ライスシャワー 1995年6月4日 京都競馬場
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父はリアルシャダイで本馬以外にも多くの長距離砲を輩出したステイヤー種牡馬です。
母の父はマルゼンスキーで、特に母の父に入ると、スタミナ血統にスピードを、スピード志向の血統にスタミナを補強する特徴があります。
ライスシャワーもこの血統の特性に漏れず、リアルシャダイ産駒独特の豊富なスタミナをもっていました。
現役時代またがった主戦ジョッキーの的場均曰く、体調が万全であれば2000mでもやれたと言っており、潜在的なスピードはあったと思われます。
2歳~3歳 ミホノブルボンの三冠達成を阻止し、菊花賞馬へ
デビュー戦は意外にも1000mを使われており、58秒台の好時計で新馬戦を勝利で飾ります。
その後は1200,1600、1800、2000と距離を伸ばされて使われていましたが、なかなか勝ちきれないレースが続きました。
滑り込みで臨んだダービー。
初距離となる2400mのダービーで眠っていたステイヤーの血が目覚め、ミホノブルボンに0.7秒差と水を開けられましたが、自身の適性を示すように2着を確保しました。
その後、2200mのセントライト記念を2着はしたものの、勝ちきれず、その後に京都新聞杯にも出走し、ダービー以来のミホノブルボンとの再戦となりました。
前回のダービーでつけられた着差を0.5秒差を上回る0.2秒差。
ライスシャワーはミホノブルボンとの差を着実に詰めていました。
そしてクラシック最後の1冠、菊花賞。
競馬ファンはミスターシービー以来の三冠馬の登場に心を踊らせておりました。
それは単勝1.5倍というオッズに如実に現れていることからもわかると思います。
そんな競馬ファンの夢を、直線であっという間に黒い刺客ライスシャワーが打ち砕きました。
ミホノブルボンの父はマグニテュードで長距離砲の多いミルリーフ系の中では、短距離馬が多く(高松宮記念勝ちのマサラッキの父もマグニテュード)、ミホノブルボンにしても距離が伸びるたびに距離不安がささやかれていました。
菊花賞でライスシャワーがミホノブルボンを逆転したのは、現代の競馬はやはり血統が大きなファクターを占めているということを象徴しているかのようです。
その後、有馬記念で古馬に挑戦し、2番人気にも支持されましたがメジロパーマーのあっと言わせた大逃げの前に及ばず8着で3歳(新年齢表記)を終えました。
4歳 天皇賞春でまたもや圧倒的1番人気メジロマックイーンに勝利
4歳となったライスシャワーは目黒記念(当時は2月の東京開催で実施)から始動しマチカネタンホイザの2着。
次走は日経賞へ駒を進めます。
有馬記念8着敗退の舞台でしたが、なんのことはなく、2着に0.4差を付ける圧勝で、天皇賞春に向けて弾みのつく勝利となりました。
しかし、天皇賞春には強敵がいました。
前年、前々年の天皇賞春を連覇しているメジロマックイーンです。
メジロマックイーンも前走の産経大阪杯を圧勝して万全の体制でした。
ここでもメジロマックイーンは、菊花賞のミホノブルボン同様に断然の一番人気に支持され、ライスシャワーは2番人気に甘んじていましたが、メジロマックイーンを抑えて勝利し、またもや断然人気に勝つ金星を菊花賞に続いて獲得しました。
この後は若干スランプ気味になり、オールカマー3着、天皇賞秋6着、ジャパンカップ14着、有馬記念8着と長いトンネルが続きます。
5歳 休養後、有馬記念から復帰
明け5歳となり、京都記念から始動して5着、関東に帰って日経賞2着と少しずつ良化していきました。
2度めの天皇賞春を目指していた矢先、重度の骨折を発症したため、出走を断念せざるを得なくなりました。
引退の道もあったようですが、長距離GIにしか実績がなく、種牡馬としての箔を付けるために、現役を続行して休養に入ることになりました。
意外に回復は早く、同年の有馬記念で復帰して3冠馬ナリタブライアン、女傑ヒシアマゾンに続く3着に入り、力のあるところを見せました。
6歳 宝塚記念で骨折、安楽死へ
そして、一年越しに2度めの天皇賞春を目標に定めることになりました。
復帰明けの2走の京都記念や日経賞の内容が評価されず(いずれも6着)、「ライスシャワーはもう終わった」と4番人気と人気を落としていましたが、ライスシャワーはここで奇跡の復活を遂げます。
残り800mでライスシャワーが行く素振りを見せたので、馬の行く気に任せてスパート。
直線でも必死の粘り込みをみせ、追い込んできたステージチャンプと並入しました。
ステージチャンプの鞍上蛯名正義は勝利を確信しガッツポーズを見せましたが、ライスシャワーがギリギリ数10センチ残っており、ライスシャワーが復活の勝利を果たしました。
奇しくも2着のステージチャンプもリアルシャダイを父に持つ馬でした。
次走には宝塚記念が選ばれました。
この年の宝塚記念は阪神競馬場が改修中のため、京都競馬場で代替開催が行われました。
得意の京都競馬場であったことや、3000m超のGI実績しかない同馬に中距離の実績をつけさせたい意味もあったようです。
ただ、この時の馬場は当時稀に見るくらいの超高速馬場でした。
ライスシャワーはスタミナ自慢のステイヤーで、実績のある2200mとはいえ、スピード志向の強い高速馬場は合わないどころか、競走中に骨折を発生してしまいました。
治癒の見込みがないことから、その場で安楽死処分となり、菊花賞と天皇賞春を2度勝った思い出の地に散ることとなりました。
「京都競馬場内のライスシャワー記念碑。栗林育子の姉が詠んだ「疾走の馬 青嶺の魂(たま)となり」という句が刻まれている」出典:wikipedia
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