1983年菊花賞直線
By もがみますみ - wikipedia
『ダービーポジション』など不要!?日本ダービージンクスを打ち破る走り
デビュー戦で先行して以降はずっと後方からの競馬が定着していたミスターシービー。
皐月賞を制しながらダービーで不安視する声が多く挙がっていたのは、『1コーナーを10番手以内で回らないと勝てない』といった『ダービージンクス』があったからでしょう。
しかし、規格外の能力の持ち主であったミスターシービーはそんなジンクスを簡単に打ち破る走りを我々に見せてくれました。
スタートで出遅れたミスターシービーは道中先頭から20馬身以上離れた後方を進み、3コーナー手前辺りから徐々に進出して先行集団の直後まで進出すると、直線他馬と衝突する危ない場面がありながらも体勢を立て直して先行馬を捉えて見事に2冠を達成しました。
レース後に審議となり、騎手に騎乗停止処分が下される後味の悪い結果にはなりましたが、大舞台でも自分のスタイルを貫き通し、不利があっても立て直せる強い精神力は真の一流馬のみが持つ強さであることを証明した強いレースだったのではないでしょうか。
菊花賞で見せたセオリー無視の大マクリ!牡馬三冠達成
1983年 菊花賞 ミスターシービー
夏場に体調を崩し、その影響から前哨戦の京都新聞杯で初めて連対を外す4着に敗れたミスターシービーでしたが、その後の調教で復調を感じさせる動きを見せたことから1番人気で菊花賞を迎えることになりました。
しかし、血統面や気性面から長距離適性を不安視する声もあり、期待と不安が入り混じった1番人気であったと言えるでしょう。
レースでは前半こそ最後方に待機してゆったり追走していましたが、2週目の坂の上りで一気にスパートすると、そのまま加速しながら下り坂の途中で先頭に立つ強引な競馬を見せ、大本命馬が見せる常識破りの競馬にスタンドからは大きなどよめきが起こりました。
しかし、直線でも失速することなく最後までしっかりした脚色で逃げ切り、シンザン以来19年振りとなる牡馬三冠を達成しました。
『ダービーポジション』に続いて、『ゆっくり上って、ゆっくり下る』といった京都の坂のセオリーもアッサリ覆したミスターシービーの破天荒な走りは、ファンの心を掴むには十分すぎるものだったと言えるでしょう。
競馬界きってのイケメンと話題に
ミスターシービーはその見た目の美しさから、当時まだ少なかった女性ファンを多く取り込み、引退後には写真集も発売されるほどの『イケメン』ならぬ『イケ馬』でした。
その美しい容姿は、競走馬時代に『日本一の美男』とも呼ばれていた父トウショウボーイから受け継いだ部分が大きく、さらにミスターシービーのみが持っていた『大きく澄んだ瞳』は一度見たファンを確実にファンにするほど魅力的なモノで、そのレーススタイル相まって一層多くのファンを引き付けることになったのだと思います。
1年ぶりでも衰えぬ末脚 毎日王冠 & 最後方からの全頭差し切り 天皇賞・秋
前年の激戦の疲労もあって、元々良くなかった蹄の状態が悪化した影響で春シーズンを全休したミスターシービーは、ほぼ1年ぶりの復帰戦として毎日王冠に出走してきました。
直前の調教で全くと言っていいほど動きが冴えなかったことも影響してか初めて2番人気となり、レースでも後方待機から直線逃げるカツラギエースを捕まえきれずの2着に終わりました。
しかし、1年ぶりの実戦であるにもかかわらず、直線で当時としては滅多に見ることのできない33秒台の上がりタイムを叩きだし、その走りを見た多くのファンから感嘆のため息が漏れるほどの末脚は全く衰えを感じさせないものでした。
次走の天皇賞・秋では最後方待機から直線は大外から全頭を差し切ってしまったように、その末脚はレースを走るごとに磨きがかかっており、さらにミスターシービーのファンが増えていく要因の一つとなりました。
後輩三冠馬 シンボリルドルフとの対戦
三冠馬対決となったミスターシービーとシンボリルドルフの対戦は1984年のジャパンカップと有馬記念、翌年の天皇賞・春と3度実現しました。
その全てでシンボリルドルフが先着しているように、純粋な競走能力だけを見てもシンボリルドルフの方が上であったのは否定できない事実だと思います。
しかし、ジャパンカップでは完全な調子落ちであったのに加えて、有馬記念では直線内が詰まって仕掛けが遅れる不利、そして天皇賞・春では一か八かの大マクリを打って直線失速したように、全ての対戦でスムーズなレースができていなかったのもまた事実でしょう。
さらにダービーや菊花賞を制してはいるものの、カッとなりやすい気性的にも関係者も含めてミスターシービーの本質は中距離馬と見ており、もし天皇賞・秋を制したベストとも言える東京芝2000mでシンボリルドルフと対戦した場合、どちらが勝つかというのは非常に興味をそそられるものではないでしょうか。
安定した先行抜け出しを狙うシンボリルドルフに対して、直線一気のミスターシービーの末脚がどれだけ通用するのか、想像するだけでもワクワクする大戦になったのではないかと思います。
最後の真っ向勝負!天皇賞・春
前年のジャパンカップ、有馬記念でシンボリルドルフに先着を許し、天皇賞・春の前哨戦として出走した大阪杯でも格下の存在であったステートジャガーに競り負けての2着惜敗と、天皇賞・春を迎えるにあたってミスターシービーは先輩三冠馬としてまさに崖っぷちの存在でした。
そうして迎えたシンボリルドルフとの3度目の対戦で、ミスターシービーは最後の最後に『らしさ』を感じさせる走りを見せてくれました。
これまで通りのレースではシンボリルドルフには敵わないと思った末の作戦かどうかは定かではありませんが、道中後方馬群でジッと脚を溜めていたのは同じでしたが、2週目の坂に差し掛かったところで後方から一気にマクって動いたミスターシービーはシンボリルドルフを交わして、直線を向いたところでは3度目の対戦で初めてシンボリルドルフの前に出ました。
しかし、やはり無理なスパートが影響したか、直線半ばでシンボリルドルフにアッサリ交わされると力なく失速し、他馬にも交わされての5着完敗でした。
ただ、結果として惨敗に終わったものの、その全てを出し切ったレース振りはファンにとっても納得できるものであり、まさに最後の力を振り絞っての気合を感じさせる熱い走りだったと思います。
ミスターシービーの産駒について
引退後、内国産種牡馬として初めて社台スタリオンステーションに繋養されたミスターシービーは、名種牡馬であるトウショウボーイの後継種牡馬として大きな注目を集め、また初年度産駒からヤマニングローバルを始めとした3頭の重賞馬を輩出し、まさに順風漫歩といったスタートを切りました。
しかし、その期待の高さに加えて当時のバブル景気によって種付け価格が高騰したことで、その後は以前ほどの期待に応える産駒を輩出することができず、1999年に種牡馬生活から引退しました。
一時は2000万円とも言われたミスターシービーの交配価格が結果として種牡馬としての評価を落とす原因となってしまいましたが、ある意味では『名誉』とも言える価格であったとも今となっては強く思います。
まとめ
最近ではオルフェーヴルやゴールドシップなど、いつの時代でもいい意味での『常識外れの馬』は人気を集めることが多いですが、ミスターシービーはまさにそれらの先駆け的存在だったと言えるでしょう。
実力では敵わなかったものの、人気面においてはシンボリルドルフ相手でも十分に勝っていたのは、ミスターシービーにとって十分胸を張れる『勲章』とだと思います。
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