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ダービーで引退した馬アイネスフウジンの馬主、産駒一覧と成績、日本ダービー

アイネスフウジンは、1990年の日本ダービーを制覇した馬です。

 

朝日杯3歳ステークスでは、ハイペースの中を先行策でありながら、見事に勝利をしたことで、JRA最優秀3歳牡馬を受賞しています。

 

戦績は少ないながらも名馬として知られているアイネスフウジンの歴史に残る日本ダービーのことなどをまとめました。

 

馬主

アイネスフウジンの馬主である小林正明氏は、自身の経営する会社の資金繰りがうまくいかなくなったことから、1998年に同じく自動車関連企業の社長と共に自殺が原因で亡くなっています。

 

小林正明氏は馬主となってから、わずか2年でダービー馬のオーナーとなる馬主の中でも、数少ない幸運をつかんだものの、その後は景気の下降とともに自身の会社経営もうまくいかなくなり、自殺という最悪とも言える最後を迎えることになります。

 

馬主時代には多くの所有馬を所有し、日本ダービーを制したアイネスフウジンの他にも、府中3歳ステークスの勝利馬であるアイネスサウザーなども所有していました。

 

アイネスフウジン産駒一覧と成績

アイネスフウジンは、日本ダービー制覇の後に脚部に不安が出て、療養につとめたもののそのまま、脚部不安を理由に現役を退いています。

 

種牡馬になってからもなかなか良い産駒に恵まれずにいましたが、ようやく唯一の重賞制覇馬であるファストフレンドが誕生したことで、種牡馬を引退せずに続行することが出来ました。

 

アイネスフウジンの主な産駒と成績(地方競馬含)は以下のようになっています。

 

・ファストフレンド 牝 38戦15勝 東海ステークス、東京大賞典、帝王賞

・イサミサクラ 牝 32戦6勝

・エレガントモア 牡 59戦5勝

・ヘッドライン 牡 62戦13勝

 

アイネスフウジンの産駒が中央競馬で重賞勝利をおさめたのは、1頭のみで2000年にファストフレンドが東海ステークスを制していますが、残りの産駒やファストフレンドの重賞制覇は地方競馬による記録が主になっています。

 

アイネスフウジンは現役時代にはダートレースの経験がないだけに一概には言えませんが、脚部に不安があるのも理由ですが、重馬場は苦手意識があったようです。

 

種牡馬となったアイネスフウジンの産駒を見ると、正直に言って、思ったような結果が残せていないというのが本音なのかもしれません。

 

現役時代にメジロライアンやハクタイセイにも先着している実績のある馬だけに、その産駒にも期待は高まったことだと思いますが、どちらかというとダートレースや地方競馬での活躍が目立つようになっています。

 

最初で最後のレースになった日本ダービー

アイネスフウジンは、新馬で即勝利とはいきませんでしたが、未勝利戦を経て、朝日杯3歳ステークスを勝利したことで、完全に翌年のクラシック候補といえる存在になったといえます。

 

クラシックに向けた年になると、共同通信杯を断然の1番人気で勝ち、皐月賞の前哨戦となる弥生賞にメジロライアンをおさえて1番人気に支持されましたが、4着に敗れます。

 

皐月賞では、変わらず1番人気になりましたが、ライバルのメジロライアンとハクタイセイと人気をわけあう形となり結果も1着ハクタイセイ、2着アイネスフウジン、3着メジロライアンとなりメジロライアンには雪辱を果たすも、ハクタイセイに敗れてしまいました。

 

迎えた日本ダービーは、東京競馬場に訪れた競馬ファンの数が196,517人という世界最高の人数が入場をしたことで、アイネスフウジンにとっても最高の舞台になりました。

 

当日の人気は、皐月賞が2着に終わってしまったことが原因なのか、1番人気メジロライアン、2番人気ハクタイセイに次いで、アイネスフウジンは3番人気でのスタートです。

 

大歓声の中、スタートをすると、あまり良いスタートではなかったもののアイネスフウジンは、順当に先頭にたつと少し離れた2番手にハクタイセイといった体制でレースがはじまり、道中は良い距離を保ったマイペースの逃げに持ち込み、アイネスフウジンにとっては決して悪くない展開でした。

 

最終コーナーをまわるとハクタイセイとカムイフジが、アイネスフウジンに迫りますが、鞍上の中野騎手は、後ろをみながら距離を保つ作戦で逃げていきます。

 

ハクタイセイとカムイフジが失速しはじめると、いよいよ大本命のメジロライアンが外側から追い込んできました。

 

メジロライアンにとっては、いくら東京競馬場の最終直線が広いといっても22頭の多頭数での競馬だっただけに、決して楽な展開ではなかったと思います。

 

アイネスフウジンは、メジロライアンやホワイドストーンなどの後方からの追い込み組を計ったかのように1馬身ほどの差をつけてゴール板を1着で通過してGI初制覇になりました。

 

弥生賞や皐月賞での、ライバル達への悔しい敗戦を経験して、ようやく最高の舞台でメジロライアンとハクタイセイに勝利をしたアイネスフウジンと中野騎手に対して、レース後に大観衆から中野コールが起こり、実況アナウンサーの声も聞こえない状態になるほどの勝利を祝う声援をうけることができ、秋以降への期待が高まりましたが、このレースがアイネスフウジンの最後のレースということになります。

 

まとめ

日本ダービーの時に騎手の馬券購入は、禁止されているので不可能ですが、鞍上の中野騎手は可能であれば全財産どころか、借金をしても構わないから1番人気で出走させてあげたいと語りました。

 

中野騎手のアイネスフウジンに対する思い入れや自信がこの発言につながったのかもしれません。

 

競馬ファンとしては、朝日杯3歳ステークス1着、皐月賞2着で日本ダービー1着となれば、当然のように菊花賞や有馬記念といった大舞台での活躍を期待したくなりますし、古馬になってからも期待が高くなるのは当然のことだと思います。

 

あまりにも短い現役生活の中でも充分に名馬としての強さを見せてくれた1頭だといえます。

 

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