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衝撃!過去に実際起きた競馬の事件史

フードを被った怪しい男性

 

現在ではファン層の広がった競馬ですが、以前はいろいろな黒い噂や事件があったようです。

 

ギャンブルですので、イカサマや八百長の噂は常に飛び交っていたようです。

 

ですが、相手が動物であるがゆえに100%不正かどうかを決めることは難しいと言われます。

 

ですのでここでは八百長疑惑に関しての事件は1つだけにして、その他話題になった事件をいくつか紹介します。

 

なお、事件の大小はありますが、独断で選ばせていただきましたのでご了承ください。

 

山岡事件

中央競馬史上最大と言われている不正事件です。

 

1965年、騎手の山岡忞(つとむ)が、暴力団員と手を組んで八百長レースをしていたと言われ、山岡の他3人の中央競馬の騎手が暴力団員とともに逮捕され有罪になりました。

 

内容は、山岡の乗る馬を勝たせるように、本命馬の騎手にわざと敗退させるように指示をした、というもので、山岡は天皇賞や有馬記念を勝った事もある一流ジョッキーだったこともあり、競馬界は衝撃を受けました。

 

社会に対する影響も大きく、「公営ギャンブル廃止論」を唱える政党もあったくらいです。

 

当然、逮捕された騎手は競馬界から永久追放となりましたが、一方で馬の意思にも左右される競馬は八百長が難しいとされ、八百長に否定的な意見があったことも事実です。(参考:ウィキペディア「山岡事件」)

 

キタシバスペイン事件

1992年の1月の京都競馬で勝利したキタシバスペインのレース後のドーピング検査で、同馬の尿から禁止薬物のカフェインが検出され、馬主・調教師・厩務員が逮捕された事件です。

 

馬主が調教師に頼んで栄養ドリンクを飲ませたと言われています。

 

キタシバスペイン自体は、そのレース成績は一着のままでしたが、関係者が逮捕されたことで馬主・調教師が替わり、地方(金沢)に移籍させられました。

 

しかし、キタシバスペインは移籍先の地方競馬で、「オレは悪くないんだよ」と言わんばかりに12勝を挙げ、現在重賞になっている白山大賞典などにも勝って種牡馬入りまでしました。

 

イソノルーブル落鉄事件

1991年、第51回桜花賞のレース直前にイソノルーブルが落鉄しているのがわかり、蹄鉄の打ち替えが行われましたが、興奮状態のイソノルーブルは打ち替えをさせず、落鉄したままレースに臨んで5着に敗れます

 

問題はJRAが落鉄と打ち替え作業はアナウンスしましたが、落鉄したまま走らせた事はアナウンスしていなかった事です。

 

JRA側は「打ち直しに時間がかかった場合にイソノルーブル以外の競走馬に与える影響を考え、また、蹄鉄を装着しないことは競走能力を減退させる決定的な要因とはならないという判断から、速やかにスタートすることを優先させた。」(引用:ウィキペディア「イソノルーブル落鉄事件」より)との言い分でしたが、納得がいかない一部の馬券購入者の中で、民事訴訟を起こした人もいました。(結果は敗訴)

 

しかし次のオークスで、イソノルーブルは逃げ馬に不利とされた大外20番枠からハナを切り、ギリギリ逃げ切ってオークス馬になったのでした。

 

この時は「桜花賞に納得がいかない」ファンと、「可哀そうだった桜花賞の借りを返せて良かった」というファン、2通りの意見がありましたが、後者の方が多かったっと思います。

 

シンコウシングラー事件

1999年5月、東京の緑風ステークスで2着したシンコウシングラーですが、レース後の検量で負担重量が既定の範囲(1kg)を超えていた(1.7kg)として失格になった事件。

 

鞍上の柴田善臣騎手が、負担重量の調節用の2キロのゴムパッドを装着せずに騎乗し出走したことが原因でした。

 

JRAは柴田善臣騎手と栗田博憲調教師にそれぞれ罰金を課しましたが、シンコウシングラーに関する投票馬券に関しては不的中として扱われ、返還等はありませんでした。

 

この事件以降、検量の回数が増やされ、現在も行っている装鞍所での検量が行われるようになりました。

 

サンエイサンキュー事件

人間たちの欲望に振り回され、過酷なローテーションで出走し続け、有馬記念で故障してしまった不運な馬です。

 

事件としては1992年のエリザベス女王杯前、それまで休養を取ることなく出走し続けていたサンエイサンキューの主戦田原騎手と、取材したサンケイスポーツとの間で起こったトラブルで、田原騎手が調教後のインタビューで同馬の体調がおもわしくない事をコメントしたのち「こんなに悪く言っちゃって、これで勝ったら頭を丸めなきゃなんないな」と発言した(参照:ウィキペディア「サンエイサンキュー事件」より)事を、サンケイスポーツの水戸記者が翌日の1面で「田原2着以上なら坊主頭になる」という見出しでスクープした事から対立が始まり、有馬記念では田原騎手がサンケイスポーツの取材を拒否するなど、泥沼化していきました。

 

一方、酷使された理由は馬主の岩崎氏の方針であったようで、資金難からの賞金稼ぎとも、ライバル馬だったニシノフラワーの馬主西山正行氏への対抗心だったともいわれていますが、田原騎手が言っていたように1992年秋から調子はずっと良くなかったようで、有馬記念の前には調教に乗るとトウ骨の軋む音が聞こえたといいます。

 

その有馬記念でトウ骨を骨折したサンエイサンキューは、通常ならば予後不良状態で、安楽死処分が取られても不思議ない状態だったといいますが、繁殖牝馬として金になるという馬主の強い要望で、延べ6回にわたる手術が施され延命措置が取られましたが、約2年後の1994年に蹄葉炎が原因で息を引き取りました。

 

>> サンエイサンキュー事件の真相は?馬主・岩崎氏と厩舎と田原騎手

まとめ

こうして見てみると、ほんの一部の現象ですが、人間たちの私利私欲が馬を振り回しているのがよくわかります。

 

しかし馬は人間のいいなりになるしかありません。

 

そしてどのレースでも懸命に走るのです。

 

サンエイサンキューのような扱いの馬が今後出てこない事を祈ります。

 

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