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最強馬と言われたダンシングブレーヴの血統、代表産駒一覧と特徴、凱旋門賞の上がりについて

1986年凱旋門賞を勝利したダンシングブレーヴは当時最強馬と言われましたが、日本での出走がないだけに、日本の競馬ファンからは種牡馬としての印象が強いかもしれません。

 

伝説ともいえる競走馬ダンシングブレーヴは本当に最強馬だったのでしょうか?

 

ダンシングブレーヴは最強馬だった?

ダンシングブレーヴは、1983年にアメリカで生まれて、イギリスで競走馬としてデビューをしました。

 

デビュー前から有望な馬で、期待に応えて1985年の初出走で1着になると、連勝を重ねて翌年の2000ギニーで勝利をして初GI挑戦を勝利で飾りました。

 

そのままの勢いで出走をした次走エプソムダービーでは、圧倒的な人気になりながらもレースでは後方待機になり、展開もスローペースになってしまったので、先行有利な展開になりました。

 

最後の直線時には、先頭のシャーラスタニに12馬身離されてほぼ絶望的な差になっていましたが、ラスト2ハロンで一気に追い込んで1/2馬身差まで近づいた事で、2着馬でありながら、ダンシングブレーヴの圧巻の追い込みが印象に残ったレースになりました。

 

1986年秋のロンシャン競馬場で行われた凱旋門賞は、日本からもシリウスシンボリが出走するなど、15頭中11頭がGI馬というレベルの高いレースになりました。

 

このレースでもエプソムダービーと同様に後方からの競馬になったダンシングブレーヴは、最後の直線だけにかけるレースとなりましたが、見事に差し切り勝利だけでなく、コースレコードのおまけもついて堂々と最強にふさわしい馬になりました。

 

ダンシングブレーヴは、凱旋門賞の勝利をレコードで勝ったことにより、インターナショナル・クラシフィケーションというランキングのようなもので141ポンドを与えられたことによって、ランキング制度が始まった1977年以降では最強馬という称号をもらいました。

 

それから26年後にこれまでのレートの見直しにより、ダンシングブレーヴは3ポイントのマイナスということになり、138ポイントになり、2012年にフランケルが140ポイントになったことで、ダンシングブレーヴは最強馬から歴代2位という順位になりました。

 

数字上とはいえ、このレートの見直しが、ダンシングブレーヴが史上最強馬と言われなくなった理由のひとつだと考えられます。

 

ダンシングブレーヴの産駒一覧と特徴

日本の競馬ファンにとっては、ダンシングブレーヴというと競走馬よりも種牡馬としてのイメージが強いように思います。

 

ダンシングブレーヴの日本での主な産駒と勝ち鞍は以下の通りです。

・エリモシック(エリザベス女王杯)

・キョウエイマーチ(桜花賞)

・キングヘイロー(高松宮記念)

・テイエムオーシャン(桜花賞・秋華賞・阪神3歳牝馬S)

 

これらの産駒がGIレースを勝っていますが、ご覧のとおり産駒は牝馬の活躍が目立ちますし、適性距離もさほど長くない印象があります。

 

GIを3勝したテイエムオーシャンも、18戦7勝の成績を残していますが、1200mから2000mで勝利をしていて1着時の平均距離が1600mであることからもマイラーであったことがわかります。

 

産駒の中では、エリモシックが比較的長めの距離が適性で脚質もダンシングブレーヴに近い印象がありました。

 

BMS(母の父)としての代表的な産駒

・スイープトウショウ(宝塚記念・エリザベス女王杯・秋華賞)

・メイショウサムソン(東京優駿・皐月賞・天皇賞春・天皇賞秋) 

 

BMS(ブルードメイサイアー)とは母の父になりますが、数は多くないもののメイショウサムソンのように長距離GIでも勝てる馬がいるのも注目をすべき点になるといえます。

 

ダンシングブレーヴの血統、ダンシングブレーヴ系種牡馬

Lyphard

父の父

Northern Dancer

父の母

Goofed

Navajo Princess

母の父

Drone

母の母

Olmec

 

ダンシングブレーヴの血統は、父がLyphardで母がNavajo Princessです。

 

父のLyphardは、ノーザンダンサー系で適正距離は比較的短距離向きで、脚質もダンシングブレーヴとは異なり逃げ先行タイプでした。

 

母のNavajo Princessも距離や脚質もダンシングブレーヴとは異なる特徴がありました。

 

元々ダンシングブレーヴの血統は、種牡馬として一大勢力を築いたノーザンダンサーの直仔のLyphardを祖としている父系なので、良い血統だといえます。

 

この系統の種牡馬の中でも日本に来た馬の中ではダンシングブレーヴは代表的な馬としても評価されていることから、ダンシングブレーヴ系という呼び方で別扱いとされていることも多くなっています。

 

ダンシングブレーヴの1986凱旋門賞の上がりについて

凱旋門賞はフランスのロンシャン競馬場で行われるGIレースで、芝2400mという距離は日本で行われる日本ダービーと同じ距離になります。

 

世界でも代表的なGIレースという事もあって、毎年強豪馬が揃うのですが、中でも1986年の凱旋門賞は欧州だけでなく日本や南米の馬が集まり、結果的に18頭中11頭がGI馬となりましたが、ダンシングブレーヴはこの凱旋門賞に勝った事で歴代の最強馬としての称号を得ることになりました。

 

1986年の凱旋門賞はスローペースでの展開になったので、後方からの追い込みが得意なダンシングブレーヴにとってはあまり良い展開とは言えませんでした。

 

予想通り、最後の直線の段階になっても後方待機となり、多頭数のレースなので外側をまわるしかない展開になってしまいました。

 

日本の競馬場では、開幕週やコース変更がない限り基本的に芝が荒れていない外側の方が直線で伸びる傾向がありますが、ロンシャン競馬場の外側はあまり伸びない事でも知られていることから、ラスト1ハロンを10秒8のタイムを出したダンシングブレーヴの末脚は本当にすばらしい記録だといえます。

 

見た感じでは、上がり3ハロンは32秒台くらいだと思われますが、当時の記録では上がり3ハロンを31秒台という事になっています。

 

単純に比較とはなりませんが、ディープインパクトの最速上がり3ハロンが33.1秒となっていますから、どちらが強いという意味ではなく、少なくともダンシングブレーヴの末脚のすごさは伝わると思います。

 

まとめ

凱旋門賞の勝利で歴代最強馬として君臨したダンシングブレーヴですが、その後のレート調整で歴代2位になりました。

 

フランケルとどちらが最強馬なのかという議論も多かったようですが、競馬というのは様々な条件によって結果も違ってきます。

 

日本でも最強と呼ばれるディープインパクトとシンボリルドルフやその他の名馬でどの馬が最強かという話がありますが、競馬場や騎手をはじめ、様々な要素がレースを変えてしまいます。

 

少なくともダンシングブレーヴが見せた凱旋門賞での走りは最強の名にふさわしいレースだったことに違いはありません。

 

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