マイラーズカップ出走時(1993年2月28日)
出典:wikipedia
短距離馬として活躍をしていながら、マイル路線でもGI勝利を収める豪脚の持ち主。
最終的には2000mの天皇賞・秋も制覇してしまい、幅広い距離で活躍をした馬です。
20世紀の名馬100の67位に選出されたヤマニンゼファーの人気の秘密と様々なエピソードを紹介します。
ヤマニンゼファーの産駒一覧、特徴
ヤマニンゼファー産駒は中央、地方に多く存在しますが、中央競馬での重賞勝利は2頭とBMSで1頭になっています。
産駒の特徴は親同様に短距離からマイラーとしての素質がある馬が多いのですが、重賞勝利の1つが2002年の東京オータムジャンプという障害レースというのも変わった実績になっています。
尚、2002年の東京オータムジャンプは、通常行われる東京競馬場ではなく、中山競馬場で行われました。
中央重賞勝利
・サンフォードシチー(武蔵野ステークス)
・ヒゼンホクショー(東京オータムジャンプ)
BMS(ブルードメアサイアー)
・ブラウンワイルド(小倉2歳ステークス)
最強だった?
当時のヤマニンゼファーは、競馬関係者の中にも最強馬として名前をあげる人も多かったようですが、実際の戦績を見ると最強と呼ぶには少々力不足は否めないのではないかといえます。
確かにマイラーとしての実績は2年連続で安田記念を制覇している実力馬には違いはありませんし、2000mの天皇賞・秋でも勝っていることから適応距離も短距離からマイルという枠にははめられない実力馬といえるのかもしれません。
一般的に中央競馬の最強馬と言われる馬の多くは中距離以上で活躍した馬が選ばれることが多いので、あまり目立ってはいませんが、少なくとも短距離やマイル路線で比較をしていけば当時は最強レベルですし、歴代でも上位クラスの馬だといえます。
ヤマニンゼファーに騎乗した騎手について
ヤマニンゼファーには6人の騎手が騎乗していますが、騎手という事でのエピソードとなると柴田善臣騎手と田中勝春騎手との話になります。
柴田善臣騎手は、5レース中3勝で安田記念や天皇賞・秋で1着になっています。
一方の田中勝春騎手は、5レース中1勝、安田記念で1着になっています。
数字だけを見ているとさほど特別な事はありませんが、実はヤマニンゼファーにとっての初GI制覇であると共に田中勝春騎手にとっても記念となる初のGI制覇となるレースでした。
柴田善臣騎手との関連は、翌年になりはじまります。
安田記念の前哨戦である京王杯スプリングカップに出走するときに主戦騎手である田中勝春騎手が騎乗停止になっていたこともあり、柴田善臣騎手が代わりに騎乗し本番の安田記念でも1着になりヤマニンゼファーの2連覇に大きく貢献をしました。
ヤマニンゼファーは距離適性や秋の目標を決めるために中山記念に出走を決めましたが、主戦騎手の田中勝春騎手が自身の所属する厩舎のセキテイリュウオーへの騎乗を優先することになり、中山記念は田原騎手で以降は、柴田善臣騎手がヤマニンゼファーの主戦騎手となりました。
この年の天皇賞・秋でヤマニンゼファーとセキテイリュウオーは最後の直線で外のセキテイリュウオーに柴田善臣があえて寄せるように外へ向けて、わずかハナ差でヤマニンゼファーが勝利をおさめています。
2人の騎手で安田記念を連覇したヤマニンゼファーと騎手の関連エピソードとしては、柴田善臣騎手と田中勝春騎手をはずすことはできません。
安田記念、天皇賞の連覇
ヤマニンゼファーのレースといえば、連覇の安田記念と天皇賞・秋になります。
1992年安田記念は、ヤマニンゼファーにとっての初重賞制覇であると共に田中勝春騎手の初GI制覇でもある記念すべきレースになりますが、ヤマニンゼファーは大外18番枠で人気も11番人気でした。
多頭数ではありますが、好スタートからやや位置取りを下げて、好位追走ができる理想の位置取りになりました。
最後の直線も広い東京競馬場ならではの横に大きく広がる展開になりましたが、ヤマニンゼファーは早めに抜け出し、他馬の猛追を振り切って見事勝利をかざりました。
1993年安田記念は、柴田善臣騎手が騎乗しました。
この年は2番人気になり、注目もされましたし、他馬のマークもきつくなると予想されましたが、好スタートから、逃げるマイネルヨースを追走する2番手を平均ペースで自身の理想的な展開に持ち込み、直線早めに先頭にたってそのまま2着のイクノディクタスに1馬身以上の差をつけて勝利しました。
最も壮絶なレースとなった天皇賞・秋は、かつての主戦騎手である田中勝春騎手のセキテイリュウオーとの決着レースとなります。
1番人気は的場騎手騎乗のライスシャワーでしたが、最後の直線で早めに先頭にたったヤマニンゼファーにレース最速の上がりで追い込んできたセキテイリュウオーがおそいかかり一気にかわすかと思うと、あえて外に馬体を寄せて、完全なたたき合いに持ち込んだヤマニンゼファー鞍上の柴田善臣騎手、それにこたえるべく必死に鞭をいれる田中勝春騎手とセキテイリュウオー。
ゴール版の段階でもほぼ同着となりタイムも同タイムになりました。
しかしながら、わずかハナ差でヤマニンゼファーが勝利をおさめました。
ライバル、セキテイリュウオー
天皇賞・秋の激戦が印象的なことからセキテイリュウオーとヤマニンゼファーはライバル関係という見方をされています。
馬同士の直接対決は1993年の3回です。
1993年3月 中山記念
ヤマニンゼファー 2番人気 4着
セキテイリュウオー 4番人気5着
1993年10月 毎日王冠
セキテイリュウオー 8番人気 2着
ヤマニンゼファー 2番人気 6着
1993年10月 天皇賞・秋
ヤマニンゼファー 5番人気 1着
セキテイリュウオー 6番人気 2着
通算成績は2勝1敗でヤマニンゼファーが勝っていますが、やはり最後の天皇賞・秋は歴史に残る名レースといえるだけの素晴らしいたたき合いになりました。
死去について
ヤマニンゼファーは、種牡馬としてはさほどの成績は残せませんでした。
2009年に種牡馬としての役目を終えて、余生を故郷でおくっていましたが、2017年5月に老衰のため29歳で亡くなっています。
まとめ
ヤマニンゼファーは競馬ファンからよりも、競馬関係者から強い馬としての認識が強かったようです。
特に後半の主戦騎手でもあった柴田善臣騎手は、とても素直な馬でおとないいので扱いやすい馬だという評価をしながらも、セキテイリュウオーに勝った天皇賞・秋では、1度はセキテイリュウオーが前に出たところを再度さしかえす、強い勝負根性を持った馬という評価もしています。
確かに安田記念も天皇賞・秋も早めに先頭に抜け出してから長い東京競馬場の直線を計算したかのような見事な勝ち方は、騎手だけでなくヤマニンゼファーの性格が影響しているのかもしれません。
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