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大川慶次郎のパーフェクト予想とメジロライアン。予想サイト「パーフェクトメソッド」は信用できる?

 

大川慶次郎のプロフィール

『競馬の神様』と呼ばれてファンに愛され、これまで競馬界に多大な貢献をもたらした大川慶次郎さんは1929年2月6日生まれで、1999年12月21日にその生涯を閉じる直前まで生粋の競馬ファンであり、それと同時に生粋の『競馬評論家』であったとされています。

 

ギャンブルとしてではなく「動物として」の馬が好きでこの世界に入っただけあって、馬体を一目見ただけで他の予想屋や記者が気づかない体調や故障などを言い当てることができていたのも、まさに『競馬の神様』であることを語る上でも欠かせないエピソードと言えそうです。

 

 

大川慶次郎とメジロライアン

当時の競馬ファンにとってはあまりにも有名なエピソードですが、1990年のオグリキャップが引退レースで見事な復活劇を見せた有馬記念のテレビ中継において、最後の直線において「ライアン!ライアン!」と叫ぶ声がマイクに拾われて全国に放送される事態が発生しましたが、その声の主が何を隠そう大川慶次郎さん本人の声でした。

 

大川慶次郎さんにとってメジロライアンは切っても切り離せない存在で、元々大ファンであった父アンバーシャダイの息子であること、そして大川慶次郎さん本人が腎臓摘出手術で気持ちが落ち込んでいた時に弥生賞を快勝して気持ちを奮い立たせてくれた存在であったからこそ、そこで懸命にオグリキャップに追いすがるメジロライアンに対して『盟友』として叫ばずにはいられなかったのだと思います。

 

 

大川慶次郎の名言

大川慶次郎さんがパドック解説をしているときに良く使っていた言葉として、『馬鹿に良く見えますねぇ』といったものがあります。

 

このセリフは1995年のダービーにおいて各馬の評価を実況アナウンサーに求められた際に②シグナルライトに対して言われた言葉で、『私の思った通りの馬体に仕上がっている』『これで負ければ私の見る目が間違っていた』とまで断言したように、それだけの仕上がりを感じさせた調教師にとっては最大限の評価と言ってもいいでしょう。

 

『馬鹿と天才は紙一重』という言葉がありますが、まさにそういったニュアンスで使われたこの言葉が今では当たり前に使われるようになったことも、大川慶次郎さんが残した功績と言えるのではないかと思います。

 

 

大川慶次郎のパーフェクト予想

ラジオでの活躍で知名度が上がり、ホースニュース社と予想屋契約を結んだ後は新聞紙上で予想を公開するようになりましたが、1961年の9月3日の東京競馬において予想屋史上において初めてのパーフェクト予想を達成しました。

 

現在の8枠連複の馬券形式と違い、当時は『6枠連単』の馬券形式であったため、難易度だけ見れば現在よりはるかに高く、その的中の中で中穴や当時は大穴クラスである4,000円超えの馬券も的中しているように、その内容も非常に濃いものであったということが理解できると思います。

 

正式な記録は残ってませんがその後も3回パーフェクト予想を達成した大川慶次郎さんですが、初のパーフェクト予想達成後しばらく予想を外すことを恐れて無難な予想をすることで大きなスランプに陥ることになりました。

 

『競馬界の神様』が見せた唯一の『人間臭い』点も、大川慶次郎さんを語る上での魅力の一つではないでしょうか。

 

 

大川慶次郎予想サイト『パーフェクトメソッド』

『大川慶次郎~パーフェクト馬券メソッド』という予想サイトがあるのをご存知でしょうか。

 

かつて4度パーフェクト予想を達成した大川慶次郎さんの名前を語っているサイトだけにアクセス数はかなりのモノがあるそうですが、これからこのサイトを利用しようと考えている人に気を付けてほしいのが、『この予想サイトと大川慶次郎さんは一切関係がない』ということです。

 

大川慶次郎さんは1999年に亡くなっており、実際のサイトの運営には実娘の大川智絵さんが関わっているそうですが、勧誘メールの量や回収率の悪さからサイトの評価もそれほど良くないことからも、あくまで大川慶次郎さん本人とは完全に切り離して検討することをおススメしたいと思います。

 

 

まとめ

最後はやや暗い内容になってしまいましたが、『競馬評論家』としての第一人者であることは間違いのない事実です。また、当時まだギャンブル色の強かった競馬に多くのファンをもたらした功績は非常に大きく、これからも色褪せることなくずっと語り継いでいくべき存在であると思っています。

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