蹄葉炎の治療方法は主に2つ
蹄葉炎の治療する際に大事なことはふたつあり、まずはその痛みを和らげること、そして蹄の成長を促すことだそうです。痛みを和らげるためには投薬治療を行い、脚の負担を軽くするために特殊な蹄鉄を履き、回復や成長を促すそうです。
しかし、病気の発見が遅れてしまった場合は治療が長期化することが多く、蹄の形も元に戻ることが少なくなり、慢性的に歩様に異常をきたす状態になることが多く、安楽死の処置がとられることもあります。
かつては死に至る可能性が高いと言われていた蹄葉炎ですが、医学が発達した現代は、この病に侵されても競走馬として復帰できるまで回復するケースも多くなっています。
蹄葉炎になった過去の名馬たち
ここでは過去に蹄葉炎になった名馬を紹介します。
ウオッカ
GⅠ7勝を挙げ歴史に残る活躍をした名牝ウオッカは、引退後アイルランドに移動し繁殖牝馬としての生活を送っていました。そこで合計7頭のと子どもを出産し、JRAにもタニノフランケルを筆頭に将来が楽しみな産駒を送り込んでいました。
しかし、2019年の3月、種付けのために滞在していたイギリスのニューマーケット近郊で、右後脚の異変にスタッフが気づき病院で検査をしたところ、右後肢第3指骨粉砕骨折が判明しました。
治療のため手術が行われますが、その後、左後脚に蹄葉炎が発症するしていることがわかります。
そして、その症状に回復の見込みがないと判断され、骨折が発覚してから約3週間後に安楽死の措置が取られました。
サンデーサイレンス
2002年5月、右前脚に跛行の症状が出たサンデーサイレンスは、フレグモーネが発症していることがわかります。
そのフレグモーネの症状が通常とは異なる症状だったため、発症の原因がわからず治療には困難を極め、時間を要してしまいます。
海外からフレグモーネの専門医を招き、何度か手術を行い症状は改善されますが、治療が長期化したことで右前脚をかばっていた左前脚に蹄葉炎を発症してしまいます。懸命の治療も虚しくその後衰弱性の心不全のためこの世を去ることになりました。
テンポイント
1978年、この年の海外遠征が決まっていたテンポイントは、その壮行レースとして日経新春杯に出走します。
しかし、このレースでは66.5 kgの重いハンデを課されることになり、レースでは第4コーナーに差し掛かったところで左後肢を骨折し競走を中止してしまいます。
折れた骨が皮膚から突き出すぐらい重度な骨折で、競走中止直後に診察した獣医師は安楽死を勧めます。しかし、すぐに馬主がそれを了承できず1日経ってしまいました。
その間に日本中央競馬会にはテンポイントの延命を望む電話が多くあり、成功確率が非常に低いと言われている手術を行うことになります。
しかし成功したかに思われた手術は成功しておらず、その後も患部が腐敗して皮膚から骨が出てくるような症状が起き、さらには右後脚の蹄葉炎も発症することになります。
そして、テンポイントの症状は骨折後一度も快方に向かうことなく、最後は蹄葉炎が原因でこの世を去ることになりました。
トウショウボーイ
引退後、種牡馬として多くの活躍していたトウショウボーイは、1990年・1991年と2年連続リーディングサイアーランキングで、ノーザンテーストに続く2位となっており、種牡馬としての確固たる地位を築こうとしていました。
しかし、1992年の夏に脚を痛がる様子が見られ検査を行ったところ、蹄葉炎を発症していることがわかりました。関係者による懸命の治療が施されますが、病気の進行を抑えることが出来ずで、蹄葉炎が発覚してから約1ヶ月後に安楽死の処置が取られます。
まとめ
今回は競走馬の蹄葉炎についてご紹介しました。
競走馬にとって第二の心臓と言われるぐらい重要な蹄には、全身に血液を送るための重要な役割があり、そこが病に侵されてしまうと様々な理由で死に繋がることがわかりました。
第二の心臓とは言われているものの、蹄は心臓とほぼ同じぐらい競走馬にとって重要な役割があるのではとも思います。
そういった意味では、蹄の手入れをこまめに行っておかないと、このような病気の大きな原因になってしまうので、その重要性も感じることができました。
ディープインパクトが活躍していた時に装蹄師の存在が注目を集めましたが、改めて競走馬のために装蹄師の存在がどれほど重要かということも改めて実感します。
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