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芦毛伝説の元祖!タマモクロスが金杯で見せた強運と実力

By dora1977 - 投稿者自身による作品 (本人撮影), パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=4682268

 

タマモクロスの血統

シービークロス 

フォルティノ 

Grey Sovereign 

Ranavalo 

ズイシヨウ 

パーソロン

キムラス 

グリーンシャトー 

シャトーゲイ 

Swaps 

Banquet Bell 

クインビー 

テューダーペリオッド

コーサ 

 父:シービークロス 北海道浦河町産。金杯(東)、毎日王冠、目黒記念(秋)を制す。

 

 母:グリーンシャトー 北海道新冠町産。19戦6勝。重賞勝ちはなし。1984年にタマモクロスを産み、翌年には、エリザベス女王杯を勝つミヤマポピーを産む。

 

父であるシービークロスはタマモクロスと同じ芦毛でした。

 

レース中は最後方に待機し直線で鋭く追い込む馬で、現役時代は「白い稲妻」と呼ばれていました。

 

タマモクロス自身も芝で連勝し始めたころは、シービークロスのイメージが強かったためか、追い込み競馬に徹している感じがありましたが、天皇賞秋では「前に行く方が有利」との南井騎手の好判断で、道中2番手という競馬をしました。

 

競争能力が高くなってくると、それと共に脚質が自由自在になってくるという好例です。

 

勝利GⅠレース(騎乗騎手)

 1988年 天皇賞春(南井 克巳)、1988年 宝塚記念(南井 克巳)、1988年 天皇賞秋(南井 克巳)

 

芦毛伝説の元祖

 タマモクロスが活躍したのは、昭和の終わり頃の競馬ブームの時です。

 

タマモクロスは、当時の年齢の数え方で4歳秋の時点で8戦1勝という一介の条件馬でしたが、突然勝ち始め、天皇賞春、宝塚記念を含む、天皇賞秋まで怒涛の如く8連勝しました。

 

そのために競馬ファンだけではなく、普段競馬を見ない人に対するインパクトも大きく、競馬ブームを大いに盛り上げる立役者となりました。

 

また、芦毛伝説の元祖であり、同じ時期に現役馬であった「芦毛の怪物」オグリキャップと共に芦毛ブームを盛り上げることとなりました。

 

縁起を担いで金杯へ出走

 デビュー戦は芝を使われましたが良いところがなく7着。

 

その後、ダート戦を使われて未勝利を脱出。

 

その後もダート戦を使われていましたが、勝ち切ることができませんでした。

 

そして再び芝レース(400万条件、2200m)に出走すると7馬身差で圧勝し、快進撃が始まりました

 

その次走いきなり重賞の鳴尾記念に挑戦し、菊花賞馬メジロデュレンを退け、2着に6馬身差で圧勝したのです。

 

メジロデュレンは鳴尾記念の次に出走した有馬記念で優勝したため、いよいよ世間の注目を集めることとなりました。

 

鳴尾記念圧勝後は、有馬記念出走のプランもあったようですが、タマモクロスを管理する小原調教師は日経新春杯から阪神大賞典を使い天皇賞春へ向かうプランを考えていました。

 

しかし、馬主サイドの「年初めの金杯は縁起のいいレース」という縁起担ぎを理由とした要望で金杯(現在の京都金杯)に出走することとなりました。

 

 レースでは、タマモクロスはスタートではゲートを普通に出ましたが、行き脚が付かず最後方からの追走という展開になってしまいました。

 

そして、追い上げようとしましたがなかなか位置を上げることができず、第4コーナーでも馬群後ろのままでした。

 

そのまま最後の直線に入ってきましたが、馬群に揉まれたままで、万事休すと思われましたが、ゴール前100m付近でようやく馬群が開け、馬群を縫うように父シービークロス譲りの末脚を繰り出し、何とか先頭でゴールすることができたのでした。

 

金杯の次走での阪神大賞典でも、何度も進路を塞がれる不利を受けましたが、1着同着に持ち込むことができました。

 

金杯と阪神大賞典では、実力からすれば、うまく乗ればもっとすんなりと勝てるのではないかという意見もありました。

 

しかし、不利を受けても挽回するだけの「強運」があったと考えることもできると思います。

 

その「強運」を引き込んだのはやはり、金杯の出走だったとも考えられます。

 

また、金杯の厳しいレースによって、タマモクロスの実力にさらに磨きがかかったということは言えると思います。

 

 京都の金杯で勝ち、活躍した他の馬といえばダイユウサクが挙げられます。

 

ダイユウサクは、京都の金杯を勝ったその年の有馬記念に滑り込みで出走を果たし、ブービー人気で勝つという強運の持ち主でした。

 

金杯のご利益も侮れないかもしれません。

 

天皇賞秋でアッと驚く先行策

 天皇賞春、宝塚記念を連勝し、宝塚記念後は前年末からの連戦の疲れを癒すためじっくりと休養し、天皇賞秋は休養明けぶっつけの出走となりました。

 

レースの人気は、当時のタマモクロスは長距離の天皇賞春勝ちのイメージが強く、天皇賞の春秋の両方を勝った馬もいなかったことから、1番人気は毎日王冠を快勝したオグリキャップに譲り、自身は2番人気でした。

 

タマモクロスとオグリキャップ共にその年は無敗であり、両馬とも芦毛であったことから、戦前から「芦毛頂上対決」と非常に盛り上がりました。

 

レースでは、タマモクロスは抜群のスタートを切り、今までの追い込みとは全く異なり、逃げたレジェンドテイオーの2番手につけるという驚きの先行策を取りました。

 

第4コーナーを過ぎ最後の直線では、レジェンドテイオーを交わし早めに先頭に立ったところを、後ろからオグリキャップが追い込んできましたが、1馬身1/4差をつけ完勝しました。

 

史上初の天皇賞の春秋勝ちを達成した馬となった瞬間です。

 

追い込みで勝っていたタマモクロスが、この時には、対戦相手や展開によって戦法を変えることができるほどの実力を付けていたということになります。

 

競馬は先にゴールすることで勝負が決まります。

 

実力差がないほど、前の方でレースを運んだ方が有利なのです。

 

完璧な作戦で大胆な脚質転換を図り、タマモクロスを勝利に導いた南井騎手の腕は大変称賛されました。

 

芦毛ブームの世代交代!引退レース有馬記念

 天皇賞秋を制覇したタマモクロスはジャパンカップに出走しましたが、アメリカのペイザバトラーを捕まえきれずに2着となり、連勝記録が途切れてしまいました。

 

そして、有馬記念への出走。

 

このレースが引退レースとなりました。

 

既に調子はピークを過ぎていたためか、スタートで出遅れ、直線追い込んできましたが、その年の天皇賞秋とジャパンカップでは先着していたオグリキャップをとらえきれず2着に終わりました

 

この有馬記念が芦毛ブームの世代交代がなされたレースとなりました。

 

競馬ブームを支えた3頭

 昭和の終わりから平成の初めにかけての競馬ブームは、まさに社会現象となり、今までのオジサンたちの巣窟だった競馬場のイメージがガラリと変わり、若い女性がどんどん競馬場へ足を運ぶきっかけとなりました。

 

そのブームを支えたのが、タマモクロスやオグリキャップ、サッカーボーイでした。

 

また、タマモクロスとオグリキャップの対決は、芦毛ブームのきっかけとなり、タマモクロスやオグリキャップの後は、芦毛馬のメジロマックイーンやビワハヤヒデにブームが引き継がれることとなりました。

 

タマモクロスの生産者は誰?

 タマモクロスは北海道新冠町の錦野牧場で生産されました。

 

タマモクロスを生産後、錦野牧場は倒産し、その後、牧場の代表者は表舞台に出ることはなかったため、レース後の勝ち馬表彰式の「生産者」の表彰台は常に誰もいませんでした。

 

タマモクロス産駒の特徴、代表産駒一覧

 バテずに直線で伸びる追い込み脚質を引き継いだ産駒が多く生まれています。

 

重賞勝ち馬としてはカネツクロス(アメリカジョッキークラブカップ、鳴尾記念勝ち)、シロキタクロス(神戸新聞杯勝ち)、マイソールサウンド(阪神大賞典、京都記念勝ち)などの多数の重賞馬を輩出しました。

 

日経賞を勝ったウインジェネラーレは、産駒としては初めて種牡馬になりました。

 

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