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地方所属唯一のG1勝利馬!メイセイオペラ産駒、厩務員について、死亡原因は?フェブラリーステークス、帝王賞

1999年12月29日 大井競馬場

出典:wikipedia

 

地方競馬出身で中央競馬に移籍をして活躍した馬は、ハイセイコーやオグリキャップなどをはじめ数多くいますが、地方競馬所属で中央競馬のGIを制覇した馬はメイセイオペラだけです。

 

様々な記録を残したメイセイオペラの実績やその後についてまとめてみました。

 

 

産駒について

メイセイオペラの産駒はとても特徴のある産駒が多くなっています。

 

種牡馬となった初年度は人気がありましたが、徐々に人気がなくなりわずかな頭数しか種付けができない状況になりました。

 

ところが韓国に輸出をした産駒は、好成績を残す傾向があることから、2006年になると韓国へ輸出されることになり種牡馬として生活をすることになります。

 

2011年には産駒初のKRAカップマイルという韓国GIクラスでの勝利をおさめて種牡馬としての結果を残すことができました。

 

メイセイオペラの産駒は芝でもダートでも良く走る傾向があり、距離的な適性も短距離から中距離までこなせる万能タイプが多い傾向がありましたが、結果的に日本国内での産駒はBMSを含めて中央競馬の重賞を勝てた馬は1頭も存在しません。

 

 

厩務員について

メイセイオペラは地方の岩手競馬を主戦としていましたので、デビューから多くのレースを地元の盛岡競馬場や水沢競馬場で出走をしていました。

 

実績を積むに連れて、南関東競馬である大井競馬場や川崎競馬場で行われる重賞レースをはじめ、中央競馬のGIフェブラリーステークスが行われる東京競馬場など、各地への遠征が多くなります。

 

遠征というのは競走馬にとって、かなり負担になるので厩務員も苦労をするのですが、メイセイオペラも例外ではなく、遠征先の水を飲まないという非常に困った状況で厩務員を困らせていました。

 

困り果てた厩務員は、メイセイオペラが遠征をするときには地元の水を持ち込むことで体調管理をするようになりました

 

その後も長期の遠征に備えて練習をしましたが、結果的に地元の水以外は殆ど口にしなかったようです。

 

厩務員のとっさの判断や苦労が実って、遠征先でも数々の功績をあげる事ができたのだと考えられます。

 

 

1998年のフェブラリーステークス

メイセイオペラと言えば、フェブラリーステークスでの地方競馬所属馬の中央競馬GI初勝利だと思います。

 

1999年のフェブラリーステークスは、1番人気のワシントンカラーが4.5倍でしたが、単勝倍率1桁台の馬が6番人気までという混戦模様のレースになりました。

 

メイセイオペラは、2番人気で人気上位という事もあり地方競馬所属馬に大きな期待がかかりました。

 

レースは大方の予想通り、キョウエイマーチの逃げでレースをつくり、メイセイオペラは5番手で好位をキープしていました。

 

残り600mあたりから全体が動き出すと共に、メイセイオペラは徐々に順位を上げて最後の直線400mでは、まだ先頭にはたっていないものの手ごたえは充分という感じでスパートをかけてきました。

 

残り200mからは一気に先頭にたつと2着馬に2馬身差をつける完勝となりました。

 

翌年2000年のフェブラリーステークスにも3番人気で出走をしたメイセイオペラは、前半は3番手とやや前目での勝負となりました。

 

落ち着いたレースができたこともあり、最後の直線では昨年同様に残り200mで先頭にたつと、2連覇が目の前という所で大外から一気に追い込んできた名手ペリエ鞍上のウイングアローにかわされてしまい、ゴール直前で4着にまでなってしまいました。

 

敗けてしまった理由として考えられるのが、1999年秋以降の故障発生により、調整や体調管理がうまくいかなくなっていたことが挙げられますが、それでも最後まで見せ場をつくった勝負根性は見事だといえます。

 

 

1998年の帝王賞

メイセイオペラは帝王賞には3回出走していて、1998年3着、1999年1着、2000年14着となっています。

 

1998年の帝王賞は、南関東競馬所属のアブクマポーロとのライバル対決という事で話題になりました。

 

前走の川崎記念に続いて帝王賞でも3着に敗れてしまいますが、実力的にはまだ今後に期待のできる内容になっていました。

 

1999年の帝王賞は、ライバルのアブクマポーロが川崎記念に出走をした事で直接対決はなくなりましたが、中央競馬のフェブラリーステークスに勝利をした以上、恥ずかしい競馬はできないと1番人気の指示に応えて、見事4馬身差で1着になっています。

 

2000年の帝王賞は、フェブラリーステークスで2連覇を逃した後も今一つ状態が良くならず、地元盛岡で5月に出走をして1着になって立て直しをしてから帝王賞に挑みました。

 

昨年同様に1番人気に支持をされましたが、14着の惨敗に終わり、この帝王賞が遠征最後のレースとなりました。

 

 

死亡原因

メイセイオペラは、種牡馬として韓国で活躍していましたが、2016年7月1日に心不全で死亡しました。

 

最後の年も種付けを3頭行っていたことから体調は決して悪くなかったと推測されます。

 

 

まとめ

地方競馬に所属をしている馬が中央競馬のGIで勝利をすることがどれだけ難しいかという事は競馬ファンであれば、理解していることだと思います。

 

その後にコスモバルクが皐月賞で2着という成績でついに芝でもと期待はされましたが、結果的に海外では勝利をしたものの中央競馬では、GI制覇はできませでした。

 

メイセイオペラも万全であれば、フェブラリーステークスの2連覇が可能だったのではないかと思えるだけに残念な部分もありますが、中央競馬の強豪を退けた勝利は見事の一言だといえます。

 

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