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シャドウロールの怪物ナリタブライアンの産駒一覧と兄弟、主戦騎手、大外からの日本ダービー

1996年3月9日 阪神競馬場(阪神大賞典)

出典:wikipedia

 

中央競馬で数少ない牡馬三冠馬で、シャドーロールの怪物と言われたナリタブライアン。

 

実際に活躍をした期間は短かったものの4歳時(現3歳)の印象がとても強かったこともあり、JRA主催20世紀の名馬大投票では数多くの名馬を抑えて1位を獲得しています。

 

ナリタブライアンの産駒や主戦騎手、思い出のレースを順に振ります。

 

ナリタブライアン産駒一覧と成績

ナリタブライアンの産駒は直仔に中央重賞の勝馬はいません。

 

若くして死亡した事もあり、現役時代の実績から考えれば、少ない産駒の数です。

 

後継種牡馬を1頭も残すことができませんでしたが、繁殖牝馬となった産駒は数多くいます。

 

ナリタブライアンの主な産駒は以下の通りです。

 

・ブライアンズレター 43戦12勝

・ダブルネーム 23戦4勝

・グラスステージ 19戦4勝

・マイネヴィータ 27戦1勝

・ディープインサイド 24戦4勝

・ダイタクフラッグ 20戦2勝

 

中央の重賞レースに勝利はありませんが、マイネヴィータとダイタクフラッグは重賞2着でダイタクフラッグに関しては、皐月賞にも出走していて4着と健闘しています。

 

ナリタブライアンの兄弟には、半兄にビワハヤヒデがおり、実現はしませんでしたが、兄弟直接対決には注目が集まりました。

 

ナリタブライアンの鞍上をつとめた主な騎手

ナリタブライアンの鞍上を務めたな騎手。

 

南井克己 15回

武豊 4回

的場均 1回

清水英次 1回

 

主戦騎手は、GI勝利を収めている、南井騎手です。

 

的場騎手と武騎手の騎乗は1995年天皇賞・秋の前に南井騎手が怪我をしてしまい、翌年の阪神大賞典までは乗り替わりによる騎乗になります。

 

引退レースとなった高松宮杯では、武豊騎手が騎乗をしていますが、この乗り替わりの理由に関しては、様々な事が言われています。

 

ナリタブライアンの生涯レース成績

21戦12勝

 

皐月賞(1994年4月17日 中山競馬場 芝2000m)

出走頭数18頭で単勝1.6倍の1番人気に支持されたナリタブライアンは、1枠1番からのスタートで8番手をキープ。

 

心配をされた気性面も後にトレードマークとなるシャドーロールのおかげかは定かではないが、特にかかることもなく鞍上の南井騎手との相性も問題ありませんでした。

 

最終4コーナー手前で少々つまるところがあり、外に持ち出せるかと思われましたが、残り200mで外に持ち出すことに成功。

 

そのまま一気に4番手から先頭にたち、2着馬のサクラスーパーオーに3馬身1/2の差で人気に応えた勝利となりました。

 

大外からのダービー(1994年5月29日 東京競馬場 芝2400m)

出走頭数18頭で皐月賞に続き、単勝1.2倍で1番人気に支持されたナリタブライアンは、大外8枠17番からのスタートになりました。

 

皐月賞の時よりは少々前目の6番手から7番手でやや外側を回るレース展開になり、多少の距離のロスはもちろん南井騎手の作戦です。

 

残り400mの時点で先頭に並ぶと、若干外によれるシーンはあったものの広い東京競馬場の外側を一気に駆け抜けていき、2着エアダブリンに5馬身差の圧勝に終わりました。

 

このレースを見て、皇帝シンボリルドルフを管理した野平氏が、ルドルフを超える馬が出てきたかもしれないと評価したと言われています。

 

菊花賞(1994年11月6日 京都競馬場 芝3000m)

秋の1走目である前走の京都新聞杯では単勝1.0倍の1番人気に支持されながら、2着に敗れる波乱もありましたが、目標の菊花賞に向けて万全の態勢で挑むことになりました。

 

菊花賞も単勝1.7倍で1番人気に支持されたナリタブライアンは、3枠4番からスタートをして、いつものように中団待機でのレースです。

 

先頭のスティールキャストは単騎大逃げの作戦で、展開はゆったりとしたペースになったこともあり、中盤以降は騎手の駆け引きも重要になってきました。

 

残り距離が少なくなるにつれて、ペースが上がっていきましたが、南井騎手はペースよりもむしろ前や外を塞がれる事をおそれて、あえて外側を選択した位置取り重視で最終コーナーに向かいました。

 

他の有力馬と比べるとやや遅めのスパートとなったナリタブライアンですが、直線で先頭と並ぶ間もなく一気に抜き去り、そのまま独走をしてゴールを駆け抜け、クラシック三冠を2着に7馬身差の大勝で飾りました。

 

有馬記念(1994年&1995年)

ナリタブライアンは有馬記念に2度出走をしています。

 

1994年12月25日 中山競馬場 芝2500m

同世代に圧倒的な勝ち方で三冠馬となったナリタブライアンは、年末の有馬記念に出走をすることになりました。

 

このレースには、兄であり最大のライバルとなりそうなビワハヤヒデがジャパンカップを回避して有馬記念に出走すると思われた事から、最高レベルでの兄弟対決が実現されると競馬関係者や競馬ファンからの期待も高まっていきました。

 

ところが、兄ビワハヤヒデは、天皇賞・秋で故障をしてしまい、そのまま引退となってしまった事で有馬記念での兄弟対決の実現は夢となってしまいました。

 

有馬記念は、兄であり最大のライバルとなるべくビワハヤヒデが不在になった事で、ナリタブライアンは単勝1.2倍で断然の1番人気で挑むことになります。

 

レースは、予想通りツインターボの単騎大逃げの展開になり、7枠11番のナリタブライアンは比較的前の4番手の外側で折り合いに専念していました。

 

残り800mの地点でツインターボと2番手集団の差が10馬身近くある展開。

 

一気に後続のペースが上がり、残り600mを過ぎたころにはツインターボは馬群にのまれ失速をします。

 

ナリタブライアンは、最終コーナーから直線に入るとそのまま独走態勢に入り、2着になったヒシアマゾンを完全に力で抑えたレースになりました。

 

1995年12月24日 中山競馬場 芝2500m

5歳で迎えた有馬記念は12頭の少な目で行われました。

 

この年の春に故障をしてから、復帰をしたものの天皇賞・秋とジャパンカップで惨敗をしてからの有馬記念。

 

ナリタブライアンは、ヒシアマゾンに次いで2番人気に支持されましたが、万全とはいえない体調でもありました。

 

主戦騎手の南井騎手の怪我の影響で、武豊騎手とコンビを組んでの出走も、序盤からやや後方の位置取りとなります。

 

徐々に前に進出をして残り600mあたりは、まずまずの手ごたえだったようですが、直線に入るとナリタブライアンの全盛時とは比較にならない末脚で4着に終わりました。

 

1996年 阪神大賞典(ナリタブライアンvsマヤノトップガン)

ナリタブライアンは阪神大賞典に2回出走をしていますが、名レースとも言われている1996年度の阪神大賞典に触れてみたいと思います。

 

1996年3月9日 阪神競馬場 芝3000m

 

ナリタブライアンは有馬記念に続き武豊騎手とのコンビで2番人気に支持されました。

 

1番人気のマヤノトップガンと一騎打ちと予想されていた通り、レースはこの2頭の位置取りがポイントになるレースになりました。

 

先に仕掛けたのが、マヤノトップガンで、最終コーナー手前では、一気に突き放すと思われました。

 

ナリタブライアンは、馬体をあわせるように直線でのたたき合いに持ちこみ、最後はアタマ差でナリタブライアンが勝利をしました。

 

この勝利をメディアではナリタブライアン完全復活と評価しましたが、全盛期の姿で考えれば6割程度の状態と競馬関係者からは高い評価は得ていませんでした。

 

まとめ

4歳時は無敵のシャドーロールの怪物だったナリタブライアンも、5歳以降は常に怪我との戦いになっていました。

 

幻と終わった兄ビワハヤヒデとの対決も、マイルならビワハヤヒデで長距離ならナリタブライアンが有利という見解が多く、2500mは互角ではないかという声も多かっただけに観てみたかったレースのひとつになります。

 

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