出典:wikipedia
ブロンズコレクターと呼ばれる善戦レースの多いナイスネイチャは、引退後にもかかわらずワイド馬券が発売される時のキャンペーンキャラクターとして採用されるほど人気のある馬です。
20世紀の名馬大投票では、GI未勝利で100以内に投票された数少ない人気馬ですが、そんなナイスネイチャの魅力にせまります。
ナイスネイチャの現役時代。高松宮記念、有馬記念について
ナイスネイチャは41戦7勝でGIの勝利はありません。
ナイスネイチャの現役時代で印象的なレースは、1994年の高松宮杯GII(後の高松宮記念GI)と1991年~1993年まで3年連続で3着に入った有馬記念だと思います。
高松宮杯は、1996年に距離がこれまでの2000mから1200mの短距離になり、GIレースに格上げされて、1998年から現在の高松宮記念と名称に変更されました。
つまりナイスネイチャが出走をした1994年の高松宮杯は中京競馬場の2000mで行われたレースになりますので、短距離レースで勝利をしたわけではありませんし、GIレースも勝利していません。
ナイスネイチャが1着になった高松宮杯はGIIではあったものの、ダービー馬のウイニングチケットやジャパンカップ優勝馬のマーベラスクラウンなどの実力馬も出走していることからハイレベルなレースであったことは間違いありません。
ナイスネイチャは後方からじわじわと長い脚を使って順位を上げてくるタイプなので、ジリ脚という言葉が似合う馬ですが、高松宮杯では最後の直線でも競り負けずに見事に勝利を収めました。
1991年の有馬記念は、断然1番人気のメジロマックイーンについでナイスネイチャは2番人気に支持されていました。
波乱の予想もあったレースは逃げ馬ツインターボがレースを引っ張る展開で最終コーナーから後続との差がなくなり、予想通りメジロマックイーンが好位から伸びてくる所を、なんと最内から14番人気のダイユウサクと大外をナイスネイチャが追い込み最後は1着ダイユウサク、2着メジロマックイーン、3着ナイスネイチャとなりました。
1992年の有馬記念は、1番人気は実力馬トウカイテイオーでナイスネイチャは4番人気で1枠1番でした。
ナイスネイチャにしては、珍しく好スタートで好位でのレースになりましたが、トウカイテイオーは大きく出遅れてしまい後方待機になり厳しいレース展開になりました。
レースは、15番人気のメジロパーマーが後続を離しての逃げの作戦で自身に有利な展開に持ち込みました。
ナイスネイチャは7番手と良い位置取りをキープしながら最終コーナーへ向かいましたが、最後はメジロパーマーとレガシーワールドが激しいたたき合いの末、メジロパーマーが勝利を収めました。
ナイスネイャは、前とは1馬身以上は離されましたが、最後良い脚を使い結果3着になりました。
1993年の有馬記念は、トウカイテイオー奇跡の復活として有名なレースですが、1番人気はビワハヤヒデで、ナイスネイチャは10番人気と人気をかなり下げていました。
レースは昨年同様にメジロパーマーが逃げでペースを握るも、昨年2着馬のレガシーワールドも好位で追走し、ナイスネイチャはいつもの8番手付近を追走していました。
最後の直線で、トウカイテイオーがビワハヤヒデを差し切り、1着トウカイテイオー、2着ビワハヤヒデでナイスネイチャは、見事に3年連続で3着入着を果たしました。
ナイスネイチャは3年連続3着という珍しい記録を保持しているのですが、これが引退後のワイド馬券のキャラクターになった理由でもあります。
有馬記念で3年連続3着といっても、毎年有馬記念に出走をする馬は数々のGI馬が多いのですから、GI未勝利馬のナイスネイャが相手に関係なく、ここまで好走するのはある意味すごい記録なのだと考えられます。
ナイスネイチャ産駒
ナイスネイチャの産駒はそれなりにいますが、中央競馬で重賞を制覇した馬はいません。
中央競馬では、セイントネイチャーが500万以下で1着になっていますが、残りの産駒の多くは、南関東競馬などの地方競馬への参戦が多くなっています。
地方競馬での成績も重賞勝利はないので、産駒に関しては父親のような記録を残してはいません。
厩務員さんとの絆のエピソード
ナイスネイャと厩務員さんとの心温まるエピソードがあります。
ナイスネイチャの有馬記念の結果をおさらいすると、
1991年3着
1992年3着
1993年3着
1994年5着
1995年9着
1996年未出走
このような記録になっています。
実は、3年連続3着という記録の後にも有馬記念には出走をしています。
ところが、1996年の秋のジャパンカップ後に軽い故障が発生しました。
これまでにも、骨折などを経験している事から、1996年の有馬記念も出走は可能なレベルであったものの万が一の事を考えて出走を取りやめました。
このときにナイスネイチャの身体の事を考えて涙を流して出走を取りやめるようにお願いをしたのが担当の厩務員さんでした。
もともと、ナイスネイチャは担当厩務員にとてもなついていて、綱がなくても後をおいかけてくるくらい仲良くしていました。
引退後の故郷へ帰る時にも、ナイスネイチャは嫌がって厩務員さんから離れようとはしなかったというエピソードがあります。
これもまた、ナイスネイャが今でも人気がある理由なのかもしれません。
明石家さんまのエピソードを紹介
芸能界の中にも競馬ファンは多いのですが、明石家さんまさんも、競馬好きの一人です。
さんまさんは、以前に名実況で有名な杉本清さんと一緒に競馬番組をやっていたのですが、その時に予想でナイスネイチャを本命にしていたようです。
直接ナイスネイチャと関係があるかは、微妙ですが、明石家さんまさんが、1994年の有馬記念で的中をして得た配当金を翌年1月に発生した阪神淡路大震災に被災者宛に全額を寄付したという事をあるテレビ番組で話していたようです。
ちなみにこのときのナイスネイチャは5着でしたから馬券には関係ないのですが、良いお話しなので紹介させてもらいました。
ナイスネイチャは現在どこで何をしてる?
ナイスネイチャは引退後は種牡馬として、日高スタリオンステーションにいましたが、2001年に種牡馬登録を抹消されてからは、故郷北海道の渡辺牧場で元気に余生をすごしています。
渡辺牧場でのナイスネイャは、母親であるウラカワミユキと共に生活をしていましたが、2017年6月に36歳でウラカワミユキが亡くなりました。
ナイスネイチャは現在も元気に暮らしているので、牧場見学に行けば会う事も可能です。
まとめ
強いのか?弱いのか?相手に関わらず3着馬のナイスネイチャ。
仮に今の時代に現役馬として出走をしていたら、ほぼ確実に三連複や三連単の軸馬として人気になっていたに違いないと思います。
他にも似たようなタイプの馬はいても、このように引退後も人気を誇るGI未勝利馬はとても珍しいといえます。
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