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フサイチの馬主・関口 房朗オーナーのプロフィール、馬主変更、破産の理由は?

フサイチ○○の冠号を覚えている競馬ファンの方も多いのではないでしょうか。

 

10年ほど前までは重賞レースをはじめとしたメインレースで見かけることもよくありましたが、近年は全く見かけなくなりました。

 

そこで、今回はフサイチのオーナー・馬主について、主な所有馬や出走しなくなった理由などについてまとめてみました。

 

関口房朗オーナーのプロフィール

関口房朗オーナーは1935年に兵庫県尼崎市で生まれています。高校を中退した後、本業である経営者として失敗したりしながらもステップアップを続け1974年に技術系アウトソーシング言い換えれば人材派遣の草分けとも言えるべき会社株式会社名古屋技術センター(現・株式会社メイテック)を設立します。

 

馬主としては社長・経営者として一定の成功を収めた後に「房朗が一番」という意味の「フサイチ」を冠号として馬主生活をスタートさせます。ただし、初めのうちから目立つような馬主ではありませんでした。

 

当初は殆どの所有馬を北海道浦河町にある村下牧場生産馬で占めていて、それらを栗東・大根田裕也調教師に管理馬として預けていました。1987年6月27日中京競馬場4レースの3歳未勝利戦にフサイチエンジェル(安藤賢一騎手)が出走したのが初出走の記録で12頭立て単勝10番人気の12着に敗れています。

 

馬主デビューしてから暫くの間は1987年0勝→1988年0勝→1989年2勝→1990年2勝→1991年1勝→1992年3勝→1993年0勝という低迷した成績が続きます。

 

所有馬での初勝利は、1989年5月13日京都競馬場3レースの牝馬限定3歳未勝利戦にフサイチイッコー(安藤賢一騎手)が15頭立ての単勝6番人気で出走してのものでした。

 

しかし、村下牧場のみでなく社台ファームの生産馬を購入するようになり、フサイチカツラ(藤田伸二騎手など)が出世してオープン馬の仲間入りをする頃から大きな変化が訪れるようになります。

 

1994年12勝→1995年15勝と徐々に勝ち星を量産していき、ついに、初重賞制覇をいきなりフサイチコンコルド1996年の日本ダービーという大舞台で成し遂げることになります。フサイチコンコルドは史上初となるデビュー3戦目で日本ダービーを制するという離れ業をやってのけ、和製ラムタラの異名を取るほどでした。

 

ただし、関口オーナーの独特の個性の影響などもあり、本業では株式会社メイテックの社長をフサイチコンコルドで日本ダービー制覇した直後に解任されてしまいます。それでも、本人は技術系アウトソーシングの会社である株式会社ベンチャーセーフネット(現・株式会社VSN)を新たに設立し再び成功を収めていきます。

 

そして、馬主としてもその後も数々の重賞ウィナーのオーナーとして有名になります。

 

また、アメリカにも馬主として進出し、2000年にはケンタッキーダービーをフサイチペガサスで制し、日米ダービー制覇という偉業を達成してしまいます。

 

日本の重賞勝利(全17勝)

1996年 GⅠ日本ダービー フサイチコンコルド 藤田伸二騎手
1999年 GⅢシンザン記念 フサイチエアデール 武豊騎手
GⅡ4歳牝馬特別 フサイチエアデール 武豊騎手
2000年 GⅡ弥生賞 フサイチゼノン 藤田伸二騎手
GⅢダービー卿チャレンジトロトロフィー フサイチエアデール 武豊騎手
GⅢマーメイドステークス フサイチエアデール 安藤勝己騎手
GⅡ神戸新聞杯 フサイチソニック 四位洋文騎手
2002年 GⅡアメリカジョッキークラブカップ フサイチランハート 江田照男騎手
2005年 GⅢ東京スポーツ杯2歳ステークス フサイチリシャール 福永祐一騎手
GⅠ朝日杯フューチュリティステークス フサイチリシャール 福永祐一騎手
2006年 GⅢ東京スポーツ杯2歳ステークス フサイチホウオー 安藤勝己騎手
GⅠエリザベス女王杯 フサイチパンドラ 福永祐一騎手
GⅡ阪神カップ フサイチリシャール 福永祐一騎手
GⅢラジオNIKKEI杯2歳ステークス フサイチホウオー 安藤勝己騎手
2007年 GⅢ共同通信杯 フサイチホウオー 安藤勝己騎手
GⅡ札幌記念 フサイチパンドラ 藤田伸二騎手
GⅢ東京スポーツ杯2歳ステークス フサイチアソート 横山典弘騎手

  

ファンサービスを意識した行動、六本木ヒルズの豪華住居を惜しげもなく公開するなど大盤振る舞いとも言える言動の数々や、セレクトセールでの高額馬の落札など話題に事欠かない時期もあったものの2007年頃から本業も馬主も撤退を開始することになります。

 

原因は様々言われていますが、本業の資金繰り悪化や競合禁止業務違反で裁判所から5億円の支払い命令を受けたことなどもあるようです。

 

そして2008年には本業の役員も退任したり、前年の東京スポーツ杯2歳ステークス優勝馬のフサイチアソートなどを手放したりといった動きが見られるようになりました。

 

更に2010年3月にはフサイチセブンとザサンデーフサイチの2頭が大津地方裁判所によって差し押さえられた上、手放すことになってしまいました。

 

それは、フサイチセブンが船橋競馬場で交流重賞GⅡのダイオライト記念を制し初重賞制覇を飾ったわずか数日後の出来事で、翌月に行われた次走GⅢアンタレスステークス以降は新しいオーナーの持ち馬として出走しています。

 

中央競馬での最後のレースは2011年9月4日札幌競馬場8レース3歳以上500万下の条件戦で14頭立て単勝7番人気のフサイチナガラガワ(古川吉洋騎手)は10着となりました。

 

また、元々地方競馬にも所有馬がいましたが、こちらも2013年7月16日船橋競馬場9レース薄暮スプリントでフサイチクローバー(佐藤裕太騎手)が14頭立て単勝12番人気12着に敗れたのが最後となってしまいました。

 

現在、関口房朗氏は公の場に姿を見せることはありませんが、今年に入ってフサイチコンコルドに騎乗するなどフサイチの主戦ジョッキーの一人だった藤田伸二元騎手が講演会で岐阜県で元気に暮らしているということを語っています。

 

まとめ

競馬ファン歴が長い方であれば、関口房朗オーナーの写真などを見れば一目瞭然なほど個性的でかつ目立つ馬主でした。

 

最近ではキタサンブラックをはじめとするキタサンの冠号で有名となった北島三郎オーナーや、シュヴァルグランのオーナーでもある大魔神佐々木主浩オーナーなどが知られていますが、関口オーナーのような個性派はあまり見かけなくなりました。

 

競馬界に新たな風を吹き込む意味でも新たな個性派馬主の登場を心待ちにしたいと思います。

 

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