出典:wikipedia
日本の競馬のレベルが上がってきていることもありますが、例えばたいへんな人気を得たディープインパクト産駒のエイシンヒカリのように、日本国内ではあまり良いところがなかったものの、海外ではとてつもない強さを見せるタイプもここ数年でみられるようになってきました。
とはいえ、やはり私たち日本人からすると、どうしても国内の競馬をベースとして考えたいというエゴもあって、できることなら日本でも海外でもチャンピオンであってほしいというぜいたくな希望があります。
現役ではモーリス、この馬はもう文句なし、国内でも大エースであり、おそらく世界最強馬の1頭であることは間違いありません。
このモーリスとほぼ互角の能力があったと思われるのが、一昨年引退したジャスタウェイです。
今回は、間違いなく一時代を築いた名馬・ジャスタウェイにスポットを当ててみることにしましょう。
ジャスタウェイの血統
それでは、世界的名馬ジャスタウェイの、まずは簡単なプロフィールをご紹介したいと思います。
血統
現役時代に素晴らしい成績を残して種牡馬入りする名馬は多いですが、自身を超えるポテンシャルを持つ産駒を輩出する名馬は、正直そんなに多くはありません。
そういった意味では、ジャスタウェイの父ハーツクライが、息子ジャスタウェイの活躍によって「大種牡馬」の仲間入りを果たしたと考えてもおかしくはないでしょう。
そもそも父ハーツクライからして、お母さんはトニービン産駒で重賞勝利もあったアイリッシュダンスで、この馬も牝馬の中では間違いなくGⅠ級の素質があった名牝だったといっても過言ではありませんでした。
チーム・ジャスタウェイ
ジャスタウェイ(馬主は大和屋暁氏)といえば、芦毛の怪物ゴールドシップと並び、栗東・須貝尚介厩舎の代表馬でした。
ゴールドシップというと、成績の素晴らしさだけでなく、普段から他馬を威圧する雰囲気や、ゲートの中でときおり「馬とは思えない叫び声」(福永騎手)といわれるような咆哮(ほうこう)を放つ、まさに「怪物」でしたが、しかし厩舎ではジャスタウェイとゴールドシップは大の仲良しだったという微笑ましいエピソードもあります。
「白い猛獣」だったゴールドシップに対し、これをいつも傍らに見ながらたしなめるような、穏やかな性格の鹿毛馬ジャスタウェイのコントラストというのも、いつみても本当に絵になるコンビでした。
ジャスタウェイにしろゴールドシップにしろ、日本馬のレベルが上昇しているさなかだったこともあり、一度の敗戦でいろいろ言われることも多かったですが、須貝厩舎からジャスタウェイとゴールドシップが夢の凱旋門賞に挑んだというのは、それだけでもたいへんな偉業だったと思います。
数年前ではちょっと考えられないことでしたから。
ジャスタウェイの主戦は福永祐一騎手でしたが、個人的にはこのジャスタウェイの活路を切り開くきっかけをつくったのが、ジャスタウェイがなかなか勝ちきれなかった当時の大ベテラン・柴田善臣騎手との出会いだったと感じています。
ジャスタウェイが頭角をあらわした新潟2歳ステークス
ジャスタウェイが頭角を現したのが、2歳時にデビューしてわずか2戦目の新潟2歳Sでした。
新潟2歳Sというと、直線が長い新潟外回りコースのマイル戦ということで、勝ち馬には期待が集まります。
しかし当時はどうもこのレースの勝ち馬のその後の成長力に疑問が感じられることのほうが多かったというのが正直な印象です。
しかしジャスタウェイは、モンストールの2着に敗れはしたものの、いくら時計が速い新潟であっても、さすがに上がり3Fが32.6秒という強烈な決め手が、多くのファンの印象に残ったのではないかという気がします。
翌年の勝ち馬ハープスターとともにジャスタウェイも凱旋門賞に向かったわけですから、もう「新潟2歳Sはたいへんな出世レースである」と断じてもよいのかもしれません。
ところがジャスタウェイは、新潟の呪いではありませんが、その後東スポ杯と年明けのきさらぎ賞で4着と敗れます。
しかし続く中京のファルコンSでは、久々に豪脚を発揮し、念願の重賞初制覇を成し遂げるのでした。
それでも春のクラシックシーズンではあまり良いところがなく、NHKマイルCを6着、ダービーを11着に大敗し、その後もなかなか勝ちきれないまま1年以上の時は流れました。
筆者は正直、「やっぱり新潟2歳Sで好走するとあまり良くないな・・・」などと考えていたのですが、その矢先、ジャスタウェイに転機が訪れます。
手応えを感じた毎日王冠と天皇賞秋の大勝利
大ベテランの柴田善臣騎手に乗り替わった毎日王冠では、これまでこだわり続けた後方待機策を捨て、好位からの競馬を敢行しました。
このあたりはさすがに大ベテランの味のある騎乗で、結果的にはこれまでと変わらぬ「2着」ではありましたが、好位からの競馬でも上り32.7秒の究極のキレ味を発揮することができたという裏付けは、ジャスタウェイにとって何よりも大きな収穫だったといえるでしょう。
その予感は見事的中し、福永騎手に戻った続く天皇賞秋で、なんと、あの(後の)七冠牝馬ジェンティルドンナを4馬身もちぎり捨てる大勝利を手にするのでした。
あの勝ち方は、GⅠ初勝利の馬のポテンシャルとはとても思えないような、はっきりとジェンティルドンナとはレベルが違う結果だったことは間違いありません。
その後はゆっくりと休養を挟み、年明けはドバイ遠征を視野に入れ、中山記念からの始動となりました。
このレースでも、ベテランの横山典弘騎手が手綱をとり、ラチ沿いぴったりを回って圧勝するという、ベテランとベストホースが見せる芸術的なレースでした。
ドバイで手に入れた世界一の称号、最後まで走り抜いた現役生活
そして本番のドバイDFではまた福永騎手が手綱をとり、このレースではもうあきれるような強さ、世界の強敵を向こうにまわして先行から楽々抜け出し、後続に6馬身以上の差をつけ圧勝、ついに「世界一」の称号を手にするのでした。
本格化した天皇賞秋から数え、わずか半年足らず、わずか3戦目という、まさにシンデレラボーイとなったジャスタウェイでした。
600万米ドルという高額賞金をドバイDF制覇によって手にしたのは素晴らしいですが、それ以上に、何かと厳しいコメントを残す須貝調教師が思わず涙をこぼすというワンシーンも、見ているほうからしてもジーンとくるシーンでした。
ジャスタウェイにとっても陣営にとっても、ほんとうに思い出深いドバイミーティングになったのだと思います。
父ハーツクライもそうでした。
七冠牝馬ジェンティルドンナや三冠馬オルフェーヴル、そしてあのディープインパクトをもってしても、「海外帰りは勝てない」とされた安田記念に、ジャスタウェイはドバイからの復帰戦を定めます。
福永騎手が乗れなくなったこともあって、ジャスタウェイにとっては思い出深い柴田善臣騎手と再びタッグを組んで臨む安田記念でした。
乗り替わり、ドロドロの不良馬場、負けられない立場・・・いろいろなプレッシャーもあり、またレースでも有力馬から執拗なマークにあう厳しい競馬でしたが、しかしジャスタウェイは世界一の称号に恥じぬ力強い走りで最後の最後まで走り抜き、わずかハナ差で安田記念を制覇しました。
その後は有馬記念4着を最後に引退し、現在は種牡馬として活躍しています。
きっと種牡馬としても、自身の力強さ、鋭いキレ、そして勝負根性を産駒に伝え、代表産駒一覧に名馬を連ねてくれるのではないでしょうか。
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