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競走馬がつける蹄鉄の役割とは?蹄鉄の歴史、与える影響について解説します

蹄鉄(ていてつ)というものをご存じでしょうか。蹄鉄とは馬の蹄の底に打ち付けるU字型の鉄の金具のことを指します。

 

競走馬にとって非常に大事な役割を果たす蹄鉄。蹄鉄が競走馬にどのような影響をもたらすのかをまとめました。

 

日本における蹄鉄の歴史

現在競走馬に用いられる蹄鉄は西洋式のものです。

 

日本式の蹄鉄は古くから存在していましたが全くと言っていいほど普及しませんでした。なぜなら、在来馬は蹄が非常に固かったため蹄鉄がなくても悪影響を及ぼさなかったからです。

 

日本で蹄鉄が普及し始めたのは1800代後半で、明治政府が発足したころです。蹄鉄が普及した理由は3つあります。

 

1つ目は時代背景でした。この時代は帝国時代といわれる時代で他国に侵略して植民地を広げた国が強いといわれる時代でした。日本も列強のターゲットにされていましたが幕末志士や明治政府の苦心な努力の末に明治維新を起こし、一時的に列強からの侵略を免れました。

 

しかしながら対馬海峡の先にある朝鮮半島が列強のものとなった場合、列強は好きなタイミングで日本列島を侵略できます。日本にとっては防衛の要であり列強にとっては日本を乗っ取るために存在した朝鮮半島。この朝鮮半島を巡って攻防を繰り広げる戦いが日中戦争、日露戦争に繋がるのですがここでは戦争の話は割愛させていただきます。

 

さて、明治政府が発足してからは日本では馬の改良が一気に進みました。時代背景が争い真っただ中であることは先ほどお伝えした通りで、戦争と馬はいつの時代も密接な関係にあります。なぜなら馬は一度に多くの物資を運ぶぶことが出来るからです。

 

日本でも在来馬は存在していましたが西洋馬に比べて在来馬は小型でした。そのため西洋から馬を輸入し、改良を重ね、最終的に一度に多くの物資を運べるサイズの馬づくりが成功したのです。

 

ところが品種改良を重ねた馬には弱点がありました。それは蹄が在来馬のそれより脆弱だったのです。そのため西洋から蹄鉄師を招き入れ、国内で蹄鉄を打てるための人材育成に取り組んだほどでした。

 

2つ目は日本に居留していた外国人のために居留地で競馬場が設立されることが蹄鉄の普及に繋がります。

 

横浜の根岸に設けられた根岸競馬場が居留している外国人のために設立された競馬場の開祖で、この競馬場で走るサラブレッドのために蹄鉄は普及していったのです。ちなみにこの根岸競馬場は後に横浜競馬場と改名され、1942年の太平洋戦争時まで運営がされていました。

 

後にGHQに押収されましたが1969年に返還されます。しかしこのころには他に大型競馬場ができていて、横浜競馬場は競馬場として機能しませんでした。返還されたものの一度も競馬場として機能することなく横浜競馬場は閉鎖されることになりました。

 

余談ですが現在も東京競馬場で開催されるダートの重賞、根岸ステークスはこの横浜競馬場が由来となっています。

 

蹄鉄が普及した3つ目の理由は北海道開拓でした。国内の食料自給率を高めるために津軽海峡の先にある当時未開の地だった北海道を開拓するため明治政府は本州の多くの人たちに北海道開拓の志願を募りました。

 

そして一念発起した人たちが北海道開拓にいそしみました。このとき、活躍した馬がばん馬と呼ばれる品種の馬です。

 

サラブレッドよりも太くて逞しい体つきのばん馬は馬体重がおよそ1トン近くもあります。現在のサラブレッドの平均馬体重が500キロ前後なので単純に倍近い大きさの馬を巧みに操り開拓に勤めたわけですね。ばん馬はプラウ耕といった耕耘作業を中心に農業面で活躍します。また、ばん馬の糞はたい肥として活躍し、ナショナルな農業が行われていました。そしてこのばん馬も脚が命でした。ばん馬も脚がそこまで強くないため蹄鉄は広く普及したのです。

 

ばん馬は北海道開拓で大いに活躍しましたが、トラクターの普及が進むにつれ、現在ではほとんど馬耕は行われていませんね。現在でもトラクター等で耕耘作業をすると稀に畑から蹄鉄が出てきますが、恐らくはばん馬が用いられてきた時代のものでしょう。

 

ちなみに機械でよく使われる馬力とはこのばん馬から来ています。1馬力とはばん馬1頭分の力のことを指します。100馬力のトラクターというのはばん馬100頭分の力があるわけです。現在、ばん馬は農業面で活躍していませんが絶滅したわけではなく、北海道の帯広市で開催されているばんえい競馬で活躍しています。

 

ばんえい競馬はばん馬に重さ1トンもあるソリを引かせて走らせるレースで、サラブレッドとはまた違った迫力を見ることが出来ます。

 

蹄鉄の役割

一重に蹄の保護が目的です。

 

特にサラブレッドは脚が脆いため蹄はなくてはならないのです。

 

しかし、野生の馬でもサラブレッド並みの大きさの馬は存在しています。しかしながら野生の馬は蹄がなくても問題ありません。

 

日本の在来馬はたまたま蹄が丈夫だったために必要ありませんでしたが、他国の野生の馬は蹄が伸びる時期と一日の運動量が絶妙で蹄が擦り減らないんですよね。

 

蹄は運動量に応じて消耗しますが、野生の馬は爪が擦り減らないよう適度な運動を行っているためバランスのいい蹄を保つことが出来ました。

 

ところが競走馬はレースに勝つために日々トレーニングを行います。このトレーニング量が野生の馬の運動量を凌駕しています。そのため、蹄が伸びるよりも早く擦り減ってしまうのです。そのため蹄鉄で保護してあげないといけないのです。

 

なお、人間の足と同じように馬の脚のサイズは一律ではありません。そのため、馬一頭一頭にあったサイズの蹄鉄を作る必要があります。蹄鉄を鋳造する人、または馬に履かせる人を装蹄師といいます。

 

蹄鉄の付け方

蹄鉄を履かせることを「装蹄」といいます。装蹄方法は専用の釘で馬の蹄に蹄鉄を打ち付けます。

 

非常に痛く思われるかもしれませんが蹄には神経が通っている箇所と通ってない箇所があり、釘を打つ際は当然のことながら神経の通っていないところに打ち付けます。もし誤って神経のあるところに打ち付けてしまうと当然馬に激痛が走ります。装蹄する際は細心の注意を払う必要があります。

 

なお、装蹄したらそれで終わりというわけではなく、馬の脚に合うように蹄鉄を切ったり削ったりして調整します。

 

蹄鉄を外す目的

かつてはレースに出走する際、レース用の蹄鉄が装蹄され、レースが終了したら蹄鉄は外されていましたが頻繁に蹄鉄の取り外しを繰り返したために蹄に無数の穴が開いてしまい、蹄の脆い馬であれば蹄壁欠損を起こすことがありました。

 

そのため現代では一度装蹄した蹄鉄は数週間は装蹄したままにしています。ところが、馬の蹄は一か月で約1cmも成長し、蹄が伸びるにつれ蹄鉄が合わなくなります。そのため爪の伸び具合に応じて新たな蹄鉄を付けなおさないといけません。

 

蹄が伸び、サイズが合わなくなった際に蹄鉄を外します。

 

蹄鉄が与えるレースの影響

蹄鉄は競走馬の蹄の保護のために取り付けられますが、例えば蹄鉄を装蹄しているかしていないかでレース、ラップタイムに影響するのでしょうか。

 

実は、これに関しては科学的根拠が一切ないのです。

 

しかしながら2016年の日本ダービーにおいてサトノダイヤモンドが道中に落鉄してしまい、ハナ差8センチの差でダービー馬の称号を逃してしまいました。

 

このときサトノダイヤモンドに騎乗していたルメール騎手が「落鉄がなければ…」と漏らしたように、蹄鉄の存在がレースの明暗を分けることは少なからずありそうです。

 

落鉄におけるルール

レースに出走する全ての馬が蹄鉄を装蹄します。

 

しかしながら蹄鉄は馬体重がのしかかっているためどれほどしっかり装蹄したとしても外れてしまうことがあります。ターフ内で蹄鉄が外れてしまうことを落鉄と呼びます。

 

一般的にレース前に落鉄した場合は装蹄し直しますが、レース中の落鉄に関してはレースを中断できないためそのまま決行されます。

 

レース前に落鉄した場合でも馬が暴れたりして装蹄できず、発送時刻に悪影響を及ぼしかねないと判断された場合は、装蹄せずに出走する場合もあります。

 

参考 落鉄とは何か?原因とレースへの影響。サトノダイヤモンドとドゥラメンテの落鉄

 

裸足のシンデレラ イソノルーブル

落鉄における一つのニュースを取り上げます。

 

かつて、イソノルーブルという牝馬が存在しました。1990年にデビューしたイソノルーブルはデビューから5連勝と破竹の勢いで桜花賞への切符を手にします。

 

ほとんどの人はイソノルーブルがクラシックの一冠である桜花賞を制すると信じていました。イソノルーブル陣営も当然のことながら桜花賞に送り込みます。

 

しかし、桜花賞前に事件が起きました。レース発走直前にイソノルーブルの落鉄が判明したのです。レース前だったためにもちろん装蹄しなおしが行われたのですが、イソノルーブルが興奮状態で一向に落ち着きを取り戻さなかったために装蹄は失敗し、右前脚のみ蹄鉄を取り付けないままにレースが施行されたのです。

 

スタートダッシュが決まらなかったイソノルーブルは直線で追い込み勝負を仕掛けましたが届かずに5着に敗れてしまいました。

 

このイソノルーブル事件でポイントとなるのはレース前にイソノルーブルが落鉄したことこそアナウンスで放送されたのですが、装蹄が失敗した事実が告げられなかった点にあります。

 

1番人気に支持されたイソノルーブルが初めて黒星を飾ったこと、イソノルーブル陣営が敗因は落鉄であったあと漏らしたことから、レース後に記者会見が行われました。記者会見でJRA側は蹄鉄を装蹄せずに出走させたことは問題ないと述べましたが、装蹄が失敗したことを伝えなかったことについては謙虚に受け止めていたようです。

 

また、この桜花賞でイソノルーブルの馬券を購入したあるファンが民事訴訟を起こしましたが「装蹄の失敗を告げずにレースを開始したことは競馬法に違反していない」「装蹄がレースに影響を及ぼすかは不明確」ということで原告の請求は棄却されました。

 

ちなみにイソノルーブルはこの後に挑んだオークスで、この桜花賞での雪辱を晴らす勝ちっぷりを見せました。

 

当時の秋華賞に当たるエリザベス女王杯にも出走しましたが16着に敗れてしまい、さらにレース後に故障が判明したことで、このエリザベス女王杯を最後に引退してしまいました。

 

まとめ

歴史を辿れば古くから馬の脚の保護を目的とした蹄鉄は馬が世間で活躍するにつれ需要が増し、装蹄師という職業が誕生するほどに普及しました。

 

レースにおける科学的根拠はないのですが、イソノルーブル陣営や日本ダービーでサトノダイヤモンドに騎乗したルメール騎手が敗因を落鉄をあげているように、一概にはいえなさそうです。

 

それでも蹄鉄が日本の競馬界を支えているのは事実で、パドック等では蹄鉄のサイズを見ながら予想される強者もいるようです。

 

競馬ではほとんど注目されない蹄鉄ですが競馬界を影で支えている縁の力持ちともいえる蹄鉄について、当記事が少しでもお役に立てたら幸いです。

 

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