テンポイントの血統について
テンポイントを語る上で非常に有名なエピソードではありますが、テンポイントの母ワカクモのさらに母親に当たるクモワカ、いわゆるテンポイントのおばあちゃんは1952年の冬に京都競馬場で発生した馬伝染性貧血の集団感染の疑いがかけられ、京都府知事名で殺処分命令を受けてしまいました。
しかし、その診断結果に納得できなかったクモワカの関係者はその命令に従わず、一旦学術研究用の馬という名目で京都競馬場の隔離厩舎に匿いました。
その後関係者がクモワカを北海道の牧場に連れ帰り、『丘高』という血統名で繁殖牝馬登録を行い一旦は認められました。
しかし、後日登録協会の調べで『丘高』が殺処分命令によって死亡したはずのクモワカであることを知った為、クモワカは繁殖牝馬登録を抹消され、クモワカが生んだ産駒は競走馬登録をすることができず、この問題に対して登録協会と牧場側が真っ向から対立しての争いに発展しました。
クモワカの馬主が『子供を生めることが非感染であることの何よりの証明である』と東京地裁に訴え出て、裁判沙汰にまでなったこの問題は約4年の長い年月をかけて、1963年の秋クモワカとその産駒は晴れて正式に血統登録が認められることになりました。
そして、クモワカの血統登録が認められた年に生まれたのがテンポイントの母ワカクモでした。
テンポイントの誕生には、こういった多くの人の執念や努力といったものが詰まっており、だからこそテンポイントの走りには多くの人が感情移入し、後に『貴公子』と呼ばれたように多くのファンがいたのではないでしょうか。
テンポイントという馬名の由来
テンポイントという馬名の由来として、当時の新聞の活字が8ポイントであったことから、10ポイントの活字で報道されるような活躍をする馬になってほしいといった意味が込められました。
結果として望まれる形ではなかったかもしれませんが、テンポイントの死は10ポイントの活字で大きく報道されることとなりました。
また、その均整のとれた美しい栗毛の馬体と額の流星から『流星の貴公子』とも呼ばれており、まさに名前からも見た目からも非常に人気の高い馬だったと言えるでしょう。
【皐月賞】トウショウボーイとの初対決!
デビューから圧勝での連勝を重ね、東上後の重賞2戦も僅差ではあったもののしっかり勝ち切って5戦5勝で迎えた皐月賞で、テンポイントの前に立ちはだかったのが終生のライバルとなる『天馬』トウショウボーイでした。
先行策から直線であっという間に5馬身抜け出したトウショウボーイに対して、テンポイントは混戦の2着争いを制するのがやっとで、6戦目にして初の敗北を喫するとともに、その競馬内容からこれまでの『怪物』と評されていた評価もアッサリと覆されることとなってしまいました。
しかしこの敗戦には明確な理由があり、この年に行われた厩務員の労働組合による春闘の影響で皐月賞の開催が1週間順延になり、当初の開催日に合わせて調整を進めていたテンポイント陣営にとって大きな誤算が生じる形になりました。
この時点でのトウショウボーイとの能力差がそこまで大きくはなかったと思われるだけに、この調整度合いの差はかなり大きかったのではないでしょうか。
【天皇賞・春】待ちに待った初タイトル!
日本ダービー7着、菊花賞2着、有馬記念も2着と大レースにおいてことごとく惜敗が続くテンポイントに対して、一部のファンからは『悲運の貴公子』と呼ばれることに対して忸怩たる思いを抱いていた陣営は、テンポイントをGⅠ馬にするべく天皇賞・春を最大目標に置いたローテーションを組み、ステップレースを2連勝したテンポイントは1番人気でレースを迎えることになりました。
トウショウボーイが出走していないだけに絶対に負けられないこのレースで、テンポイントは終始先行集団を追走し、4コーナーで先頭に立つとそのまま押し切るまさに正攻法の内容で念願のGⅠ初制覇を達成することになりました。
前年の惜敗続きで騎乗スタイルにやや迷いを抱えていた鹿戸騎手にとっても自信を深めるキッカケとなり、テンポイント自身にとっても大きなターニングポイントとなったレースでした。
【宝塚記念】三度立ちはだかるトウショウボーイ!
天皇賞・春後も好調をキープしていたテンポイントは宝塚記念への出走を表明し、ここには前年苦杯を舐めさせられたトウショウボーイも出走してきました。
しかし、トウショウボーイは前年の有馬記念快勝後、骨瘤の故障で休養しており、調教の動きからもまだ本調子にないことは明らかで、テンポイントが1番人気、トウショウボーイが2番人気でレースを迎えることになりました。
しかし、レースではトウショウボーイが5か月のブランクを全く感じさせない軽快なスピードで先手を奪い、残り1000mで一気にスパートすると終始2番手で唯一追いすがってきたテンポイントを振り切って3度目のGⅠ勝ちを達成しました。
明らかに本調子になく、またローテーション的にも有利な状況にもかかわらずトウショウボーイに完敗したテンポイント陣営のショックは大きいものでした。
しかし、この敗戦があったからこそテンポイントはさらに一段階レベルアップし、後に伝説と称される2度目の有馬記念へと続くこととなりました。
【有馬記念】伝説のマッチレース!トウショウボーイに雪辱を果たす
アメリカのGⅠレースから招待を受けていたテンポイントですが、『トウショウボーイに勝って日本一になる』といった大目標があった陣営はこれを辞退し、過酷なハードトレーニングでトウショウボーイに勝つべく鍛練を積むことになりました。
その成果もあってか夏が明けたころに筋骨隆々の馬体に成長したテンポイントは休養後のステップレース2戦を楽勝し、まさに万全の状態でトウショウボーイとの最後の対決になる有馬記念を迎えることとなりました。
この有馬記念はまさにテンポイントとトウショウボーイ、2頭の為だけにあったと言ってもいいでしょう。
スタート後2頭がマッチレースのような形で後続を引き離し、道中どちらかが前に出ればもう片方が抜き返すといった、まさに意地のぶつかり合いがスタートからゴールまでの2500mの間ずっと続きました。
最後は道中トウショウボーイのインを通れたことが決め手となりテンポイントが3/4馬身差先着し、最後のチャンスでトウショウボーイに雪辱を果たすことに成功しました。
今の時代では決して見ることができないほど共に能力が非常に高く、その能力が非常に接近していたために成立した、まさに中央競馬史上至極の名レースと言えるのではないでしょうか。
テンポイント、悲劇の日経新春杯
トウショウボーイに勝利し、名実ともに現役最強馬となったテンポイントが海外遠征の前の壮行レースとして選択したのがこの日経新春杯でした。
馬主や生産者は重いハンデが課されることを考慮して出走に消極的でしたが、関西圏のファンから遠征前にテンポイントを一目見たいという声が多く寄せられたために出走したこのレースが、皮肉にもテンポイントにとってもファンにとっても最悪の結果を迎えることとなってしまいました。
今では考えられない66.5キロの斤量を背負ったテンポイントは斤量を苦にすることなく軽快に逃げていましたが、4コーナーを迎えたところで左後脚を骨折し、競走を中止しました。
骨折の程度は非常に重く、本来であれば即安楽死の処置がとられるほどのものでしたが、多くのファンからの助命を求める声が多くあがり、一旦は手術によって快方に向かったもののやはり症状が非常に重かったこともあり、結果として安楽死の措置が取られることとなりました。
テンポイント自身のためを思うと本当にその判断が正しかったのか、今となっても深く考えさせられる悲しい出来事でした。
まとめ
非常に大きな可能性を秘めたままこの世を去ってしまったテンポイントは結果として『悲劇の名馬』となってしまいましたが、その能力はトウショウボーイに勝るとも劣らない素晴らしいものでした。
願わくばこれからの競馬界の素晴らしい可能性を持った馬が無事に競走生活を全うし、1頭でも多くの産駒を残すことができるように、テンポイントの存在をずっと忘れないで行く必要があると強く思います。
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