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マイル女王ノースフライトの血統と武豊、産駒の特徴

タグ: 武豊

 

 

ノースフライト 1994マイルCS

By TRJN - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=18295753

 

その道ひと筋を極める――

口で言うのは簡単なことですが、マルチナ才能を発揮することよりも、むしろ「ひと筋」に生きることのほうが難しいことなのかもしれません。

 

競馬の世界でもそれはまったく同じで、三冠馬だとか、海外レースの優勝馬だとか、あるいは賞金獲得が大きいとか、そういった表面的(というより、表現的)な素晴らしさだけが評価されるわけではありません。

 

たとえば、種牡馬としても大活躍したサクラバクシンオーにしても、1400mまでは無類の強さを見せながら、それ以上の距離のレースとなると、まるで測ったように1400mの地点でパッタリと止まってしまうようなところがありました。

 

しかし、それがまた「スプリントひと筋」に生きた競走馬として、妙にかっこよく感じられたものです。

 

そんな偉大なアスリートにして偉大なサイアーだったサクラバクシンオーと同じ世代に生きた名牝の1頭に、ノースフライトがいました。

 

ノースフライトもサクラバクシンオーと火花を散らした名馬で、まさに一時代を築いた名牝でした。

 

今回はそのノースフライトについてお話します。

 

 

マイル女王 ノースフライトの血統背景

ノースフライトは、マイル戦無敗の「マイル女王」でした。

 

1400mではサクラバクシンオーに勝ったことがなく、マイル戦ではサクラバクシンオーに負けたことがないというライバル関係ながらも、適性はまったく異なる牡牝の名馬でした。

 

ノースフライトは、凱旋門賞馬のトニービンを父にもち、母シャダイフライトはヒッティングアウェー産駒ということで、意外にも父系、母系とも底力にあふれる血統というイメージがあります。

 

おそらくノースフライトのマイル戦でのキレとスピードは、父方がグレイソヴリンの系統である影響が大きかったのではないでしょうか。

 

ちなみにBMSのヒッティングアウェー自身はサイアーとしてそこまで大成したとはいえませんでした。

 

しかし、その父系はトウルビヨン系であり、パーソロンを経由してオルフェーヴルやゴールドシップなど、最近代の名馬の中でも強い影響力を持っているとされる血脈が、ノースフライトの底力としても影響を与えていた可能性が大きいでしょう。

 

 

ノースフライトと武豊騎手、角田晃一騎手

意外と、ノースフライトとの名コンビというと、「武豊」の名前を挙げる人も多いのではないかという気がします。

 

ノースフライトのデビューは遅く、旧年齢でいう4歳の5月、現在ではもう番組自体が存在していない「未出走戦」でデビューを果たしました。

 

デビュー2戦目では武豊騎手とのコンビで2連勝を飾り、4戦目となった初重賞挑戦の府中牝馬Sではじめて角田晃一騎手(現調教師)とのコンビが結成されました。

 

その後は、武豊騎手のベガが三冠をかけたエリザベス女王杯で角田晃一騎手とのタッグでこれを破り、ホクトベガの2着に入って波乱を演出しました。

そう、「ベガはベガでもホクトベガです!」のフレーズが有名な、当時芝2400m戦で行われていた3歳牝馬限定のエリザベス女王杯でした。

 

しかしその後再び武豊騎手とのコンビで4歳暮れの阪神牝馬特別、年明けすぐの京都牝馬特別を連覇していました。

 

このあたりから、「ノースフライトと武豊」のコンビは名コンビと言われるようになってきました。

その後もマイラーズカップ(このときは中京芝1700m戦)を勝利し、ノースフライトはいよいよマイルGⅠの安田記念に駒を進めます。

 

そしてここからは、引退までの3戦で、角田騎手がノースフライトとコンビを継続しました。

安田記念は、アメリカから参戦し、武豊騎手が乗って京王杯SCを遊び遊び圧勝してしまった芦毛のスキーパラダイス(日本でも武豊騎手とのコンビで活躍した芦毛スキーキャプテンの姉)に武豊騎手が乗ったため、角田騎手がノースフライトに乗ることになったとされています。

 

そしてこのときのノースフライトはほんとうに強かった・・・重め残りで伸びあぐねる圧倒的人気の武豊・スキーパラダイスを、並ぶ間もなく置き去りにして、見事安田記念を制し、これでノースフライトはGⅠ馬の仲間入りを果たします。

ちなみにこのときの2着はまったくの人気薄で、スキーパラダイスと同じく芦毛の牝馬トーワダーリンがものすごい脚で追い込んできて、ファンがスキーパラダイスと勘違いしたとされるエピソードも生まれました。

 

その後も秋のスワンSで2着、そしてラストランとなったマイルチャンピオンシップをレコードで快勝し、角田晃一騎手と見事に有終の美を飾りました。

 

 

ノースフライトとサクラバクシンオー

この時代の短距離戦線というと、やはり1400m以下で無敗のサクラバクシンオーと、マイルで無敗のノースフライトが圧倒的に他をリードする存在として君臨しました。

 

当時は高松宮記念がまだ創設されていなかったため、サクラバクシンオーは唯一のスプリントGⅠであるスプリンターズステークスの連覇という偉業はまさに王者の証として今も讃えられます。

 

ノースフライトは、このサクラバクシンオーと実は3回の対戦があります。

はじめて対戦したのが、前述した安田記念でした。

このときはノースフライトが優勝、サクラバクシンオーもしかし4着に頑張っていました。

 

2回目の対戦となったのが、秋のスワンS(京都芝1400m)で、1400mまでは最強のサクラバクシンオーがノースフライトを2着に退けて雪辱を果たします。

そしてノースフライトのラストランとなったマイルCSでは、再びノースフライトが強さを発揮し、サクラバクシンオーを2着に退けるのでした。

 

そう考えてみると、確かに自身の専門分野であれば強かったとは言え、本格化してからのあのサクラバクシンオーを2度までも破っている馬は、この時代ではノースフライト以外にちょっと思い当たりません。

 

ほんとうに素晴らしいポテンシャルを持っていたノースフライトでした。

 

 

ノースフライト産駒の特徴、代表産駒一覧

ノースフライトは1996年から2009年までの14年間にわたり、ちょうど10世代の産駒を世に送りだしました。

 

中で最も活躍したのは、わずかデビュー3戦目で皐月賞出走を果たしたミスキャスト(父サンデーサイレンスの牡馬)だったかな、という気がします。

ミスキャストは、お母さんのようなマイラーというほどにはスピードがなかったですが、その後も重賞で活躍するシブいタイプの産駒でした。

 

ノースフライト産駒は、このミスキャストに代表されるように、母ゆずりのスピードというよりは、どちらかというとしぶとく伸びるタイプが多かった印象です。

 

このあたりも、やはり上で触れたように、トウルビヨンの影響が強かったのではないか・・・という気がします。

 

残念ながら、ノースフライト産駒からは重賞勝ち馬はついに誕生しませんでした。

 

ただ、あの三冠馬オルフェーヴルを天皇賞で破って優勝したビートブラックは、このノースフライトの甥っ子ということで、あのとき久々にノースフライトの名前を目にして懐かしんだファンも多かったのではないでしょうか。

 

 

ノースフライトの現在は?

ベガやホクトベガ、ユキノビジン、あるいはワコーチカコら、かなりタレントぞろいだったあの世代ですが、実はこの世代、ベガやホクトベガのように残念ながら早世してしまった名牝ももちろんいるのですが、かなり「長寿の世代」ともいえます。

 

もちろんノースフライトもまだ健在、現在実に26歳という高齢になりましたが、まだまだ元気に余生を送っているといううれしいニュースが届きました。

 

桜花賞・オークス2着のユキノビジンは、残念ながらつい先日26歳で亡くなりましたが、ワコーチカコとともに、この世代の長寿をまだまだ継続していただきたいものです。

 

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