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平地にはない魅力!障害レースで活躍した歴代の名馬5頭

障害競走は平地競走と比べるとどうしても注目度は低いですが、長距離戦で争うそのタフなレースは平地競走にはない魅力があります。そして、これまでに多くの名馬が競馬ファンに感動を与えてくれました。

 

今回は障害レースで活躍した歴代の名馬5頭をご紹介します

 

フジノオー

ブリッカバック
ベルノート
馬主 藤井一雄
調教師 橋本輝雄
生涯成績 79戦25勝(障害競走56戦24勝、うちヨーロッパ16戦2勝)
主な勝ち鞍 1964 中山大障害・春
1964 中山大障害・秋
1965 中山大障害・秋

 

日本の障害馬のパイオニアと言っても過言ではないのが、フジノオーです。

 

中山大障害を春秋合わせて4連勝の快挙を達成しますが、その後、中山大障害を勝ったことのある馬はもう出走することができないという勝ち抜け制度に条件が変更されてしまい、実質この馬は日本の障害界から追い出されることになってしまいます。

 

すると、中央競馬会からの補助金もなく馬主のポケットマネーで飛行機をチャーターし、アメリカを経由してヨーロッパに遠征します。そして、世界最高峰の障害レースグランドナショナルに挑戦しました(結果は競走中止)。その後はフランスで競走生活を送り、ヨーロッパでトータル12戦を戦い、その名を刻みました。

 

グランドマーチス

ネヴァービート
ミスギンオー
馬主 大久保興産(株)
調教師 伊藤修司(栗東)
生涯成績 63戦23勝(障害競走39戦19勝)
主な勝ち鞍 1974 中山大障害・春
1974 中山大障害・秋
1975 中山大障害・春
1975 中山大障害・秋

 

グランドマーチスはデビュー当初から非常に期待をされており、平地競走でも4勝を挙げました。

 

そして、5歳の時に転機が訪れます。グランドマーチスが入厩していた伊藤修司厩舎に、新人騎手の寺井千万基が所属することになりました。しかし、寺井騎手は障害競走の免許しか持っておらず、平地競走に騎乗することはできませんでした。

 

さらにこの時、伊藤厩舎には障害馬が一頭も所属していませんでした。そのため、祖母に中山大障害を勝ったハクレイを持つグランドマーチスを、寺井騎手のために障害入りさせることになります。

 

すると、障害の才能を一気に開花させ、1974年と1975年の中山大障害を春秋制覇します。一躍障害界の大エースに君臨します。

 

しかし、1976年に状況は一変します。この年から中山大障害の斤量が「中山大障害優勝実績のある馬は2 kg増」から「中山大障害1勝ごとに斤量が2kg増というルールに変更されます。

 

これによって、これまで60kgで出走できていた中山大障害が66キロと大幅な斤量増を強いられることになり、ここからグランドマーチスには勝てなくなってしまいます。

 

そして、その年に故障で引退してしまいます。このルール変更は、他の馬主からの圧力だとも言われており、権力に屈してしまった名馬と言ってもいいのかもしれません。 

 

ライバコウハク

ラフィンゴラ
ライバリュウ
馬主 坂本盛正
調教師 松元正雄 (栗東)
生涯成績 32戦9勝(障害競走27戦9勝)
主な勝ち鞍 1986 中山大障害・春

 

ライバコウハクは、記憶に残る障害の名馬です。

 

1987年の中山大障害・秋、前年は悔しい2着に敗れていたこの馬は、道中はいつも通り軽快に先行します。そして、難関の大土塁障害を先頭で飛越した後、落馬をしてしまい競走中止となってしまいます。

 

この時、ライバコウハクは右後肢の開放骨折をしてしまっていたそうです。しかし、落馬して動けなくなっている大江原哲騎手のもとに前脚だけで必死に近づき、後続馬に踏まれないように自らが盾になるような姿勢をとったのです。

 

そして、全ての馬が通過した後、力を使い果たしたように崩れ落ち、最後は安楽死の処分が取られました。ライバコウハクは、振り落としてしまった騎手を守ろうとする正義感のあるとても優しい名馬でした。 

 

ポレール

エブロス
シークイン
馬主 (株)岸和田グランドホール
調教師 岩元市三(栗東)
生涯成績 49戦9勝(障害競走35戦8勝)
主な勝ち鞍 1996 中山大障害・春(G)
1996 中山大障害・秋(G)
1997 中山大障害・春(G)

 

ポレールは障害馬としてもかなり遅咲きの馬で、障害レースで初勝利を挙げるまでに9戦も要していました。そして、初めての重賞制覇(東京障害特別・春)も障害入りしてから19戦目と晩成ぶりを見せつけていました。

 

初重賞を制した1996年は飛躍の一年となり、中山大障害を春秋連覇し、その翌年の中山大障害・春も勝ち、同レースの3連勝を決めます。

 

しかし、先にもご紹介したグランドマーチスによってできた厳しい斤量規定の影響で、65kgを背負った1997年の中山大障害・秋は惜しくもケイティタイガーの2着に敗れてしまいます。

 

その後は調子を取り戻すことなく引退してしまいますが、2001年から2010年の約10年間阪神競馬場で誘導馬を勤めあげ、長い間ファンたちにその姿を見せてくれました。

 

オジュウチョウサン

ステイゴールド
シャドウシルエット
馬主 チョウサン
調教師 和田正一 (美浦)
生涯成績 27戦16勝(障害競走22戦14勝)
主な勝ち鞍 2016 中山グランドジャンプ(JGⅠ)
2016 中山大障害(JGⅠ)
2017 中山グランドジャンプ(JGⅠ)
2017 中山大障害(JGⅠ)
2018 中山グランドジャンプ(JGⅠ)
2019 中山グランドジャンプ(JGⅠ)

※2019年4月13日現在

 

この原稿を執筆時点でまだまだバリバリの現役馬ですが、オジュウチョウサンは間違いなく生涯語り継がれる名馬でしょう。

 

2019年4月13日現在でも、歴代史上最多のJ・GⅠ6勝を挙げるなど大活躍を見せており、2016年から2018年まで3年連続JRA賞最優秀障害馬に選出されています。

 

また、障害レースは11連勝の日本記録を今もなお更新中です(国営競馬時代も含めると単独ではなくタイ記録)。 

 

まとめ

いかがでしたでしょうか。

今回は障害レースで活躍した歴代の名馬を5頭紹介しました。

 

近年では障害レースの施行数が減ったり、お昼休み前に実施されていた障害レースが、朝一のレースに移行されたりと、少しづつ日の目を見なくなってきています。

 

しかし、障害レースに出走するまでに競走馬を鍛え上げるには平地の何倍もの努力が必要だと言われていますし、馬とのコミュニケーションが平地のレース以上に必要だと言われています。

 

馬と人との強い絆が試される障害レース、興味を持ってもらえるファンがまた増えることを私は願っています。

 

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