2009年5月3日京都競馬場
出典:wikipedia
逃げ馬と言ってすぐに思い浮かべるのはサイレンススズカ、ツインターボ、ミホノブルボン、メジロパーマー、2017年でいえばマルターズアポジーなど牡馬が中心ではないかと思います。
データ上は牝馬の逃げ馬もたくさんいますが、意外と印象に残る馬はいません。
しかし、その中でも逃げ馬として強烈な印象を残しているのがテイエムプリキュアです。
父はパラダイスクリーク、母はフェリアードという血統です。
パラダイスクリークはアメリカ産馬でG1含めて25戦14勝し、引退レースとなった1994年日本遠征でのジャパンカップはマーベラスクラウンとの接戦の上、2着となっています。
フェリアードはJRAで11戦2勝の成績を残し繁殖入りしています。
父のステートリードンの血を受け継ぐ存在としての繁殖入りです。
サンデーサイレンスがリーディングサイアーとして君臨している時期としては比較的地味な血統により生まれたのがテイエムプリキュアでした。
テイエムプリキュアの通算成績と主な勝鞍
テイエムプリキュアの競争成績は通算37戦4勝です。(地方競馬1戦0勝含む)
重賞はG1で1勝(2005年阪神ジュベナイルフィリーズ)、G2で1勝(2009年日経新春杯)しています。
しかし、競馬ファンの中で最も衝撃的だったのは2009年11月のG1・エリザベス女王杯だったのかもしれません。
このレース、ブエナビスタが単勝1.6倍の圧倒的1番人気の中、テイエムプリキュアは12番人気となりましたが、逃げて勝利した11番人気クィーンスプマンテの2番手を追走し、ブエナビスタにクビ差追いつかれず2番手のままゴールしました。
エリザベス女王杯は比較的人気通りに収まる、いわゆる堅いレースと言われていましたので馬連10万超え馬券は競馬ファンをあっと言わせました。
日経新春杯やエリザベス女王杯の印象が強すぎることから逃げ馬の印象が強いですが、生粋の逃げ馬というわけではなく、阪神ジュベナイルフィリーズでは中団待機から最後の直線で先頭に立つなど、若いときは様々な脚質でのレースをしていました。
なお、2歳と6歳で重賞ウィナーとなりましたが、これは牝馬としては初めての記録となりました。
逃げ馬の特徴として負ける時は大敗することも多いのですが、テイエムプリキュアも例外ではなくエリザベス女王杯2着後は大敗を繰り返し、翌年2010年のエリザベス女王杯17着を最後に引退し繁殖入りすることとなりました。
テイエムプリキュアの繁殖生活と育児放棄
テイエムプリキュアには繁殖馬となってからこれまでに6頭の産駒がいます。
2012年生まれ 牡馬 テイエムキュアオウ (父・ディープスカイ)
2013年生まれ 牝馬 テイエムプリオネ (父・ディープスカイ)
2014年生まれ 牡馬 テイエムカクテル (父・キングズベスト)
2015年生まれ 牡馬 テイエムリベンジ (父・ヤマニンセラフィム)
2016年生まれ 牝馬 テイエムプリキュアの2016(父・テイエムオペラオー)
2017年生まれ 牡馬 テイエムプリキュアの2017(父・ジャングルポケット)
このうち、初仔テイエムキュアオウと翌年のテイエムプリオネに対しては出産直後に育児放棄が見られ乳馬によって育てられるという馬としては比較的珍しいことがありました。
原因はわかっていませんが、元々気性の激しい性格だったことから出産という環境の変化に対応できず、ストレスが蓄積されたためではないかと言われています。
なお、テイエムカクテル以降は仔馬の面倒をテイエムプリキュア自身が見るようになり育児放棄することはなくなりました。
産駒の成績ですが、テイエムキュアオウが地方競馬・佐賀で2勝したのみとなっており、JRAでは未勝利ですが、繫殖牝馬として現役であることから今後は活躍する馬が出てくることも十分に考えられます。
まとめ
テイエムプリキュアは名前のインパクトも十分でしたが、古馬になってからの逃走劇のインパクトもまさに衝撃的なものがありました。
育児放棄という繁殖馬としては珍しい経験もしながら毎年、新しい命を誕生させているテイエムプリキュア。
まだまだこれから、産駒の活躍が期待できるので注目していきましょう。
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