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タップダンスシチーの血統
Pleasant Tap |
Pleasant Colony |
His Majesty |
Sun Colony |
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Never Knock |
Stage Door Johnny |
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Never Hula |
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All Dance |
Northern Dancer |
Nearctic |
Natalma |
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All Rainbows |
Bold Hour |
|
Miss Carmie |
父:Pleasant Tap アメリカ産。5歳時に、ジョッキークラブゴールドカップ (ダート10ハロン)、サバーバンハンデキャップ(ダート10ハロン)を勝つ。
母:All Dance アメリカ産。アメリカとフランスで走り24戦1勝。
タップダンスシチーの持続的なスピードは父譲りで、父が5歳時にGⅠを勝ったように、自身も6歳時にジャパンカップを勝ち、晩成型の成長曲線も引き継いでいます。
自身はダートレースに出走したことはありませんでしたが、重馬場のジャパンカップを逃げ切ったことから、ダートレースに出走すれば結果を残すことができたかもしれません。
勝利GⅠレース(騎乗騎手)
2003年 ジャパンカップ(佐藤 哲三)、2004年 宝塚記念(佐藤 哲三)
振り返ってみれば名馬だったタップダンスシチー
とにかく、人気がないときに好走することが多く、好走された後に「しまった」と思わせる馬でした。
一般的には、競馬の場合は、馬券を当てなければならないという事情があります。
自分が馬券を買って的中させた場合には、記憶に強く残ることになります。
そのような観点でいえば、馬券を買わずに走られてしまっては、ネガティブなイメージが残りがちになります。
結果、その馬は「名馬」という称号は得られないことになってしまいます。
ただ、タップダンスシチーの実績を振り返ってみると、ジャパンカップを8馬身差で圧勝しており、「名馬」に相当する結果を残していることがわかります。
馬券の予想の当たり外れはさて置き、実績をしっかり振り返ってみれば「名馬」だったなと、納得できるのではないでしょうか。
人気の盲点となっていたジャパンカップでの圧勝劇
6歳時の春に、宝塚記念で3着になり、晩成血統がいよいよ開き始めました。
その年の秋には、京都大賞典を逃げて勝ち、ジャパンカップへ出走してきました。
当日の1番人気は天皇賞(秋)を、ペリエ騎手が「飛ぶように走っていた」と言わしめて圧勝したシンボリクリスエス。
一方、タップダンスシチーは4番人気で単勝13.8倍に甘んじていました。
まだ、GⅠ未勝利だったとはいえ人気の盲点となっていました。
レースでは、重馬場の1枠1番の好枠を利してスタートを決めてそのまま逃げの一人旅。
余力を残して4コーナーに入った時には後続と大差をつけていました。
直線もそのまま脚色は衰えることなく、2着に入ったその年の菊花賞馬ザッツザプレンティには8馬身の差をつける圧巻の勝ちっぷりとなりました。
1番人気に押されたシンボリクリスエスは3着が精一杯。
このレースが、タップダンスシチーの実力が十分に発揮されたベストパフォーマンスレースではないかと思います。
有馬記念には4回も出走
表題の通り、これだけでも立派な名馬の仲間入りと思えますが、いかがでしょうか。
初めの出走は、全く人気にならず単勝86.3倍の13番人気でした。
逃げる1番人気のファインモーションに2周目3コーナーで追いつき、そのまま2着でゴールし馬券的には大波乱。
前走の京阪杯(当時は1800mのGⅢ)で5着に負ければさすがに人気にならないのは仕方がありません。
ただ、この有馬記念の馬券を外すのは仕方がないとしても、その次走の休養明け古馬オープンの東京競馬場リニューアル記念は、単勝11.3番の7番人気。
あまりにも人気がなさすぎだったのでは。
当時は、まだ実力の高さが認識されていなかったことがうかがえるオッズです。
レースでは道中4番手につけ、2着のレディパステルに2馬身差をつけて快勝。
勝ち時計は2分23秒7と非常に優秀なものでした。
2回目はジャパンカップ勝ちの次走です。
このときは、さすがにジャパンカップを勝っていましたので2番人気に支持されていました。
レースでは、掛かって逃げるザッツザプレンティをタップダンスシチーが追っかける展開となり、ハイペースに。
タップダンスシチーは直線バテて伸びず8着に惨敗し、人気を裏切ってしまいました。
3回目は凱旋門賞帰りの出走時です。
強行軍でフランスへ行って帰ってきて、調教も決して十分にできたという状況ではありませんでした。
このときは3番人気と微妙な支持でした。
1番人気は天皇賞秋とジャパンカップ連勝中のゼンノロブロイ。
レースでは、ゼンノロブロイがあっさりと勝ちました。
一方、タップダンスシチーは持ち前の先行力を十分に生かし、2着に粘りこみました。
結果的には、人気以上の走りをしっかり見せたことになります。
4回目は、金鯱賞3連覇を達成した年ですが、金鯱賞勝ちの以降の宝塚記念、天皇賞秋、ジャパンカップでは凡走し、完全にピークを過ぎてしまった後の出走でした。
さすがに、このような状況では好走は難しく、このレースが引退レースとなりました。
結局は、人気になった上で結果を残さないことには、「名馬」としてファンの記憶に残っていくことは難しいということですね。
凱旋門賞には直前輸送で挑戦
宝塚記念を勝った2004年には、凱旋門賞に挑戦することになりました。
ただ、予定していた輸送機が故障で飛ばず、代替機の手配もつかないという理由で、一度フランス行きは断念しました。
しかし最終的には、なんとか輸送の手配が付き、レース2日前にフランス到着という「直前輸送」を敢行して出走することとなりました。
レースでは、スタートを決めて先手を取り、持ち味の先行力を生かし逃げの戦法に出ました。
快調に4コーナーまで先頭を走り、見せ場十分でしたが、さすがに現地での調教が不十分であったこともあり、直線で失速。
結局17着という結果に終わりました。
今考えてみますと、もし本調子であったらどの程度戦えたか非常に興味深いところであります。
ジャパンカップの圧勝の実力が発揮できれば、相当好勝負になっていたと思われます。
結局は、名馬になるための運を持ち合わせていなかったということでしょうか。
因みに、レースの勝ち馬はバゴでした。
消息不明騒動が発生?現在はどうしている?
なかなか「名馬」の称号を得られないタップダンスシチーでしたが、現役時代の実績が素直に評価されて、種牡馬デビューはすることができました。
ただ、産駒の勝ち上がりが悪く、牧場をたらい回しのような感じになってしまいました。
一時期、消息がつかめず、「行方不明か?」 と大騒ぎになりましたが、無事が確認されたようです。
タップダンスシチー自身の生涯獲得賞金は10億円を超えましたが、産駒が活躍しないと繋養先の商売としてはあがったりということになるわけです。
現役の時と同様、いなくなってから騒ぎになり改めて注目されるというのは、この馬の持ち味ともいえなくもありません。
何はともあれ、この騒動で、種牡馬を引退してゆっくりと余生を過ごしている状況が世間に知れ渡ることになり、結果的には良かったのではと考えることはできるのではないでしょうか。
タップダンスシチー産駒の状況
残念ながら、タップダンスシチーの豊かなスピードや先行力を引き継いだ産駒は出ていません。
今のところ、重賞勝ち馬はいません。
一番の出世頭といっても、ドリームピーチ(母:ミレニアムクイーン、母の父:ブライアンズタイム)が1000万条件の特別戦を勝った程度です。
この実績では、さすがに種牡馬を続けていくことは難しいですね。
また、種牡馬として実績を残すことができない場合は、血統書に名前が残らないことになりますので、やはり、「名馬」として名を残すことが難しくなってしまったということだと思います。
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