ヒシミラクルの写真
出典:wikipedia
ヒシミラクルとは?血統と、デビュー戦から菊花賞までの軌跡
ヒシミラクル 牡 芦毛
父 サッカーボーイ |
父の父 ディクタス |
父の母 ダイナサッシュ |
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母 シュンサクヨシコ |
母の父 シェイディハイツ |
母の母 シュンサクレディ |
父サッカーボーイ 母シュンサクヨシコ 1999年3月31日生まれ
栗東 佐山優厩舎 馬主 阿部雄一郎 生産者 大塚牧場
通算成績 28戦6勝 重賞3勝(菊花賞GⅠ・天皇賞(春)GⅠ・宝塚記念GⅠ)
ヒシミラクルについて書きます。
この馬、本当に僕の記憶に残っている馬で、まさに「ミラクル」な勝ち方をした馬なんですよ。
ヒシミラクルは2001年の8月の小倉でデビューします。初戦は13頭立ての9番人気と全く人気が無く、レースでも後方からジリジリ差を詰めただけの7着。
見どころも特に無かったため、折り返しの新馬戦でも10番人気で11着と全くいいところなし。その後9月の阪神で未勝利を2戦しましたが、ここでも見せ場すら無し。
5戦目は距離を一気に2000mに伸ばして臨みましたがやはり後方からジリジリと伸びて8頭立ての5着。
しかしここから徐々にヒシミラクルは目覚め始めます。続く京都の1800m戦では、10番人気ながら後方から追い込み2着と初の連対。
次の未勝利では2番人気に支持され、上がり最速で追い込むも3着。
なかなか成績が安定してきたミラクルですが、デビューから3か月弱で7戦と、疲れが出たのか、しばし休養に入ります。
そして4か月半の休養から復帰し、3戦目に初めて2000mを使い通算10戦目にして初勝利を挙げます。
その後も500万は2戦で卒業。1000万でも連続3着のあと、9月の野分特別で勝利し、遅ればせながらクラシック最後の一冠菊花賞の出走の可能性も出てきました。
そこで陣営が次に選んだレースが、菊花賞トライアルの神戸新聞杯。今までの相手とは違い、皐月賞馬ノーリーズン・ダービー2着馬シンボリクリスエス・宝塚記念3着馬ローエングリンと、同世代の一線級が相手です。
ここで3着以内に入れば菊花賞の優先出走権が取れるとあっての出走だったのですが、最後方から進み向正面では早くも手が動き、直線もバテずに伸びましたがシンボリクリスエスからは1.3秒離された6着に終わります。
最初のミラクル・菊花賞、1番人気ノーリーズンの落馬
しかし、そのシンボリクリスエスは天皇賞(秋)に向かい、ダービー馬タニノギムレットは戦線離脱と、混戦模様になり、ヒシミラクルの賞金でも出走できるようになりました。
当日の人気は10番人気。
重賞で入着もないし、春のクラシックで活躍したわけでもないので、この辺が妥当な人気と言えますが、神戸新聞杯3着のナムラサンクスよりも人気が上だったのは、もしかすると3000mで大化けの可能性アリ、と見ていた人もいたのだと思います。
その菊花賞。スタート直後に1番人気ノーリーズンが落馬という波乱の展開で幕を開けます。
レースは前半1000mを58.3秒でローエングリンが飛ばす展開で、ヒシミラクルは最初は付いて行けず14番手。
ところが次の1000mで66秒台とガクンとペースが落ち、ヒシミラクルは自分のペースで走って徐々にポジションを上げていきます。2週目4コーナーの下りで先頭集団に並びかけ、直線は粘るメガスターダムを振り切り、ファストタテヤマの猛追をハナ差凌ぎきり、見事勝利します。
これが通算17戦目、初重賞がGIという快挙でした。
ちなみにこのレースで2着のファストタテヤマは16番人気で、馬連で96070円、3連複(当時は3連単無し)で344630円の大荒れの菊花賞でした。
晴れてGⅠ馬となったヒシミラクルは当然のようにグランプリ有馬記念に出走しますが、ここではシンボリクリスエス・ノーリーズン・ファインモーションの同期には叶わず後方のまま11着に沈みます。
翌年、春の天皇賞を目標に阪神大賞典から始動しますが、上がりの勝負に持ち込まれ12着と大敗。
2つ目のG1制覇・天皇賞(春)
続く産経大阪杯もやはり前が残る展開で7着が精一杯で、天皇賞(春)は前年の菊花賞馬にもかかわらず7番人気の低評価でした。
しかしレースは途中の2ハロンを除いてはほぼ平均的に流れたため、ヒシミラクルには持って来いの展開となり、2着サンライズジェガーに1/2馬身を付けて優勝。
二つ目のGⅠを獲りました。
この時も2着が8番人気のサンライズジェガーだったので、馬連・3連複ともに万馬券の結果となりました。
3つ目のG1タイトル・宝塚記念
次にヒシミラクルが選んだのは春のグランプリ宝塚記念。
春の天皇賞馬にもかかわらず、距離不足との見方で6番人気でしたが、最初の1000mが59.4秒、次の1000mが59.7秒と平均して同じペースで流れたため、ヒシミラクルには絶好の展開となり、最後の1ハロンが12.9秒という2200mにしてはスタミナ勝負になったため、猛追するツルマルボーイをクビ差退け、3つ目のGⅠタイトルを奪取します。
休養を挟んで、秋はジャパンカップと有馬記念を目標に、初戦の京都大賞典では2番手の好位からレースを進めて、タップダンスシチーの2着と健在をアピールしましたが、ここで繋靱帯炎(けいじんたいえん)を発症してしまい、1年間の休養を余儀なくされます。
復帰初戦となった翌年天皇賞(秋)ではさすがにスピード勝負について行けず、ゼンノロブロイから3.8秒も離された16着に惨敗。
ジャパンカップ・有馬記念ともに好位からレースをしましたが、直線後退しそれぞれ9着・14着と敗れました。
明けて6歳、初戦の京都記念は小頭数と重馬場も手伝って3着と健闘しましたが、2度目の制覇を目指した天皇賞(春)はファンの期待も高まり3番人気に支持されましたが、好位からの競馬で直線は全く伸びず16着に大敗し、レース後に再び繋靱帯炎を発症しているのがわかり、引退しました。
ヒシミラクル事件で話題になったミラクルおじさんとは?
ヒシミラクルが競馬界以外で有名になったのはこの「ミラクルおじさん」がいたからなんですね。
このおじさんは、宝塚記念でヒシミラクルの単勝に1220万円を入れ、払い戻しが2億円近くになった、という伝説のおじさんで、未だに誰なのかはわかっていません。
宝塚記念の前日発売で購入したらしいのですが、一時ヒシミラクルの単勝オッズが1倍台になっていたので、間違いない事実として語られています。
巷の話では(所説あるようですが)、まずこのおじさんは消費者金融から50万円を競馬で賭けるために借りたらしいです。
そしてまずは2003年の日本ダービー・ネオユニバースの単勝に全額賭けます。
見事的中で、2.6倍の130万円になります。(別の説として、5万円の資金をNHKマイルCのウインクリューガーの単勝(26倍)に賭けて130万円にしたという説もあるそうです)
その130万円を今度は翌週の安田記念、アグネスデジタルの単勝に全額突っ込みます。4番人気だった単勝は9.4倍付き、130万→1222万円に増えます。
そして宝塚記念。この1222万円を全額ヒシミラクルの単勝につぎ込んで見事的中。
最終的にオッズは6番人気の16.3倍もあったため、払い戻し額は1億9918万6千円という、菊花賞の優勝賞金よりも多い額を手にしたとされています。
この現象はテレビのワイドショーにも取り上げられ、また後日、当人と思われる男性からJRAに「配当を全額寄付する」との連絡があったと言いますが、JRA側は公式に発表していないので、真意のほどはわかりません。
また、このおじさんが実際に配当金を受け取ったかどうかもはっきりとはわかっていないとの事です。
ヒシミラクルの現在、種牡馬生活
引退後はやはりGⅠ3勝の成績を買われ、レックススタッドで種牡馬となります。
内国産のサッカーボーイの貴重な後継種牡馬として期待されましたが、血統自体が地味であり、また現役時代の成績のムラなどが敬遠されて繁殖牝馬は思うように集まらず、わずか5世代、20頭ほどの産駒を残して、2010年に種牡馬を引退し現在は中村雅明牧場で余生を過ごしているとの事です。
まとめ
このように非常に話題性のあったヒシミラクルですが、はっきり言って好走できるパターンがこれほど少ないGⅠ馬も珍しく、なおかつGⅠで好走パターンに3度も嵌った事は、まさに強運の持ち主「ミラクル」な馬だったと思います。
また、血統は地味でも、牝系は古くからの日本土着の血統ですので、この血を残してほしいという思いはありましたね。
最近は同じ芦毛・好走と惨敗が紙一重など、特徴がゴールドシップに似ているという意見もあるようですね。
一緒に走ったらどうなったでしょう?僕はゴールドシップの方が強いと思いますけどね(笑)
でも勝っても負けても、本当に憎めない記憶に残る馬だったと思います。
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