近藤利一さんをご存知でしょうか?
近藤利一さんは英語で「賞讃・関心」を意味するアドマイヤの冠名でも知られる日本を代表する馬主です
主な所有馬はアドマイヤムーン、アドマイヤベガなどで、日本馬主連合会の労務・預託委員長、日本中央競馬会運営審議会委員なども務めています。
今回はそんな近藤さんについて詳しく見ていきます。
近藤さんの職業は?
近藤さんは徳島県出身で、建築解体工事会社「合建株式会社」代表取締役会長です。
友人に競馬場に誘われたことがきっかけで競馬に興味を持ち、1984年に中央競馬の馬主資格を取得しました。
1996年にアドマイヤボサツで初重賞を勝利、アドマイヤベガで初G1を制して以来毎年のように所有馬をG1競走に送り出しています。
妻の近藤英子さんも馬主として有名で2007年皐月賞を所有馬ヴィクトリーが勝利しており、夫婦揃ってG1競争を勝利しています。
また大魔神の愛称で知られる佐々木主浩さんとも親交があります。
主な所有馬
アドマイヤベガ
母は桜花賞、優駿牝馬を制した名牝ベガ。
1999年近藤さんに初の日本ダービーをプレゼントしました。
また武豊騎手がダービー連覇の偉業を果たした馬でもありますね。
2000年に左前脚の故障を発生し残念ながら現役を引退、種牡馬となり、2006年桜花賞馬キストゥヘヴンらを輩出しましたが、初年度産駒が走り始めた2004年に惜しくも亡くなりました。
アドマイヤドン
アドマイヤベガの半弟にあたり、地方、中央問わずダート路線では無類の強さを誇り、芝、ダートのG1競走においては地方、中央合わせて通算7勝を挙げました。
2006年に種牡馬となり、ステイヤーズステークスを連覇したアルバート、日経新春杯、日経賞を制したアドマイヤデウスらを輩出しています。
2006年からは韓国に輸出され、済州島にある緑原牧場で繋養されています。
アドマイヤムーン
2007年にドバイデューティーフリー、宝塚記念、ジャパンカップを制し、同年の年度代表馬にも選ばれたアドマイヤムーン。
JRAのヒーロー列伝では「世界が見上げた月。」と言うキャッチコピーがつけられた、近藤さんを代表する馬です。
2008年に種牡馬入り、京成杯、アイビスサマーダッシュ、セントウルステークスを制したハクサンムーンなど個性豊かな産駒を輩出しています。
アドマイヤグル―ヴ
2003、2004年のエリザベス女王杯を連覇した名牝で、母エアグル―ヴはオークス、天皇賞秋を、またその母ダイナカールもオークスを勝っており、母子三代でG1レースを制しています。
2006年より繁殖牝馬になりましたが2012年に胸部出血のため急死。
死後、最後の産駒であるドゥラメンテが2015年に皐月賞と日本ダービーを勝ち、日本競馬史上初となる母仔4代連続G1勝利を達成しました。
武豊騎手との関係
近藤さんはかつてディープインパクトが登録していた天皇賞秋に所有馬を登録予定だった際に「ディープが出走しても豊はゆずらん!」と言う趣旨の発言をしたと言われるほどに必ず武豊騎手を起用することで有名でした。
しかしアドマイヤムーンの騎乗方法に関して武豊騎手と対立した事をきっかけに起用機会が以前より減ったと言われています。
さらに当時の武豊騎手は怪我によるスランプの時期に入り、なかなか結果が出せずにいた為、所有馬に全く乗せなくなったとされています。
しかし、現在も一頭の馬に同じ騎手を起用し続けるなど、信頼関係があるジョッキーには所有馬を任せることも多いため、二人の和解を望むファンの声も高まっています。
まとめ
近藤利一さんは建設業の取締役会長であり、名実ともに日本を代表する馬主の一人です。
主な所有馬はアドマイヤベガ、アドマイヤドン、アドマイヤムーン、アドマイヤグル―ヴなど一貫してアドマイヤの冠名を使用し、実績や繁殖実績共に活躍する名馬を多数所有しています。
競馬への情熱故に調教師、騎手らと対立する事もありますが、その愛は日本競馬にも大きく貢献しています。
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