ハイセイコーは、1970年代の第1次競馬ブームの中心的な存在のアイドルホースとして人気の高い馬でした。
1984年には名馬の証明ともいえる、顕彰場にも選出されています。
そんな人気と実力が伴った歴史的な名馬ハイセイコーの事をまとめてみました。
ハイセイコーの血統
ハイセイコーの血統は父がチャイナロックで母がハイユウになります。
チャイナロックの父はハイペリオン系のRockefellaであることからも良血馬として認められる馬だといえます。
チャイナロック産駒には、中央競馬で初の怪物と呼ばれたタケシバオーがいます。
ハイセイコーの時には良い血統とされていますが、当時はまだ不明な事も多く血統的な意味での良さはさほど認めてもらえなかったと言われています。
ハイセイコーの血統は、ハイセイコー産駒として重賞をおさめていますし、BMSでも重賞制覇をしていることから血統的に見ても悪くありません。
ハイセイコーの戦績
ハイセイコーの戦績は、地方競馬出身で6戦6勝をおさめてから中央競馬に移籍をして、中央競馬では16戦7勝の競争成績を残しています。
3歳時は、地方競馬での出走となりましたが、常に圧勝をするので、競馬関係者からどの段階で中央競馬に移籍をするのかが注目の的となっていました。
4歳になり、中央競馬に移籍をすると、デビュー戦となる弥生賞で1番人気の1着で勝利をすると、皐月賞では、初の芝レースでの重馬場だっただけに、性格的な面からも少々不安視もされていましたが、ここでも人気に応えて1着になりました。
皐月賞制覇で続くダービーでの出走にも期待がかかりましたが、ハイセイコーは気性難で、初めての競馬場では実力を発揮できない事を陣営はわかっていました。
陣営のとった作戦は、ローテーション的にはかなり厳しいと判断をしながらも東京競馬場を経験させるために、NHK杯への出走を決めました。
NHK杯でのハイセイコーは、予想通り初めてのコースで本来の走りをせずに最後の直線に入る段階になってもギアを変えることなく埋もれていました。
残り200mとなった所で突然、エンジンがかかったと思うと何とか僅差で勝つことができました。
このレースを境にハイセイコーの不敗神話がマスコミやファンの間で絶対的なものになっていきました。
東京優駿(ダービー)に出走をしたハイセイコーですが、圧倒的な支持を得ながらも連戦の疲れや距離的な適性もぎりぎりだったこともあり、終始厳しいレース展開から最後の直線で先頭に並ぶも、最後に失速をしてしまい3着になりました。
その後菊花賞や有馬記念も1着になることができずに完全に無敵なスーパーホースであったハイセイコーの印象は一気に落ちてしまう事になり、翌年も天皇賞・春の惨敗でもう勝てないかと思われましたが、宝塚記念で見事に復活の勝利をとげました。
そのあとは、高松宮杯に勝利をするもGI級での勝利はこの時の宝塚記念が最後になりました。
引退レースは有馬記念に人気投票1位で出走をして、優勝は逃したものの2着に入りファンにも強い姿を見せる事ができました。
ハイセイコーの産駒一覧、特徴や成績
ハイセイコーの産駒は多くいますが、重賞9勝となっていて、GIレースで勝利をしているのは以下の通りです。
・サンドビアリス (エリザベス女王杯)
・ハクタイセイ (皐月賞)
・カツラノハイセイコ (東京優駿、天皇賞・春)
BMS
・マイネルマックス (朝日杯3歳ステークス)
ハイセイコーの産駒の特徴は安定性のなさと馬体の大きさに問題がありました。
人気のあった馬ですから、初年度は繁殖馬としてとても人気がありましたが、馬体のちいさい馬が産まれる事も多く、徐々に種牡馬としての地位が下降していくことになります。
初年度にカツラノハイセイコが産まれて活躍をしたことで、何とか種牡馬として認めてもらえましたが、やはり産まれてくる子供の不安定なところは種牡馬になってもハイセイコーらしさが残っていたようです。
ハイセイコーとオグリキャップの人気
ハイセイコーと並び人気の高かったオグリキャップとの関連性などを探ってみます。
ハイセイコーが第1次競馬ブームの主役として有名になりましたが、同様にオグリキャップは、第2次競馬ブームの主役と言われています。
過熱ぶりという意味では、ハイセイコーの方がすごかったと言われていますが、今ではおなじみとなった競走馬のぬいぐるみもオグリキャップが最初ですし、地方出身という部分も似ているような所があります。
引退レースを同じ有馬記念を選択したところも同様ですし、オグリキャップもジャパンカップ惨敗後に引退レースの有馬記念で1着となりアイドルホースにふさわしい最後のレースになりました。
ハイセイコーとタケホープの菊花賞
ハイセイコーのライバルといえば、タケホープですが、菊花賞での戦いはタケホープに軍配が上がりました。
この時のハイセイコーは京都競馬場を初戦としたくないことから、事前に京都新聞杯で競馬場に慣れてからの出走ということもあり、万全の態勢になっていました。
ライバルのタケホープは、同じ京都記念で8着に敗れていたこともあり、菊花賞はハイセイコーの勝利を疑う事はなかった陣営でしたが、わずかの差でハイセイコーは2着に終わりました。
この年の年度代表馬は、東京優駿と菊花賞の2冠馬であるタケホープが選出されましたが、競馬ブームをおこし、多くのファンの期待に応えたハイセイコーは、大衆賞に輝きました。
まとめ
伝説のアイドルホースである、ハイセイコーの人気は近年の競馬人気からは想像ができないような大きなブームであったといわれています。
はじめて走る競馬場では疑い深く様子をみて走るといった性格を持ちながら、良くも悪くも、競走馬らしいといえる気性難な性格は、厩舎関係者や騎手もかなり苦労をしたことだと思います。
しかしながら、その期待に応えて結果を残したハイセイコーの人気の秘密が少しだけでも、伝わったと思います。
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