有馬記念 2016特集 - 出走予定馬・データ分析・歴代優勝馬
レース日程
レース名 | 有馬記念(G1) |
---|---|
日程 |
2016年12月25日 |
競馬場 | 中山競馬場/芝/2500m |
条件 | サラ系3歳以上オープン |
出走予定馬
情報が入り次第更新していきます。
みんなの夢が走ります
競馬の総決算。
暮れの有馬記念は1年のレースの最期を飾るグランプリレースです。
競馬を好きな人も、そうでない人も。
クリスマスや年越しの忙しない雰囲気に背中を押されるように有馬記念を楽しむのもまた、ある意味で日本の風物詩のようになっているように思えます。
普段は馬券など購入しない人までも『有馬記念だけは買う』と特別な存在感があるのではないでしょうか。
有馬記念は夏に行われる『宝塚記念』と並び2大グランプリレースとしてしられていて、その出走馬はファンの人気投票を基準に選出されます。
有馬記念の生い立ち
昭和30年(1955年)までの中山競馬場の呼び物は『中山大障害』でした。
しかし、東京競馬場での『東京優駿』などと比較すると華が欠けていると言われていたことから、当時の日本中央競馬会理事長だった有馬頼寧氏が中山競馬場の新スタンド竣工の際に『暮れの中山競馬場で日本ダービーに匹敵する大きなレースを!』――と、提案し、更に当時では他に類を見ない『ファン投票』と言うファン参加形式で出走馬を選出すると言う画期的立案が採用され昭和31年(1956年)に『中山グランプリ』として創設されました。
第1回目の中山グランプリの熱も冷めやらない昭和32年(1957年)1月9日、創設者である有馬理事長が急逝してしまった為、氏の功績を称え第2回目以降『有馬記念』と改称。
それより現在まで『有馬記念』は中央競馬を締めくくるレースとして定着し多くの競馬ファンの楽しみとなっています。
有馬 頼寧 ありま・よりやす
明治17年12月17日~昭和32年1月9日
日本の政治家にして農政研究者。旧筑後国久留米藩主・有馬家第15代当主。(伯爵)
第14代・農林大臣/日本中央競馬会2代理事長/プロ野球オーナー。
・座右の銘・ 『もろもろの心 柳に任すべし』
有馬記念・概要
レース概要 |
出走条件 |
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開 催 |
中山競馬場 |
出走資格 |
サラ系3歳以上(国際)(指定) ※出走可能頭数:最大16頭 |
距 離 |
芝・2400m |
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格付け |
GI |
・JRA所属馬 |
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負担斤量 |
定量・3歳55㎏ 4歳以上57㎏ 牝馬2㎏減 |
・地方競馬所属馬 |
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|
・外国調教馬 |
出走条件
・JRA所属馬 =ファン投票選出馬、及びJRA選定馬
・地方競馬所属馬=JRA選定馬のみ
・外国調教馬 =最大6頭優先出走
出走馬選定
・特別登録を行った競走馬のうちファン投票上位10頭、及び外国馬は優先出走できます。
・上記以外のJRA所属馬。地方競馬所属馬は以下の通り総計額の多い順に出走可能。
『通算収得賞金』+『過去1年間の収得賞金』+『過去2年間のGIレースでの収得賞金』
枠番(馬番)決定法
※従来『枠順は抽選で決定する』としていた競馬施行規定及び規約が改正され、平成26年(2014年)11月25日に農林水産省から許可がなされた事で『出走馬の関係者が希望する枠順選択』(判りやすく述べると野球のドラフト抽選のような形式)でしょうか。
①(ゲストが)抽選カードを引く(無作為選定)
②引かれた競走馬の名前が出た順に関係者が希望枠(馬番)を決める。
③決定を繰り返す。
結局の所、希望枠が取れるのは前半に名前が呼ばれた順なので後半は通常の抽選とさして差はないように思えますが、テレビ中継などがあるのでイベント要素的なものだと思います。
過去の名勝負
有馬記念には“奇跡”や“名勝負”など数多くのドラマが生まれています。
オグリキャップやトウカイテイオーの『復活』を目の当たりにしたレースや、オルフェーブル、ジェンティルドンナの最強3冠馬の花道としてのレース。
そして次の新たなスターが生まれる瞬間も、また有馬記念の特徴でもあります。
そんな歴史の中でも色褪せず競馬ファンに今も尚、伝説として語り継がれているレースが、昭和40年(1965年)第10回有馬記念――優勝は戦後初の3冠馬にして現在も『連対記録数19』というJRA記録保持、生涯成績19戦15勝2着4回、日本サラブレッドの最長長寿記録(旧年齢36歳)を持つ『シンザン』です。
『シンザンが“外を回れ”といったから――』
中山競馬場の馬場は稍重、そしてコースは一見ダートコースのように荒れている。
シンザンは人気投票1位で有馬記念に駒を進めていましたが、主戦騎手と調教師のよるローテーションのイザコザにより鞍上は急遽、決まった松本善登騎手。
打倒・シンザンを掲げ挑むサラブレッドと騎手、その中にミハルカスと加賀武見騎手が虎視眈々と“秘策”を持ってレースに挑んできました。
ミハルカスの逃げでレースは進み、最後の直線で、それは起こります。
前を行くミハルカスは大外へと膨らみ、後方から追い上げるシンザンを馬場の悪い内側へ追いやり、悪道を苦手としていたシンザンの走りを鈍らそうと大胆かつ一か八かの戦略に賭けました。
――――ですが、シンザンと松本騎手はその加賀騎手の思惑とは真逆の方法でゴールを、最後のレースを勝ちに行ったのです。
それが未だかつて誰も真似できないであろう大外・外埒一杯にまで寄せた走り。
瞬間シンザンの姿はスタンドとテレビの前にいるファンの視界から消えました…これが俗に言われている『シンザンが消えた!』伝説です。
シンザンは、そこからミハルカスを交わし1 3/4馬身の差をつけ有終の美を飾り尚且つ5冠を達成しました。
そして、鞍上の松本騎手がその騎乗について訊ねられた時、こう答えたのです。
『シンザンが“外を回れ”と言ったから』
奇しくもシンザン引退の際に、やはり武田文吾調教師が引退決意について訊ねられた時こう答えられました。
『シンザンが“やめる”と言ったから』――と。
枠 |
馬 |
競走馬名 |
性齢 |
斤量 |
人気 |
騎手 |
1 |
① |
ヒカルポーラ |
牡7 |
55 |
4人気 |
高橋成忠 |
2 |
② |
クリデイ |
牡4 |
54 |
7人気 |
森安重勝 |
3 |
③ |
ブルタカチホ |
牡5 |
56 |
6人気 |
大崎昭一 |
4 |
④ |
シンザン |
牡5 |
56 |
1人気 |
松本善登 |
5 |
⑤ |
ハクズイコウ |
牡5 |
56 |
2人気 |
保田隆芳 |
6 |
⑥ |
ミハルカス |
牡6 |
55 |
3人気 |
加賀武見 |
7 |
⑦ |
ウメノチカラ |
牡5 |
56 |
8人気 |
森安弘明 |
8 |
⑧ |
ヤマトキヨウダイ |
牡6 |
55 |
5人気 |
野平祐二 |
1965年12月26日 第10回 有馬記念 中山10R 芝2600m 稍重
単 勝 |
④ |
110円 |
複 勝 |
④ |
110円 |
|
⑥ |
200円 |
|
③ |
240円 |
枠 連 |
4-6 |
910円 |
シンザンは誰よりも早くゴールして、誰よりも早く止まったとされています。
着差に大きな差が無いのも、これだけあれば勝てるだろう…と言った走り方をするからであり、その差が例えハナ差であっても、きっと縮まらない差だと言われています。
無駄な体力は使わない。
勝てる距離(差)を計っている。
そんな勝ち方からシンザンは『ゴール板を知っている』とまで言われました。
◇シンザン 1961年4月2日生まれ 牡/鹿毛/北海道・浦河町
父:ヒンドスタン 母:ハヤノボリ 母の父:ハヤタケ
生涯成績19戦15勝2着4回
主な勝鞍:皐月賞/東京優駿/菊花賞/宝塚記念/天皇賞(秋)/有馬記念
1964年:年度代表馬/最優秀4歳牡馬 1965年:年度代表馬/最優秀5歳以上牡馬
代表産駒:ミナガワマンナ/菊花賞/アルゼンチン共和国杯
ミホシンザン/皐月賞/菊花賞/天皇賞(春)
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