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芝1600で6戦6勝!トロットサンダーの現役時時代と産駒成績。死因はなに?

オグリキャップを始めとして地方競馬出身でJRA移籍後に輝かしい成績を残した馬がいますが、トロットサンダーも地方競馬・浦和出身でJRAのG1を2勝と輝かしい成績を残しています。

 

父はダイナコスモス、母はラセーヌワンダという血統です。

 

ダイナコスモスは1986年の皐月賞を制し、その年の秋のシーズンを迎える前に故障を理由に早々に種牡馬入りしている馬です。

 

トロットサンダー以外にJRAで重賞勝利した馬にワンモアラブウエイ(1992年・G3・カブトヤマ記念、1993年・G3・小倉大賞典)がいます。

 

ラセーヌワンダは地方競馬・南関東で2戦未勝利のまま繁殖入りしました。

 

このようにサンデーサイレンス全盛の時代に、決してメジャーな血統とは言えない血統からマイルのエキスパート・トロットサンダーは誕生しました。

 

トロットサンダーの血統

ダイナコスモス

父の父

ハンターコム

父の母

シャダイワーデン

ラセーヌワンダ

母の父

テスコボーイ

母の母

ラ・セーヌ

 

トロットサンダーの通算成績と主な勝鞍

トロットサンダーの競争成績は通算22戦15勝です。

 

その内訳は、地方競馬・浦和で9戦8勝、JRAで13戦7勝となっています。

 

重賞はG1で2勝(1995年マイルチャンピオンシップ、1996年安田記念)、G3で1勝(1996年東京新聞杯)しています。

 

中央入りしてからの鞍上は全レースで横山典弘騎手でした。

 

同じ騎手が乗り続けることは強い馬であった証拠とも言えます。

 

また、特筆すべきは芝・1600メートルでの成績で6戦6勝のパーフェクトでした。

 

JRA移籍後、1600メートル戦を除いた成績が7戦1勝ということを考えるといかに1600メートルのマイル戦に適性があったかということがわかります。

 

当時のマイル戦でのレースを振り返ると必ず後方から差してくるトロットサンダーがいたことが思い出されます。

 

初重賞制覇となった1995年マイルチャンピオンシップでは、2着に16番人気のメイショウテゾロを連れてきたことから馬連10万を超える大万馬券となったことも競馬ファンの間では広く知られています。

 

トロットサンダーは7歳まで現役を続けましたが、出走レース数が馬齢の割に少ないのは怪我との闘いがあったからに他なりません。

 

デビューが3歳の夏と遅くなったのも幼少期の怪我が原因ですし、地方競馬・浦和時代にも骨折により1年以上の休養を余儀なくされています。

 

トロットサンダーの種牡馬、産駒成績は?

トロットサンダーは1996年の安田記念を制した後、怪我が原因で引退し、種牡馬入りを果たしました。

 

マイル・スプリンター路線のレース体系が整備されてきている中で、マイルのエキスパートであるトロットサンダーの種牡馬としての人気も高く、初年度は100頭以上もの種付けが行われました。

 

しかしながら、種付け頭数は年を追うごとに減少していきます。

 

そして、種牡馬生活スタートから8年目の2004年に4頭の種付けを行った後、種牡馬生活も引退となりました。

 

産駒の中にJRAの重賞勝ち馬はいません。

 

通算38戦8勝で準オープンまで駒を進めたボタンフジが最多勝利馬となっています。

 

地方競馬には重賞7勝をあげたウツミジョーダンがいます。

 

ウツミジョーダンは引退後トロットサンダーの後継種牡馬として種牡馬入りするも通算でも数頭しか種付けを行わず引退、トロットサンダーの血は途絶えました。

 

トロットサンダーの種牡馬引退後は

トロットサンダーは2004年に種牡馬生活を引退した後、静かに余生を過ごしていましたが、同年11月に不慮の事故でひっそりと天に召されてしまいました。

 

死亡した当時、報道されることもほとんどなく、後になって知ってショックを受けた競馬ファンも多くいたと聞いています。

 

まとめ

トロットサンダーは間違いなくマイルのエキスパートと言える名馬です。

 

ただし、地味な血統などの影響もあり、競走馬生活引退後の種牡馬生活や余生は順風満帆とお世辞にも言えるものではありませんでした。

 

それでも、名馬にあることに変わりはないので、トロットサンダーは競馬ファンの心の中に刻み込まれ続けることでしょう。

 

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